三十六人集(西本願寺本)                 戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ

重之集  染紙『群飛雁』全面金銀砂子振 (清書用臨書用紙)

重之集 染紙 『群飛雁』 全面金銀砂子振 花鳥折枝金銀袷絵 拡大
染紙 薄茶『群雁』全面金銀砂子振 花鳥折枝金銀袷型打 (半懐紙)


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 左上側部分 染紙 薄茶 全面金銀砂子振 花鳥折枝金銀袷型打
染紙全面金銀砂子振 花鳥折枝金銀袷型打は実物とは異なります。
染紙『群飛雁』の花鳥折枝の柄違い代用品です。
 重之集 書

重之集 染紙 『群飛雁』 全面金銀砂子振 花鳥折枝金銀袷絵 拡大 
花鳥折枝金銀袷型打

柄を見やすくしたもの
 
右上側部分 染紙 薄茶 花鳥折枝金銀袷型打
枝松・柳・葦・千鳥など
 
 


重之集 染紙 『群飛雁』 全面金銀砂子振 拡大 
 (染紙)

花鳥折枝金銀袷型打

群雁描写前のもの
 右下側部分 染紙 薄茶 花鳥折枝金銀袷型打
葦・千鳥など。実物にはこの位置には萱があります。
 
 


重之集 書手本

重之集 染紙 『群飛雁』 第十二紙 書 拡大   使用字母
及び解説
 重之集 書 縦6寸7分、横1尺5分5厘 染紙『群飛雁』全面金銀砂子 第十二紙
 

歌番号は重之集での通し番号              青色文字は使用字母

   難波にてふなせうようしてき
   しのふぢのはなををりてやかたに
   さしてくれにかへるとて

102
 こぐふねに けさよりかけし ふぢなみは、
 よるさへみゆる ものにざりける


   あきわかれし人に、

103
 としごとに むかしはとをく なりゆけど、
 うかりしあきは またもきにけり


   やどりにはななし

104
 いづくにか 心もやりて やどさまし、はなな
 きさとは すみうかりけり


   ふくかぜむめのかす

105
 はなさかぬ わがやどさへぞ にほひける、
 となりのむめを かぜやとふらん

106
 むめがえの ものうきほどに ちるゆきを、
 はなともいはじ はるのな立に




   難波爾天不那世宇與宇志天、幾
   志乃不遅乃者那遠々利天也可太爾
   左之天久禮爾可部留止天

102
 己久不年爾 希左與利可希之 不遅那三波、
 與留左部美由留 毛乃爾左利計類


   安支和可連之人爾、

103
 止之己止仁 武可之者止遠久 奈利由計止、
 宇可利之安支波 末太毛幾爾計利


   也止利爾者奈々之、

104
 以川久爾可 心毛也利天 也止左末之、者那々
 幾左止波 寸三宇可利計利



   不久可世武女乃可寸

105
 者那左可奴 和可也止左部所 二保比計類、
 止奈利乃武女遠 可世也止不良无

106
 武女可衣乃 毛能宇支保止爾 知留由幾遠、
 者那止毛以者之 者留乃奈立爾



「爾」は「尓」とすることも。
「與」は「与」とすることも。
「个」は「介」とすることも。
「礼」は「禮」とすることも。


( )黄色文字は次項にあり

せうよう
逍遥;気ままにあちらこちらを廻ること。

ふな
舟;舟の古称。

102
漕ぐ舟に今朝より(袈裟懸けにして)掛けていた藤浪は、夜でさへ見える程のものであったのだなあ。

103
年を経る毎に昔は遠くなって行くけれど、心外なことばかりで疲れ、心が閉ざされるような思いを呼び起こさせる秋が(来なくても良いのに)亦も来てしまいましたよ。

 う 
憂かり;「憂しくあり」の約。元は連用形の語尾「く」に動詞「あり」を付属させてできた形の約「かり」になりさらに「し」の抜けたもの。憂鬱である。情けない。

やど

宿り;旅先などで一時的に泊まる場所。宿。


104
何処かにか心も飛んで行ってしまったようで宿にて目を覚ましたが、花の咲いていない里(華の無い里)では住み辛いものですよ。


    吹く風に梅の香りがやってきて、

105
まだ花の咲いていない我が家でさへも梅の花が香ってきますよ、もしかして隣の梅の花を風が訪ねて来たのだろうか。

106
梅の枝に気分が晴々しないほどに降り積む雪を見て、春が来たと評判の立つような、まさか花だなんて言わないでおくれよ。

ほそかわどの
物憂い;なんとなく気が進まない。心が晴れやかでない。

 な だ
名立て;評判が立つようにすること。



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みなもとのしげゆき
                                                            とうぐうぼう とねりのつかさ
源重之;平安中期の歌人で、左馬助・相模権守を歴任、三十六人歌仙の一人として旅の歌を好んで残している。春宮坊の舎人監の役人の筆頭者として、皇太子の護衛に当たっていた時、後の冷泉天皇となる皇太子に奉った百種は、現存する最古の百種歌となっている。生年及び没年不詳。〜1000年頃と考えられている。


                                                                     
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