巻子本 白氏詩巻 (8寸2分5厘×10尺4寸4分)     戻る 『白氏詩巻』巻子本 一覧へ 

   白氏の漢詩歌集(鈔本)(表面加工)昭和中期の模写本
*1                 .
伝藤原行成筆、白氏文集より撰出したと思われる鈔本の一巻である。元々幾つの詩文が存在していたかは不明であるが料紙一紙に詩文ほぼ一首、第二紙始に詩文末尾が有り、その後詩七首少なくとも計九首が納められており、末尾三葉には筆者の奥書と定信の奥書が残されている。尚、定信の奥書により、行成筆と同定されている。この後この巻子本は伏見天皇(1265~1317)の御蔵の品と為った後、暫くの時を経て霊元天皇(1654~1732)の持つ処と為り、職仁親王を経て有栖川宮家に継がれ代々伝えられたが、大正二年に高松宮家に継承されて後、秋萩帖と共に東京国立博物館で保管されている。

白氏詩巻
  第二紙(濃黄土色)  
古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第二紙(濃黄土 次へ)
縦25cm×横26.5cm
伝藤原行成筆

文集③
(白楽天)

絶句

漢詩読下しへ


清書用・臨書用紙 白氏詩巻  濃黄土
清書用

練習用・臨書用紙 白氏詩巻 濃黄土
練習用
紙 白氏詩巻
             読下し                       漢文訓点
         現代語訳へ

 えんしゅう  さい  たいふ  ふば*3
 兗州の崔大夫駙馬の、鎮に赴くを送りき。


せきり*4        ふば   

戚里は誇りて賢き駙馬と為したり、
                 

儒家は認めて好ましき詩人と作したり。
       
そむ
魯候風景を孤くこと得ざれ、
 きすい     
ぼしゅん
沂水に年々暮春有り
                   
たまた
 晩に天津橋に上りて閑望して、偶ま盧
郎中・

 張員外が酒を携ふるに逢ひて同じく飲みき。



 送
州崔大夫駙馬赴一レ

  鎭


戚里誇為


家認作
好詩人魯候不

風景沂水年々

暮春


 晩上
天津橋閑望偶逢

 (郎中・張員外携一レ酒、同飲。)


           現代語訳                                  漢詩読下しへ

 兗州の崔大夫は貴族(皇族)の娘の夫が官吏として鎮に赴任するのを見送った。

夫の親戚は誇りに思って賢い夫だと称えた、 (親族は有能な夫だと鼻高々だった)

儒者の家では認める形で好ましい詩人だと作り上げた。 (儒家は対面を繕って好青年だと持ち上げた)

魯侯(夫)は風景に背を向けて過ごすことも叶わず、沂水にも年毎に

春の終わりは訪れる。 (夫はこの地を離れることも出来ずに、任地にも春の終わりが繰り返された)

 夜明け頃に天津橋に上がって暇に任せて眺めていると、たまたま盧郎中と 

 張員外が酒を持っている処に出くわしたので一緒になって酒を飲んだ。



じゅか

儒家;孔子に始まる中国古来の政治・道徳の教えを説く者、又その一家。後漢に五経(易・書・詩・礼・春秋)などの経典が権威を持つに及んで国家からは儒家が重用され、他から抜ん出る存在となった。国教となって以来、秩序の回復を目的とした中国の代表的な国家思想となった。

盧郎中;盧という名の官吏。中国での官名 

張員外;張という名の官吏。定員外の郎中。





文集③

七言絶句




原文写真(第二紙)へ





ちん
鎮;北魏の頃、大軍を駐屯させた要地の称。宋代以後、県に所属する小都市。又は地を鎮安する軍隊またその将。

ろこう
魯侯=愚かな支配者
西周・春秋時代の列国の一つ。孔子の生れた国。

きすい
沂水;地名(軍駐屯地)
(沂=がけ・ふちの意)

くれのはる
暮春;陰暦三月の異称。春の末。


白氏詩巻
第三紙(濃黄土色)
古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第三紙(濃黄土 次へ)
縦25cm×横26.5cm

伝藤原行成筆

文集④
(白楽天)

四韻詩

読下し及び解説へ


清書用・臨書用紙 白氏詩巻  濃黄土
清書用

練習用・臨書用紙 白氏詩巻 濃黄土
練習用
第三紙 白氏詩巻
             読下し                       漢文訓点         現代語訳へ

                   
たまた
 晩に天津橋に上りて閑望して、偶ま
郎中・
         
たづさ
 張員外が酒を携ふるに逢ひて同じく飲みき。
      
うち ぎょうしょう          ほとり
上陽宮の裏 暁鐘の後、天津橋の頭

残月の前。空闊なる境は
    
あら
下界に非ざることを疑ふ、
ひょうよう      りょうてん
飄颻たる身は寥天に在るに似たり。

星河隠映して初めて日を生ず、
ろうかく    きろう                ところ
楼閣葱籠半ば煙より出でたり。此の處に相
               
しり
逢うて一酌を傾く、始めて知んぬ地上に

神仙有らんことを。




 (晩上
天津橋閑望偶逢盧)

 郎中・張員外携一レ酒、同飲。

上陽宮裏暁鐘後、天津

橋頭残月前。空闊境疑


下界飄颻身似

星河隠映初生日、楼

閣蔥籠半出
烟。此處相

逢傾
一酌始知地上有

寥神仙



           現代語訳                                  漢詩読下しへ


夜明け頃に天津橋に上がって暇に任せて眺めていると、たまたま盧郎中と 

張員外が酒を持っている処に出くわしたので一緒になって酒を飲んだ。

洛陽の宮殿、上陽宮の中で夜明けを知らせる鐘の音の後に天津橋の畔で

有明の月の前にして暇を持て余し、このゆったりとした静かな広がりは

下界では存在しない事なのではと妖しく思う。(俺は未だ生てるんだよなあ!)
                 
さまよう
思いばかりが風に舞い上がり彷徨うこの身の如く、あたかも冬の空に存在しているかのようである。

銀河(天の川)が姿を隠して初めて一日(昼間)が生まれる。

楼閣や葱籠はおおかた煙から出たようなものだ。(欲を出せば何れ跡形もなく無くなってしまうだろう)
               

ここで出会って一杯の酒を酌み交わし、

初めてこの地上に神の力を持つ仙人の存在することを知った。



盧郎中;盧という名の官吏。中国での官名。

張員外;張という名の官吏。定員外の郎中。

しんせんせつ
神仙説;中国の古い神話に端を発した思想で、戦国時代に興り、秦・漢代に流行ったのち魏晋南北朝時代に隆盛を極めた神秘的な思想。人間の現実的欲望の実現者が神仙であり、求極には不老不死を手に入れたとされる。神仙と成る為に修行や服薬の方法が有り、その法を廻って道教
(漢民族の伝統的宗教。黄帝・老子を教祖と仰ぐ。不老長生の術を求め、巫術の流れを汲み符呪・祈祷等を行う)と双方の折衷案で調和を行った。後漢末には五斗米道(社会不安から興った民間信仰で、米五斗を納めて入門。道教の前身)や讖緯説(中国古代の予言説。陰陽五行説に基づき天変地異や運命を予測する)の中にも影響を及ぼして発展した。




( )は第二紙に在り


文集④

七言
四韻詩


原文写真(第三紙)へ

あかつ
暁;夜を三つに分けた時の三番目。宵・夜中に続く時間帯。まだ暗い内から夜が明けようとする時。


くうかつ
空闊;何も無く広々としている事。


ろうかく
楼閣;高殿。高層建物。

きろう
葱籠;葱で編んだ籠。


りょうてん
寥天;寂しい空





















 白氏詩巻
         第四紙(濃黄土色)  
古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第四紙(濃黄土)
 縦25cm×横26.9cm
伝藤原行成筆

文集⑤
(白楽天)

四韻詩

読下し及び解説へ


清書用・臨書用紙 白氏詩巻  濃黄土
清書用

練習用・臨書用紙 白氏詩巻 濃黄土
練習用
 第四紙 白氏詩巻  
             読下し                       漢文訓点         現代語訳へ

 夜宴の酔いの後に、留まりて裴侍中に献じき
    
だい        しゅ
九燭の臺の前に十二姝、主人留まりて酔うて、
 くわんご        ひょうよう
歓娯に任せたり。飄颻たる舞の袖雙花の蝶、
 えんてん              
宛轉たる歌の聲一索の珠。坐ること久うして
         
また めいてい
醒めむと欲して還酩酊す、夜深けて散ずるに
    
また ちちゅう        ひんかく     
臨みて更蜘蹰す。南山の賓客東山の妓、
   
そう  じんかん  か
此の曾人間曾つて有や無や
 
 い  しょし           おもむ
 韋庶子の 『遠坊の宴に赴きて未だ

 夜ならざるに先づ帰る』 の作に和して、
           
しめ
 兼ねて裴員外に呈しき。



 夜宴醉後、留獻
裴侍中

九燭臺前十二姝、主人留醉

歡娯飄颻舞袖雙花蝶、

宛轉歌聲一索珠。 坐久欲


醒還酩酊、夜深臨
散更

蜘蹰。南山賓客東山妓、

此曾人間曾有無。

 和
韋庶子遠坊赴宴未

 (夜先歸之作兼呈裴員外



           現代語訳                                  漢詩読下しへ


 夜宴の酔いの後に、そこに残って裴侍中に献杯した。

九灯の燭台の前に十二名の美しい女性が居たので、主人はそこに居座って酔ながら、歓娯に任せていた。
      
さまよ
風に舞い彷徨うが如く二つの袖を羽根にして蝶の様に舞う美しい舞妓、
                          
こえ
緩やかに弧を描いた美しい眉の顔立ちが歌う聲は、最も探し求めていた宝玉の様。

永らく居座っていたので、酔いが醒めるだろうと再び酒を飲んでは酔い潰れ、
                                 
ちゅうちょ
夜も遅くなったのでそれぞれが帰ってしまうに際して尚、更に躊躇する。

南山の賓客に東山の芸子、この重なり合う世界は以前からあるのかいないのか。

 韋庶子の 『遠くの街の宴会に出かけて行き、未だ夜になってないのに先に帰る』 の作に応じて、

 合せて裴員外にもはっきりとさせておこう。



べ じちゅう
裴侍中;裴という名の官吏。中国での官名。侍中は漢の時代には本官の上にこの官が加えられ、天子の左右に侍し雑用に奉仕した。魏・晋以降は専官となり、天子の顧問に応じた。唐以降には門下省の長官となった。

裴員外;裴という名の官吏。定員外の郎中。

じろう
侍郎;中国での官名。秦・漢では郎中令の属官で宮門の守衛を司る。唐では中書・門下両省の実質上の長官。また中央行政官庁である六部の次官。





文集⑤

七言
四韻詩


原文写真(第四紙)へ

しゅ
姝;美しいこと。

かんご
歓娯;喜び楽しむこと。

えんてん
宛転;眉が緩やかに弧を描くさま。特に美しい眉。

めいてい
酩酊;酷く酒に酔うこと。

ちちゅう
蜘蹰;進むのをためらって立ち止まること。進み悩む様。

ひんかく
賓客;丁寧に扱うべく重要な客。


妓;酒宴の間を取り持ち歌・楽器・舞踊などで客を楽しませる女。

しょし   めかけ    ちゃくし
庶子;妾の子。嫡子以外の子。




 白氏詩巻
 第五紙(茶紫色)古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第五紙(茶紫色)
 縦25cm×横26.9cm
 伝藤原行成筆

文集⑥
(白楽天)

四韻詩

読下し及び解説へ


清書用・臨書用紙 白氏詩巻  茶紫色
清書用

練習用・臨書用紙 白氏詩巻 茶紫色
練習用

 第五紙 白氏詩巻
             読下し                       漢文訓点         現代語訳へ

 韋庶子の 『遠坊の宴に赴きて未だ


 夜ならざるに先づ帰る』 の作に
和して、
           
しめ
 兼ねて裴員外に呈しき。

席を促して歓びを留めて日いまだ曛ぜず、
            
ふんぷん
遠坊に帰る思ひ己に紛々たり。
さまた       くつわ あん
妨ぐること無し轡を按じて行きて月に乗ることを、

何ぞ必ずしも盃を逃れて走ること雲に似ん。
        
ようりゅう    なげう
銀燭は忍びに楊柳の曲を抛ちたり、
    
ひそ   せきりゅう  もすそ
金鞍は潜かに石榴の裙を送れり。
        
おそ
到る時は常に晩く帰る時は早けむ、
             
おと
笑楽三
分にして一分を挍せり。



 (和
韋庶子遠坊赴宴未

 夜先歸之作
兼呈

 員外


席留歡日未
、遠

坊思己紛々。無
妨接

轡行乘
月、何必逃盃走

雲。
銀燭忍抛<銀燭忍抛楊柳曲一、

金鞍潜送
石搖裙

時常晩歸時早、笑楽三

(分挍一分 



           現代語訳                                  漢詩読下しへ


 韋庶子の 『遠くの街の宴会に出かけて行き未だ夜になってないのに先に帰る』 の作に応じて、

合せて裴員外にもはっきりとさせておこう。

宴会の席を設けて歓びを留めても、いまだに日が暮れるまで居たことなく、

遥かに離れた街まで帰らねばならぬ思いに、私の頭の中は入乱れている。

邪魔をしてはならない、馬の轡を操って行って月に降り立つことを、(遠く離れた地まで馬を走らさねばならぬことを)

どうして必ずしも盃を拒否して素早く立ち去ることが(月を隠す)雲に似ていようか。いや、似てなどいるはずも無い。
         
ともしび
銀燭の光り輝く燈火は人知れず、しなやかな曲線美を惜しげもなく晒し出していて、
    
くら              ざくろ
立派な鞍(の馬)はこっそりと往き、石榴の様な赤い衣の裾を惜しみながらも見送った。

来る時はいつでも遅く帰る時はいつも早かったのだが、

心身安らかで楽しいことは三分ほどにして、その一分をそぎ落としているのだろう。
(羽目を外すことの出来ない生真面目な奴だったよ)


 い しょし
韋庶子;韋家の妾の子。中国の政治家の家に生まれた正妻以外の養っている娘の子。氏内で立場が弱い故、肩身の狭い思いを心の底に抱く。 たけなわ
『遠くの町の宴会に来て未だ宴も酣にならぬうちから早々に帰る』にその心情が現れている。

べ いんがい
裴員外;裴という名の官吏。定員外の郎中。


雲の喩えは、ここでは月を隠す雲のように「無粋な奴」としたが、何時でもこっそりと早々に居なくなる「掴み処の無い奴」とすることも出来る。但し、反語であるから何れも意味は逆となる。



( )内は
第四紙

文集⑥

七言
四韻詩



原文写真(第五紙)へ

くん

曛せず;日が暮れない。まだ日没にならない。


くん

ぜず」は
.
れずとすることもある


書写には「轡に接して」だがここは「按」の間違いか?

くつわ
轡;馬の口に咥えさせておき、手綱を付けて制御するのに用いる道具。

ぎんしょく
銀燭;明るく光り輝く燈火。銀の燭台。

ようりゅう
楊柳;川柳(猫柳)・枝垂柳など。万葉集以来一般的に親しまれて来たのは枝垂柳で、青白く揺れる春の芽吹の美しさから多くの詩歌に詠まれて来た。

楊柳の曲;枝垂柳の如くゆらゆらと風に靡いてしなやかな曲線を描く様。
又はその様な音楽の調べ。

せきりゅう
石榴;ザクロの漢名。柘榴
。本草和名は佐久呂。

 も
裳(褶);男性の礼服で表袴の上に着用したもの。

 も
裳(裙);女性が腰から下にまとった服。又は紅裙。
紅裙;紅色の裾の意で、美人。芸妓。


韋;名字。漢字の意味はなめし革。そむく。

さんぶ
三分;十分の内の三分。


( )内は
第六紙
 白氏詩巻
 第六紙(濃黄土色)古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第六紙(濃黄土)
縦25cm×横25.8cm
 伝藤原行成筆

文集⑦
(白楽天)

絶句

読下し及び解説へ


清書用・臨書用紙 白氏詩巻  濃黄土
清書用

練習用・臨書用紙 白氏詩巻 濃黄土
練習用
 第六紙 白氏詩巻
             読下し                       漢文訓点         現代語訳へ

到る時は常に晩く帰る時は早けむ、

             
おと
笑楽三分にして一分を挍せり。

 集賢池にして、侍中の問に答へき

主人晩に皇城に入りて宿す、客に問はく
        

徘徊して何の須つ所ぞ。池月幸ひに
しずか              
閑にして用無き處に、今宵能く
   
しゃく        いな
客に借して遊ばしむや無や。

 河南の鄭尹の「新歳 

 雪に對す」を和しき



(到時常晩歸時早、笑楽三


分挍一分
           
、、
 集賢池、答
侍中客問


主人晩入皇城宿、問


俳徊何所
須。池月幸

閑無
用處、今宵能

客遊無。

 和
河南鄭尹新歳

 (對一レ雪)


           現代語訳                                  漢詩読下しへ

来る時は常に遅く帰る時は早かったのだったが、

心身安らかで楽しいことは三分ほどにしてその一分をそぎ落としているのだろう。

 集賢池にて、侍中の問に答えた

君主が日没後に王城に入って宿泊し、客人に問い掛けた

徘徊して一体何が待っていると云うのか。(そんなに彼方此方うろついて池に何を探し求めてるのかい)

池の月は幸いな事に静かではあるがつまらぬ処にある、(水面の月は波立ちこそ無いが客人からは見え辛いようだ)

今夜は客人に(月を)お借りして充分にご堪能なされるだろうか、なされないだろうか。

 中国の河南の鄭尹の「新年 雪に閉ざされし」の詩に応じて詩歌を為す


しゅうけんでん
集賢殿;唐の皇帝玄宗によって麗正殿から改称した唐代官庁の一つ。中書省に属し、儒学の経典の刊行、佚書の捜索、文書の撰集等を司った。

じちゅう
侍中;中国での官名。侍中は漢の時代には本官の上にこの官が加えられ、天子(国の君主)の左右に侍し、雑用に奉仕した。魏・晋以降は専官となり、天子の質問に応じて意見を述べた。唐以降には門下省の長官となった。



( )内は
第六紙



題詞中の
客の点々は
打消しを示す点(間違いの訂正)

今日で云う二重線


文集⑦

七言絶句


原文写真(第六紙)へ



( )内は
第七紙












さんぶ
三分;十分の内の三分。


はいかい
徘徊;当てもなくぶらつくこと。何処ともなく歩き回ること。

しゅ
須;しなければならないこと。




池の月;水面に映った月。











てんし
天子;天命を受けて人民を治める者。




 
*1

 はくしもんじゅう

白氏文集
; 中国、唐の時代に白居易(白楽天)のしたためた詩文集で71巻が現存している。824年元槇が編集したといわれる「白氏長慶集」の50巻に、自選の後集20巻および続後集の5巻を加えた全75巻のもの。平安時代に渡来し、文集と呼ばれて当時の文学に影響を与えるほど広くに愛読されていた。

*2
さだのぶ

定信
;藤原定信(1088~1156)世尊寺流と云われる行成の書の伝統を伝えた世尊寺家の書家

*3 
ふば
;漢の時代(前202~後220)以後、天子の女子の夫を駙馬都尉(軍事・警察を職とする官名)に任じたことから云われる。貴人の女子の夫の事を指して言う字

*3
せきり

戚里;
漢の時代に都の長安の中にあり、天子の母方の親戚が住んでいた屋敷近辺の総称。外戚の事を指して云う。

                                                                ページトップ アイコン