『安宅切』 和漢朗詠集 巻子本 第二十六紙
巻子本用一紙(8寸2分×8寸8分5厘)
鳥の子製 装飾料紙 純金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ砂子 (暈し・雲紙その他)
和漢朗詠集の書写本で藤原行成筆と伝えられている安宅切の第二十六紙になります。書写用の料紙としては西本願寺本三十六人集にに並ぶほどの美しい装飾が施された料紙になります。実物の安宅切は一紙、横約八寸前後・縦約八寸八分五厘の大色紙大の料紙で元は巻子本です。第二十六紙は横幅が8寸2分と他の多くの部分と同じような大きさとなっております。隣同士の料紙にまたがって下絵が施されており、料紙を繋いだ状態で泥書が施されたものと推察できます。安宅切には金銀切箔砂子が施されておりますが、本料紙では金銀切箔は施しておりません。(書き易さと価格面を優先した為でありその点ご了承ください。勿論中小切箔を施したタイプの物も御座います。)今回の写真は約三十年程前に製作された物で純金銀泥を使用している為、一部に銀焼け部分が御座いますがご了承下さい。臨書用紙はもちろん通常の清書用料紙としてもご利用いただけます。
写真をクリックすると別色が御覧に為れます。
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巻子本『安宅切』です。使用されている装飾料紙は巻子用大色紙で、染紙や雲紙に隈ぼかし更に純金銀泥で州浜と菅千鳥などが描かれ、金銀大小切箔ノゲが散らされております。本清書用では切箔を除いて書き易さ、書の見易さを優先しております。勿論、金銀切箔ノゲを振ったタイプの物も御座います。 |
安宅切紙
写真をクリックすると部分拡大が御覧に為れます。(順次掲載予定です)
第十二紙(明灰色) |
第十一紙(栗梅色) |
第十紙・雲紙(水灰色) |
第二紙(明灰色) |
第一紙(薄香色) |
第二十六紙(渋草色) |
第二十一紙(瑠璃色) |
第二十紙(薄香色) |
第十三紙(薄香色) |
第三紙(明灰色) |
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本文 水色文字は使用字母 | 読み下し |
祝 774 嘉辰令月歓無レ極、万歳千秋楽 未レ央。謝偲 775 長生殿裏春秋富、不老門前日 月遅。保胤 776 和可幾美者 千與爾也知與仁 左々礼意之能、 以者遠止奈利奴 己計乃武寸末弖 777 與呂徒與止 美可左乃山曾 與者不奈留、 安末乃之多己曾 多乃之可留良之 |
774 かしんれいげつ 嘉辰令月歓極まり無し、万歳千秋楽 なかば 未だ央ならず。 (謝偲) 嘉辰令月;めでたい日柄で万事を成すによい月。 千秋楽;能の「高砂」の最後の文句で、 付祝言に用いる。 775 長生殿の裏には春秋富めり、不老門の 前には日月遅し。 (慶慈保胤) ふろうもん ぶらくいん 不老門;平安京大内裏の豊楽院の 北面に在った門。 776 わがきみは ちよにやちよに さざれいしの、 いはをとなりぬ こけのむすまで 777 よろづよと みかさの山ぞ よばふなる、 あまのしたこそ たのしかるらし |
774 めでたいお日柄で万事を成すのに良い月であれば(心地よい月を見ると尚)感極まりない。 万歳、千秋楽(神聖なる祝いの言葉を付け加えて仕舞いとしましょう)とは思い乍らも未だに道半ばにもないよ。 (門出に際し、まだまだ先は長い、これからですよ。との意) 775 長生殿の裏庭では四季折々に美しい(もちろんこれは五経の一つ『春秋』を詠ったもの。年若く、 経験に乏しい事、から転じて生い先が長い事、将来性がある事にも使う)。 不老門の前庭では太陽が昇って沈むのも月が昇って沈むのも共に遅いよ。 (長生殿では生い先永く、将来性もある。不老門の前に来れば時間はゆっくりと流れているよ) 776 我が君は千代に八千代に細石の、巌となりぬ苔のむすまで。 我が君は幾千年にもわたって(栄えて欲しいものですよ)、 非常に小さな石が大きな巌となるが如くの長い年月の経つまで。もね! 777 萬代と三笠の山ぞ呼ばふなる、天の下こそ楽しかるらし 永遠にいつまでもと御付の者が幾度となく言っている、この国の天下こそ楽しい物の様ですよ。 |
ちょうせいでん 長生殿;中国の唐時代の宮殿の名。華清宮 たいそう りざん 太宗が驪山に設けた離宮。 玄宗皇帝が楊貴妃を伴って来訪した温泉宮。 しゅんじゅう 春秋;年月及び四季の順を追って記録したことから呼ぶ五経の一つ。孔子が魯国の記録を筆削した とも云う史書。前722年~前481年に至る十二代 242年間の史実を編年体に記録したもので、或る時は謗り、ある時は褒め称え、或はけなしたりと揚げたり落としたりの世評の意を込めた物と云う。前480年ごろの成立 みかさのやま みかさ 三笠の山;天皇の御蓋として近侍する意に掛けての近衛の大・中・少尉の異称で、歌に用いる。 |
安宅切 第二十六紙 右上側部分拡大 左端に見える黄土色の部分は泥が薄く 陰の為輝きの消えた金泥の州浜です。 金泥千鳥は右に向って五羽 描かれております。 |
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右上側部分拡大 安宅切 第二十六紙 | |
安宅切 第二十六紙 左下側部分拡大 左端に見える黄色の部分は次項の料紙 第二十七紙です。 金泥州浜は両紙またがって 描かれております。 |
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左下側部分拡大 安宅切 第二十六紙 |
よししげのやすたね
慶滋保胤;平安時代中期の文人で漢詩人。大内記兼近江掾。陰陽博士の賀茂保憲の弟で、菅原文時に師事し文章に秀でて詩文の才を称せられた。源順らとも交流があり、具平親王は詩文の弟子ともなっていた。986年には比叡山横川の源信の元で出家して寂心と称した。著書に聖徳太子以下の仏教入信者の伝記である「日本往生極楽記」、摂関期の社会を批判的にとらえ、鴨長明の「方丈記」に多大なる影響を与えたとされる「池亭記」がある。詩集『慶保胤集』があったとされているが一部が『本朝文粋』に残るのみである。
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