『安宅切』 和漢朗詠集  巻子本 第十二紙
                            巻子本用一紙(8寸×8寸8分5厘) 戻る 安宅切 一覧へ 戻る 商品情報 一覧へ
 鳥の子製 装飾料紙 純金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ砂子 (暈し・雲紙その他)

和漢朗詠集の書写本で藤原行成筆と伝えられている安宅切の第十二紙になります。書写用の料紙としては西本願寺本三十六人集に並ぶほどの美しい装飾が施された料紙になります。実物の安宅切は一紙、横約八寸前後・縦約八寸八分五厘の大色紙大の料紙で元は巻子本です。隣同士の料紙にまたがって下絵が施されており、料紙を繋いだ状態で泥書が施されたものと推察できます。安宅切には金銀切箔砂子が施されておりますが、本料紙では金銀切箔は施しておりません。(書き易さと価格面を優先した為でありその点ご了承ください。勿論中小切箔を施したタイプの物も御座います。)今回の写真は約三十年程前に製作された物で純金銀泥を使用している為、一部に銀焼け部分が御座いますがご了承下さい。臨書用紙はもちろん通常の清書用料紙としてもご利用いただけます。


写真をクリックすると別色が御覧に為れます。
巻子本 『安宅切』 (和漢朗詠集) 金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ  一覧へ
巻子本『安宅切』です。使用されている装飾料紙は巻子用大色紙で、染紙や雲紙に隈ぼかし更に純金銀泥で州浜と菅千鳥などが描かれ、金銀大小切箔ノゲが散らされております。本清書用では切箔を除いて書き易さ、書の見易さを優先しております。勿論、金銀切箔ノゲを振ったタイプの物も御座います。

安宅切紙
写真をクリックすると部分拡大が御覧に為れます。(順次掲載予定です)

『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十二紙 (明灰色) 拡大へ 『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十一紙 (栗梅色) 拡大へ 『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十紙 (水灰色) 拡大へ 『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十紙 (明灰色) 拡大へ 『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第一紙 (ベージュ色) 拡大へ
第十二紙(明灰色) 第十一紙(栗梅色) 第十紙・雲紙(水灰色) 第二紙(明灰色) 第一紙(ベージュ色)


安宅切 第十二紙(明灰色)

『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十一紙 左上側部分拡大 (明灰色) 部分拡大へ  淡色染 金銀泥下絵 『安宅切』 (明灰色) 拡大へ 
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本文・使用字母及び解説
                 本文 水色文字は使用字母          読み下し
716
 
嫌褰錦帳長薫窮、悪巻珠簾晩

 著


717
 欲
今日新飢爨、泣賣先朝奮賜

 筝
紗教防老今
      帰江

718
 
安末川可世 久毛能□與比知 布幾止知與、

 遠止女乃寸可多 之波之東々免無。


   遊女


719
 秋水未鳴遊女佩、寒雲空満
□夫

 山
賀蘭
      遂


黄文字前紙にあり

716
嫌ふらくは錦帳を掲げて長く窮を薫ずることを、
にく     たますだれ     おそ
悪むらくは珠簾を巻いて、晩く
かんざし

釵を著くることを

                    
きんちょう
錦帳;錦のとばり。装飾された垂れ絹。布帛。
室内に垂れ下げて室内を隔てるのに用いる。

717        きさん  
今日の新たなる飢竃に充てんとして、泣く泣く
    
ふる
先朝の旧く賜へる筝の琴を売る。(紀長谷雄


718
あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ、

をとめのすがた しばしとどめむ。(良岑宗貞

□は「可」の書き忘れか


719          をもの
秋の水は未だ遊女の佩を鳴らさず、
寒雲は空しく望夫の山に満てり。
                  (賀蘭遂)
はい
佩;貴人が腰帯に下げた玉などの飾り。玉佩

□は「望」の書き忘れか


716
嫌われることは錦帳を掲げて長い間困窮をにおわせる事。
非難されることは珠簾を巻いて夜遅くに簪を露わにすること。

717
今日の新しい貧食に宛がおうとして、先帝の朝廷より古くから受け賜わっていた筝の琴を売ってしまったよ。

718
天つ風雲の通い路吹き閉ぢよ、乙女の姿暫し留めむ。
天上の風よ(天女たちが帰って行く)雲の中の通り道を吹き閉ざしておくれ。天の舞姫たちの艶やかな姿を、
もうしばらくの間(ここに)留めておきたいのだから。


   遊女

719
秋の水は未だに遊女の腰に付けた珠飾りの揺れる音を鳴らしてはいない、
寒々とした雲は空しくも遠く人夫の山に満ち足りているよ。(冷え切った雰囲気が人夫達を覆い尽くしているよ)




 
 
蓮の花の情景ともとれるし、沐浴する女人の
姿ともとれる。

爨;かまど。かしぐ。
米・麦などを煮たり蒸したりして飯とする。



宮中で一節、五節の舞が催された時の歌。

雲の通い路;夢の通い路などと同じく、
本来あるはずのないものを詠った歌道。
幻想的に物事を表したいときに使う。



をもの たまはい
佩;玉佩。貴人が腰帯に下げた玉などの飾り。





『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十二紙 左上側部分拡大 (明灰色)  別部分へ
 安宅切 第十二紙

左上側部分拡大


左端に見えるベージュ色の部分は
第十二紙です。
金銀泥下絵は両紙またがって
描かれております。

左上側部分拡大        安宅切 第十二紙  

『安宅切』 金銀泥下絵 大小切箔ノゲ振 第十二紙 右下側部分拡大 (明灰色) 一覧へ
 安宅切 第十二紙

右下側部分拡大


右端に見える栗梅色の部分は第十紙です。

金泥下絵は両紙またがって
描かれております。


右下側部分拡大        安宅切 第十二紙   


 きのはせお
紀長谷雄;平安時代前期の漢詩人でもあり、文章博士として菅原道真の知遇を受け文名が高かった。藤原時平らとともに延喜格の編纂に加わり、勅使、外交文書等の起草に当たった。紀歌集としては断簡を残すのみであるが、詩文は「朝野群載」「本朝文粋」などに収まっている。寛平6年(894年)道真が遣唐大使に任ぜられた際には、長谷雄も同副使に任ぜられたが、結局渡航は中止となった。和歌を詠んだものは少なく『日本紀寛宴和歌(906年)』に記載がある。(生年845~没年912) 一族に紀貫之、紀友則、紀有常、惟喬親王など。

よしみねのむねさだ
良岑宗貞;遍照の俗称。平安時代初期の歌人であり、僧侶。六歌仙及び三十六歌仙の一人。桓武天皇の王子である大納言安世の子供である。仁明天皇の寵愛を受け蔵人頭となるも、天皇崩御後には出家して円仁・円珍両僧に天台宗を学び京都に元慶寺を創設して僧正となる。流暢な歌を詠み、小野小町との贈答歌が有名となっている。(生年816~没年890)






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