本阿弥切・巻子本(古今和歌集巻第十一 恋歌一)部分拡大      戻る 本阿弥切 一覧へ

                                    写真をクリックすると拡大画面になります 昭和初期模本
白・夾竹桃具引剥奪唐紙料紙一葉分


本阿弥切 部分 具引剥奪唐紙 白 『夾竹桃』
夾竹桃(きょうちくとう) 
  巻子本
 本阿弥切

(古今和歌集巻第十一 恋歌一)

白 具引唐紙
『夾竹桃』

解説及び
使用字母




本阿弥切 清書用 臨書用紙 具引剥奪唐紙 白 『夾竹桃』
清書用 白
  夾竹桃 歌の書出しが段の途中から始められている珍しい書き方 
具剥奪唐紙(元は具引唐紙が経年使用により部分剥落したもので、具引剥奪唐紙ともいう。)

歌番号は元永本古今和歌集での通し番号(歌の一部が異なっている場合も同じ番号で記載)
( )内の歌番号は小松茂美氏監修「本阿弥切古今集」(二玄社発行)の通し番号(類推含む)     解釈(現代語訳)

512
           いで我を 人なとがめ      (508)
 そ おほふねの、ゆたのたゆたに ものおもふ
 たり
513             いせのうみに つり      (509)
 するあまの うけなれや、こころひとつ
  を さだめかねつる
514                 伊せのう       (510)
 みの あまのつりなは うちはへて、こひし
  とのみや おもひわたらむ

515         なみだがは なにみなか       (511)
 みを たづねけむ、ものおもふころの 我
 みなりけり

516     たねしあれば いはにも松          (512)
 は おいにけり、こひをしこひば あはざ
 らめかも

517         あさなあさな たつ            (513)
 かはぎりの そらにのみ、うきておもひの
 あるよなりけり

518       わすらるる ときしなければ        (514)
 あしたづの、おもひみだれて ねをのみぞ
 なく
519         からころも ひもゆふくれに      (515)
 (なるときは かへすがへすぞ 人はこひしき)

 

512
             意天我遠 人奈止可免
 所於本不年乃 遊多乃當由多爾 毛乃於毛不
 對利
513             意世乃宇美爾 川利
 寸留安万乃 有个那連也 古己呂悲止川
  越 佐多免可年川留
514                     伊世乃宇
 美乃 安万乃川利那者 宇遅者部天 己日之
  渡農美也 於毛日和多良无

515           奈美多可波 奈爾美那可
 見遠 多川年个无 毛乃於毛布己呂乃 我
 美那利个利

516    多年之安礼盤 意者爾毛松
 者 於意爾个利、己比越之己日八 安八左
 良免可毛

517             安左那安左那 太川
 加者支利乃 所良爾乃三 烏幾天於毛日乃
 安留与那利个利

518      和寸良流々 止支之奈个礼八
 安之多川乃 於毛日美多禮天 年遠乃美所
 那久
519
       可良己呂毛 日毛遊不久礼爾

「爾」は「尓」とすることも。
「个」は「介」とすることも。
「天」は「弖」とすることも。
「禮」は「礼」とすることも。

               現代語訳                      解釈          解説及び使用字母





 解説右側は

 使用字母


左側のひらがな中漢字の意味の通じるものは漢字で表記
















( )は次項に書かれているもの










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512
「出で我を人な咎めそ大船の、寛のたゆたに物思ふたり」
現れ出た私を人々よ咎めなさるなよ、あれやこれやと考え事をしていて思い悩んでおったのですよ。


513
「伊勢の海に釣りする海人の浮けなれや、心一つを定め兼ねつる」
伊勢の海で釣りをしている漁師の浮きであるからなのだろうか、自分の心一つさへ定める事が出来ずにゆらゆらさせているよ。


514
「伊勢の海の海人の釣縄打ち延へて、恋しとのみや思ひ渡らむ」
伊勢の海にある漁師の釣縄がずっと何処までも延びていて、恋しいとばかりにずっと思い続けていくのだろうかなあ。


515
「涙川なに水上を訪ねけむ、物思ふ頃の我が身なりけり」
溢れ出る涙の川の源を何故尋ねたのだろう、それは物思いに悩んでいる時の私自身であったのだなあ。


516
「種し有れば岩にも松は生ひにけり、恋をし恋ひば逢はざらめかも」
種さへ有れば岩にも松は生えたという事である、心惹かれる事さへ恋しく思うならばどうして逢わないだろうか。



517
「朝な朝な立つ川霧の空にのみ、憂きて思いの有る世なりけり」
毎朝立つ川霧の上空にだけ、心が閉ざされるように感じる思いの在る生涯であったなあ。


518
「忘らるる時し無ければ葦田鶴の、思い乱れて音をのみぞ鳴く」
忘れられる時さへ無いので、思い乱れて只々声に出して泣いているばかりですよ。


519
「唐衣日も夕暮れになる時は、返す返すぞ人は恋しき」
日も落ちて夕暮れになる時は、全くもって人が恋しくなりますなあ。


512
(ひょいと現れ出て来た私の事を見て人々よ、取り立てて気にしなさるな。ゆらゆらと気持ちが揺れていて思い悩み、心ここに在らずな状態であっただけですから。)との意を詠んだ歌。

大船の;枕詞。「ゆた」に掛る。訳さない。

寛のたゆたに;気持ちがゆらゆらと揺れて定まらない様子。

513
(私は伊勢の海で魚釣りをしている漁師の浮きの様であるからなのだろうか、自分の心一つすら決める事が出来ないで浮きがゆらゆらしているように気持ちをふらふらさせてしまっているよ。)との意を詠んだ歌。

514
(伊勢の海にある漁師の釣縄がずっと何処までも延びているのを見て、あの人のことを恋しいとばかりにどうして思い続けて月日を送っているのであろうかなあ。)との意。

釣縄;魚を釣る為に釣針を付けて大河や海中に設置する縄。

515
(溢れ出てくる涙の川の水源は何処ですかと何故尋ねたのだろう、その源は物思いに悩んで涙を流している時の私自身であったのだなあ。)との意。

516
(種さへ有れば本来生えるはずの無い岩にも松は生えたという事ですよ、それなのに心惹かれる事さへ恋しく思うならば、どうして逢わない事があるでしょうか。否逢うべきでしょうねえ。)との意。

ざらめかも;…ないだろうか、否…だろう。打消しの助動詞「ず」の未然形「ざら」に推量の助動詞「む」の已然形「め」の付いた形、更に疑問・詠嘆の助詞「かも」が付いて反語の意を表す。

517
(朝毎に立つ川霧の上空の様に儚く消える甲斐の無い処にだけ、思うに任せぬことばかりで心が閉ざされるように感じる思いの存在する世の中であったなあ。)との意。

518
(貴方を忘れられる時ですら有りませんので、あれこれ思って心が乱れて只々声に出して泣いているばかりですよ。)との意。

葦田鶴の;枕詞。「音鳴く」に掛る。

519
(日も沈んだ黄昏時は、重ね重ね本当に人懐かしい気分が込上げて来るようですなあ。)と何とはなしに訪れる気分を詠んだ歌。

唐衣;枕詞。「返す」に掛る。

からころも
唐衣:中国風の衣服で、袖が大きく裾は踝まで届き、上前・下前を深く合わせて着るもの。艶やかで立派な珍しい衣服として珍重された。着物であることからそれに関連する言葉に掛る。「着る(きる)」「裁つ(たつ)」「返す(かへす)」「裾」「袖」「紐」などに掛る。


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