香紙切 (巻第一 春上 断簡)         戻る 香紙切 へ   
    丁子染紙(丁子茶色)
こちらの色は、ぼかしの様にも見えますが元々は単色の香染で、長年の変化により褪色、或は脱色した物と思われます。丁子茶色とは、丁子の煮汁で濃く染めた色でやや黄茶味の強く出たような色。ほんのりと丁子の香りのするような色のこと。

丁子茶色
(ちょうじちゃいろ)

香紙切 麗花集 巻第一 春上 (丁字茶色) 解説へ
 5.1cmx20.8cm
香紙切 麗花集 巻第一 春上 (丁字茶色) 解説へ
8.6cmx20.9cm

写真の状態があまりよくありませんがご了承ください。

          かな
           使用時母           現代語訳へ




       春のはじめごろ

           よしのぶ

  はるかぜの ふくときがたの こほりうすみ、

  そでのたもとを けさやとく覧




  ふるさとは 春めきにけり よしの山、

  みかきのはらに かすみこめたり

           あか人





        春乃者之免故路

              與之乃不

 波留可世乃 不久止支可多乃 己本利宇寸見、

 所天乃太毛止遠 計左也止久覧




 不留左止波 春免幾爾希利 與之乃山、

 美可幾乃者羅爾 可寸見己免太利

              安可人


 
          現代語訳
               解説            使用字母へ

      春の初め頃

           能宜

春の初め頃
                   大中臣能宜

 『春風の吹く時がたの氷薄み、袖の袂を今朝や解くらん』

春風が吹き抜ける時分は氷も溶けて、私の袖の袂を今朝は解いてくれるのだろうか。




 『故郷は春めきにけり吉野山、御垣の原に霞篭めたり』

故郷が春らしくなってきたなあ。吉野山の御垣ヶ原に春霞が立ち込めているよ。


                   山邊赤人



(春の風が吹き抜けるような季節になると、気温も温んで氷が溶ける様に私の袖の袂も今朝は凍てつかないで解かしてくれるのだろうか)との意で、涙を拭った袂が冬の間は寒さで凍てついていたのを春の風が和らげてくれるよ、と詠んだ。

そで
 たもと
袖の袂;着物の袖から腕までの部分「たもと」は手元の意。
古来涙を拭くのに用いられ、特に冬場は身も心も凍てつき
「袖の氷」と詠われた。



(故郷にも春の気配が漂ってきたなあ。吉野山の吉野の宮の辺り一面に春の霞が立ち込めている様子だからね。)との意。春霞が立つと気温が温んできた証拠、それを見てオッと気付いて詠んだ歌。


 み かき
   
御垣の原;御垣ケ原=吉野離宮。
或は京都の皇居や貴人の庭を言うことも。

 みかき
御垣;皇居或は神社などの垣。


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おおなかとみのよしのぶ

大中臣能宜;平安中期の歌人で、伊勢神宮の祭主でもある。梨壺五人衆の一人で、三十六歌仙にも入る。坂上望城、源順、清原元輔、紀時文らと共に951年、三代集の第二である20巻もの後撰集(村上天皇の勅命による勅撰和歌集)を撰進する(成立年代は未詳、約1400首収められているが、ここに撰者の歌は無い)。能宜の歌は拾位遺、後拾遺集などに入る。正四位下、生921年、没991年。

やまべのあかひと
山邊赤人;山部赤人とも。奈良時代初期の万葉歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏として聖武天皇に仕えていたようで、行幸供奉の際の作が多く、優美で清澄な自然を詠んだ叙景歌に優れ代表的な自然詩人である。柿本人麻呂と並んで歌聖といわれ、人丸を継承する宮廷歌人として活動していたらしい。万葉集に長歌13首、短歌38首がある。



 

個人蔵