香紙切 (巻第五 秋下 断簡)       戻る 香紙切 へ 
    丁子染紙(丁子色)
秋の野の萩の錦を我が宿に、鹿の音ながら移してしがな

こちらの色は、ぼかしの様にも見えますが元々は単色の香染で、長年の変化により褪色、或は脱色した物と思われます。丁子色とは、丁子の煮汁で染めた色でやや黄味の強く出たような色。ほんのりと丁子の香りのするような色のこと。写真は薄目の丁子色でかなり褪色しているように見えます。

丁子色
(ちょうじいろ)
香紙切 麗花集 巻第五 秋下 (丁字色) 解説へ12cmx20.6cm
写真の状態があまりよくありませんがご了承ください。

          かな
           使用時母          現代語訳へ

 麗花集巻第五

    秋下


       をのの宮のをとどさがのに

       花みにまかりたりしに

           もとすけ

  あきののの はぎのにしきを わがやどに

  しかのねながら うつしてしがな






 麗花集巻第五

    秋下


        遠乃々宮乃遠止々左可乃二

        花身爾万可利太利之二

            毛止寸希

  安幾乃々々 者幾乃爾之幾遠 和可也止二

  之可乃年奈可良 宇川之天之可奈





 
            現代語訳
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麗花集巻第五
   秋下

      小野宮の大臣、嵯峨野に花見に
      罷りたりしに
             元輔(清原元輔)

 秋の野の萩の錦を我が宿に、鹿の音ながら
 うつしてしがな

秋の野の萩の花の鮮やかな色彩を我が家にも持込めないかな、
鹿の鳴声はしてはいるが(我が家にも)移して欲しいものだなあ!。



小野宮;京都大炊御門の南にあった邸宅。
惟喬親王の邸宅で後に太政大臣藤原実頼が住んだ。
此の門流を小野宮家と云い藤原実資、藤原公任らを
輩出している。

清原元輔;村上天皇の勅命により『後撰集』を撰した梨壺五人衆の一人。

嵯峨野;京都市右京区嵯峨の一帯。
     古くから虫の音、秋草の名所

しがな;助詞。動詞の連用形に付いて願望を表す。

萩は「鹿の妻」とも呼ばれ女鹿を呼ぶ牡鹿の鳴声が萩の花の季節と相まって、秋の風物詩として歌にも度々詠まれた。


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きよはらのもとすけ
清原元輔;平安時代中期の歌人で、三十六歌仙の一人。清原深養父の孫で、清少納言の父にあたる。琴の腕前もなかなかのものであったらしく、従五位上として肥後守に至る。源順らと共に万葉集に初めて訓点を付けたことでも知られ、梨壺五人衆の一人として後撰集を撰。拾遺和歌集以下の勅撰集に約100首が入集する。家集に155首を収めた「元輔集」がある。生年908〜没年990。



 

出光美術館蔵