大字朗詠集切(大字和漢朗詠集切)和漢朗詠集 巻下 山寺  戻る 大字朗詠集切 一覧へ
    本鳥の子紙(薄茶色)5寸5分×8寸2分
字粒が他の和漢朗詠集の物よりも大きく書かれており、字間・行間も大らかである。表面は高野切同様の加工で染の雲母振り。
料紙は雲母振りの染紙。


薄茶色

『大字朗詠』 大字和漢朗詠集切 断簡 
17.3cmx25.2cm
写真の状態があまりよくありませんがご了承ください。



         漢詩・かな                                
水色文字は使用時母


    山寺
578
 千株松下雙峯寺、一葉舟中萬里

 身 

579
 更無
俗物當人眼、但有泉聲洗

 我心

580
 不改
朝天之門便作車之所、不

                               慈恩寺
 (變閲水之橋以為到岸之途 



   


    山寺
 
せんしゅ     もと  さうほう
 千株の松の下の雙峯の寺、
        
うち
 一葉の舟の中の萬里の身。
白楽天

    
しょくぶつ     まなこ  あた
 更に俗物の人の眼に當れる無、
 
ただ    こえ
 但泉の聲の我心を洗う有。
白楽天

             
すなはち
 朝天の門を改めずして便車を求むる所とし、
 
えっすい     へん            みち
 閲水の橋を變ぜずして以て到岸の途と為す。
                    
だいじおんじ
                    大慈恩寺
                           
おののたかむら
                           小野篁





( )内は次項に















漢字の意味の通じるものは漢字で表記
一行は一行に、繰返しは仮名で表記

そうほう  
雙峯;双峰。二つ並んだ峰


いちよう

一葉の舟;一隻の小舟

しょくぶつ
俗物風流の無い人。名誉や利益に囚われてばかりいるつまらない人物。

 だいじおんじ  
大慈恩寺;唐の長安に後の高僧が建てた寺。帰朝後の玄奘が住職となり、翻経院を設けて仏典の翻訳を行った。

おののたかむら
小野篁;平安前期の文人・貴族で、遣唐副使に任ぜられたが、大使とそりが合わず病と称して命に背き、隠岐に流された。博学で詩文に長けた。


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