巻子本「藍紙本万葉集」(8寸8分8厘×27尺9寸4分  戻る 『藍紙本万葉集』巻子本 一覧へ 

   藍紙万葉集(巻第九 零巻) (両面加工)書写時期不明の模写本

萬葉集巻第九の元々の歌数は雑歌102首、相聞29首、挽歌17首合わせて148首。内長歌22首、旋頭歌1首となっている。
この巻子本、巻内の四か所、歌数にして40首分が切取られているが、何時の頃の欠落かは不明。長らく会津の松平家に伝来していたが、明治になって古筆研究会(難波津会)の主催者田中光顕氏の手にする処となる。後に原三溪氏が手にすることとなり、この時中の四紙分が田中親美氏に割譲された。更に後にはその残巻(歌98首)は中村富次郎翁に受け継がれ、現在では京都国立博物館に収蔵されている。

第一紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
       灰水青(浅葱色)   
    
  古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第一紙 (次へ)  
縦26.6cmx横47cm 
拡大図
藍紙本万葉集

第一紙

清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

清書用臨書用紙
 第一紙
 第一紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)


   
菟原處女墓歌一首 并短歌


  雑歌

   泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇
   御製歌一首

1664
 暮去者 小倉山爾 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家
 良霜

 ゆふされば をぐらのやまに ふすしかの
 こよひはなかず いねにけらしも

   右或本云、崗本天皇御製。不審
正損因以累載

  崗本宮御宇天皇幸
紀伊國時歌二首。


1665

 為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁將來 奥津白波


 いもがため われたまひろふ おきつなる
 たまもちよせよ おきつしらなみ


1666
 朝霧尓 沽尓之衣 不干而 一哉君之 山道將越


 あさぎりに ぬれにしころも ほさずして
 ひとりやきみが やまぢこゆらむ

   右二首作者未詳

        

  大寶元年
冬十月太上天皇大行天皇幸
  伊國
時歌十三首

1667
 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依來 於伎都
 白浪


 
   う な ひ を と め            なら
   菟原處女の墓を見る歌一首 并びに短歌



  雑歌
   
はつせあさくらのみや あめのしたしらしめししおほはつせわかたけのすめらみこと
   泊瀬朝倉宮に御宇大泊瀬幼武天皇、
   御製の歌一首。


1664
 
夕去れば小倉の山に臥す鹿の、今夜は鳴かず寝にけらしも

 
由不左礼盤 遠久良能也末爾 布春之可乃
 己与比盤奈可春 以禰爾个良之毛



  右は或本に云はく、岡本天皇の御製なりといへり。正しく
        
つまびらか        かさ
  指すところを審にせず、因りて累ね載す。
                   
いでま
  岡本宮御宇天皇、紀伊國に幸しし時の歌二首


1665     われ  ひり  おきへ           
 妹がため吾玉拾ふ沖邊なる、玉寄せ持ち来沖つ白波

 
以毛可多女 和礼多末比呂不 於支川奈留
 多末毛知与世与 於支川之良那三


1666    ぬれ          ひ と り     やまぢ
 朝霧に沾にし衣干さずして、一人や君が山路越ゆらむ

 
安左幾利爾 奴礼爾之己呂毛 保左春之天
 比止利也幾美可 也末知己由良无

 

   右の二首は、未だ詳らかならず

  大寶元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇、紀伊國

  に幸ましし時の歌十三首

1667
 妹がため我玉求む沖邊なる、白玉寄せ来沖つ白波



                                                 ページトップ アイコン

黄字は割愛部分




漢文調の万葉仮名の部分は非常に難解である。
漢字として読む部分と、仮名として読む部分とが入り乱れて作られている。

水色文字はかな部分の使用字母







沖邊;
はるかな沖の方






沽;沾の間違いか

















第二紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
灰水青(浅葱色)
古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第二紙) (次へ)
縦26.6cmx横47.6cm
拡大図 
藍紙本万葉集


第二紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 
 
清書用臨書用紙
 第二紙



最後の一行(中二行)は第三紙
 第二紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)


1667
 いもがため われたまもとむ おきつなる
 しらたまよせよ おきつしらなみ


   右一首上見既畢歌辭小換、年代

   相違因以累載

1668
 白埼者 幸在待 大船尓 眞梶繁貫 又將顧


 しらさきは さちありとまて おほふねに
 まかぢしじぬき またかへりみむ

1669
 三名部乃 浦塩莫漏 鹿嶋在 釣為海人

 乎 見變來六

 みつなべの うらしまみつな かしまなる
 つりするあまを みにかへりこむ


1670
 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見
 反將來

 あさぼらけ こぎいでてわれは ゆらのさき
 つりするあまを みにかへりこむ


1671
 湯乃前 塩乾爾郊良志 白神之、礒浦其
 乎 敢而


 ゆらのさき しほひにけらし
 (しらかみの、いそのうらみを あへてこぎとよむ)

1672
 黒牛方 塩干乃浦乎 紅、玉裙須蘇延 往
 者誰妻

 くろうしがた しほひのうらを くれなゐ
 の たまもすそひき ゆくはたがつま

1673
 風莫乃 濱之白浪 徒於、斯依久流 見人
  
 一云於見
 無
    依來藻



1667

 
以毛可多女 和礼多末毛止武 於支徒那留
 之良太末与世与 於支川之良那見


                    
   おは         ことば
   右の一首は、上に見ゆること既に畢りぬ。但し、歌の
   
すこ  かへ               かさ 
   小しく換り、年代相違へり。因りて累ね載す。


1668                ま かぢ しじ ぬき   かへり
 白崎は幸ありと待て大船に、眞梶繁貫き又顧みむ


 
之良左幾波 左知安利止末天 於保不禰二
 万可知之々奴支 末多可部利美武


1669

 三名部の浦しま満つな鹿島なる、釣する海人を見に帰り来む


 美川那部能 宇良之末美川那 可之末那留
 川利春留安末遠 美爾可部利己无


1670             ゆ ら
 朝ぼらけ漕ぎ出て我は湯羅の崎、釣する海人を見に帰り来む


 
安左本良計 己支以天々和礼盤 由良乃左支
 徒利春留阿末遠 美爾可部利己武

1671     しほ ひ             うら み       とよ
 湯羅の崎潮干にけらし白神の、礒の浦廻を敢て漕ぎ動む


 
由良乃左支 之保比爾計良之
 
(々良可美能、以曾乃宇良美乎 安部天己支止与武)

1672
 
くろうしがた        くれなゐ            
 黒牛潟潮干の浦を紅の、玉藻すそびき行くは誰が妻


 
久呂宇之可多 之保比乃宇良遠 久礼那為
 能、多末毛春曾比支 由久波太可徒末

1673
 かぜなし
 風莫の濱の白波いたづらに、ここに寄り来る見る人無に
 
ひとつには      
 一云、ここに寄り来も



                                                 ページトップ アイコン
水色文字はかな部分の使用字母





 ま かぢ し じ ぬ

眞梶繁貫き;
左右一対の楫を沢山貫き通し




かさ
累ぬる;
年月を経る


















うらみ
浦廻;(浦曲)

海岸の曲がって入り込んだ所。うらわ。



( )は書き忘れか
黄文字の
使用時母は類推


 も す そ  もすそ
裙須蘇;、裳裾
裳のすそ、衣の裾









                              第三紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                                    灰水青(浅葱色)
古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第三紙) 
                                  縦26.6cmx横48cm
 藍紙本万葉集


  第三紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

 清書用臨書用紙
   第三紙
 第三紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集) 



    一云於見
 無
   依來藻
1673
 かぜなきの うらのしらなみ いたづらに
 ここによりくる みるひとなしに

   右一首山上臣憶良類聚歌林曰、長忌

   寸意吉麻呂應
詔作此歌

1674
 我背児我 使將來歟 跡出立之 此松原乎
 今日香過南

 わがせこが つかひこむかと いでたちし
 このまつばらを けふかすぎなむ

1675
 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所
 沽香裳

 ふぢしろの みさかをこゆと しろたへの
 わがころもでは ぬれにけるかも

1676
 勢能山二 黄葉常敷 神岳之、山黄葉者今
 日散濫

 せのやまに もみぢつねしく かみをかの
 やまのもみぢは けふやちるらむ


1677
 山跡庭 聞往歟 大我野之 竹葉苅敷 盧為

 有跡者

 やまとには きこえもゆくか おほがのの、た
 かばかりして いほりありとは


1678
 木國之 昔弓雄之響 矢用 麻取靡坂上
 爾曾有留

 きのくにの むかしゆみをなる やもてし
 (し、かとりなびく さかのへにぞある)



 
 なし   ひとつには      
 無に 一云、ここに寄り来も

1673
 
可世那幾能 宇良能之良那美 以多川良爾
 己々爾与利久留 美留比止那之爾


                            ながのいみき
   右一首は山上臣憶良の類聚歌林に曰く、長忌寸
   
お き ま ろ  みことのり こた
   意吉麻呂、
詔に應へて此の歌を作るといへり

1674

             
いでたち         け ふ
 我背子が使来むかと出立の、この松原を今日か過ぎなむ

 
和可世己可 川可比己无可止 以天多知之
 己乃末川波良遠 計不可春支奈无



1675
    みさか                 ぬれ
 藤白の御坂を越ゆと白たへの、我衣手は沾にけるかも

 
布知之呂能 美左可遠己由止 之呂多部乃
 和可己呂毛天波 奴礼爾个留可毛



1676
     もみぢ    かみおか          けふ  
 背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ


 世能也末爾 毛美知徒禰之久 可美遠可能
 也末乃毛美知波 計不也知留良武


1677
               
おほがの   たかは      いほり
 大和には聞こえ行かぬか大我野の、竹葉刈り敷き廬有とは

 也末止爾波 幾己衣毛由久可 於保可乃々、多
 可波可利之天 以本利安利止波

1678
 
きのくに        なり や も   か とり なび   さかのへ
 紀国の昔弓雄の響矢用ち、鹿取靡けし坂上にぞある

 
幾能久爾乃 武可之由美遠那留 也毛天志
 (之、可止利奈比久 左可乃部爾曾安留)





                                                            ページトップ アイコン




水色文字はかな部分の使用字母




みことのり
詔;(御言宣)
天皇のお言葉。





















たかは

竹葉;
竹の葉。笹葉。


なりや  かぶらや
響矢;鏑矢の異称
先に鏑を付けた矢、風が入って響きを発する

かとり
鹿取;鹿を獲る


ここの( )は第四紙に在り



                      第四紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                              灰水青(浅葱色)

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第四紙)  
                                 縦26.6cmx横47.2cm
 藍紙本万葉集


  第四紙



清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

 清書用臨書用紙
   第四紙
  第四紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)

 (きのくにの むかしゆみをなる やもてし)
 し、かとりなびく さかのへにぞある


1679

 城國爾 不止將往來 妻姑 妻依來西尼 妻

       
 一云嬬給爾毛
 常言長柄
 嬬云長良

 きのくにに やまずかよはむ つまをこそ
 つまよりこさば つまといひながら


   右一首或云、坂上忌寸人長作。

  後人歌二首

1680
 朝裳吉 木方往君我 信土山 越濫今日曾 雨
 莫零根

 あさもよし きへゆくきみが まつちやま
 こゆらむけふぞ あめなふりそね

1681
 後居而 吾恋居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫

 おくれゐて わがこひをれば しらくもの
 たなびくやまを けふかこゆらむ


   献
忍壁皇子歌一首 仙人形

1682

 常之倍爾 夏冬往哉 裘 扇不放 山住人

 とこしへに なつふゆゆけや かはごろも
 あふぎはなたず やまにすむひと


   献舎人皇子歌二首

1683
 妹手 取而引與治 球手折 吾刺花 可開鴨

 いもがてを とりてひきよち うちたをり
 わがさすはなは ひらくべきかも


1684
 春山者 散過去鞆 三和山者、未含君待勝爾




 
 (幾能久爾乃 武可之由美遠那留 也毛天志)
 之、可止利奈比久 左可乃部爾曾安留


1679
 紀国に止まず通はむ都麻の社、妻依し来せね

 妻と言ひながら 一云、妻給ふにも妻と云ひながら


 幾能久爾々 也末春可与波无 川末遠己曾
 川末与利己左盤 川末止以比奈可良


                 
さかのへのいみきひとをさ
   右の一首は或は云はく、坂上忌寸人長の作なりといへり。
  
おく
  後れたる人の歌二首


1680            まつちやま
 麻裳よし紀へ行く君が信土山、越ゆらむ今日ぞ雨なふりそね

 安左毛与之 幾部由久支美可 末川知也万
 己由良无計不曾 阿女那布利曾禰


1681         
 遅れ居て吾恋ひ居れば白雲の、棚引く山を今日か越ゆらむ

 於久礼為天 和可己比遠礼盤 之良久毛乃
 多那比久也末遠 計不可己由良无

   おさかべのみこ  たてまつ
   忍壁皇子に献れる歌一首 
仙人の形を詠める

1682          かはごろも
 常しへに夏冬行けや裘、扇放たぬ山に住む人

 止己之部爾 奈徒不由々計也 可波己呂毛
 安不幾波奈多春 也末爾春武比止


    とねりのみこ
   舎人皇子に献れる歌二首

1683
 
妹が手を取りて引きよぢうち手折り、吾指す花は開くべきかも

 以毛可天遠 止利天比支与知 宇知多遠利
 和可左春者那盤 比良久部支可毛


1684            みはやま    いま
 春山は散り過ぐれども三輪山は、未だ含めり君待ちがてに





                                                            ページトップ アイコン



水色文字はかな部分の使用字母











 あさも

麻裳よし;
紀にかかる枕詞












かはごろも
裘;毛皮の上着
山僧の異称
釈迦が鹿皮の衣を着ていたことにちなむ














                          第五紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                              灰水青(浅葱色)

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第五紙) 
                                  縦26.6cmx横47.2cm

 藍紙本万葉集


  第五紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

 清書用臨書用紙
   第五紙
  第五紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)



  高嶋作歌二首
1690
 たかしまの あどかはなみは さわくとも
 われはいへおもふ やどりかなしみ

1691
 客在者 三更刺而 照月、高嶋山 隠惜毛

 たびにあれば よなかをさして てる月の
 たかしまやまに かくらくをしも

  紀伊國作歌二首
1692
 吾恋 妹相佐受 玉浦丹、衣片敷 一鴨將寐

 わがこふる いもにあひさず たまのうらに
 こ
ろもかたしき ひとりかもねむ

1693
 玉匣 開巻惜 悋夜矣 袖可禮而 一鴨將寐

               

 たまくしげ あけまくをしき あ らよを
 ころもでかれて ひとりかもねむ


  鷺坂作歌一首
1694
 細比禮乃 鷺坂山 白管自、吾爾尼保波尼 妹

 爾未
(示)

 ほそひれの さぎさかやまの しらつつじ
 われににほはで いもにしめさず


  泉河作歌一首
1695
 妹門 入出見川乃 床奈馬爾、三雪遣 未冬鴨

 いもがかど いそでみかはの ゆかなめに、み
 ゆきのこれり いまだふゆかも


  名木河作歌三首
1696
 衣手乃 名木之川邊乎 春雨、吾立沽等 家

 念良武可


 
1690
 高島の阿渡川波は騒ぐとも、吾は家思う宿り悲しみ

 多可之末能 安止可波奈美波 左和久止毛
 和礼盤以部於毛不 也止利加奈之美

1691     よなか
 旅なれば三更をさして照る月の、高島山に隠らく惜しも

 太比爾阿礼盤 与那可遠左之天 々留月能
 多可之末也末爾 加久良久遠之毛


  紀伊国にして作れる歌二首
1692
 
わが     いも  あは         ころもかたし
 吾恋ふる妹に相さず玉の浦に、衣片敷きひとりかも寝む

 和可己不留 以毛爾安比左春 多末乃宇良爾
 己
呂毛可多之支 比止利可毛禰武

1693                  ころもでか
 玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を、袖離れてひとりかも寝む

                    

 多末久之計 安个末久遠之支 安良与遠
 己呂毛天可禮天 比止利可毛禰无


  
さぎさか
  鷺坂にして作れる歌一首
1694
 
たく ひ れ                 にほ
 細領巾の鷺坂山の白つつじ、吾に染はね妹に示さず


 保曾比礼乃 左支左可也末能 之良徒々之
 和礼爾々保者天 以毛爾之女左春



  泉河にして作れる歌一首
1695           ゆかなめ   みゆき
 妹が門いそで見川の床滑に、深雪残れり未だ冬かも

 以毛可々止 以曾天美可者能 由可奈女爾、美
 由幾乃己礼利 以末多不由可毛


  
な ぎ かわ
  名木河にして作れる歌三首
1696            はるさめ           おも
 衣手の名木の川邊を春雨に、吾立ち沾ると家念ふらむか






1695   かどい      とこなめ   みゆき
 「妹が門入り泉河の常滑に、深雪残れり未だ冬かも」とする説もあり

                                                            ページトップ アイコン
歌1685〜1689は欠落



水色文字はかな部分の使用字母


 よなか
三更;さんこう
五更の一つ。
凡そ午後11時〜午前1時頃。子の刻に当る


 かたし
片敷き;
片敷くこと。独り寝。

  
えんじ
;衍字かも






 たく ひ れ
細領巾;栲領巾
楮の繊維で作った領巾

 たく ひ れ
栲領巾の;枕詞
「白」「鷺」「かけ」にかかる

;書き忘れか






















古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第一紙


古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第二紙


古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第三紙

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第四紙


古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第五紙