本阿弥切・断簡(古今和歌集巻第十七 雑歌上)拡大1              戻る 本阿弥切 一覧へ

                                    写真をクリックすると拡大画面になります 昭和初期模本
薄茶・花襷具引剥奪唐紙料紙半葉分

                                                                 

本阿弥切 断簡 具引剥奪唐紙 薄茶 『花襷』 古今和歌集巻十七 雑歌上 花襷(はなだすき)  本阿弥切断簡
 (古今和歌集巻第十七 雑歌上)



解説及び
使用字母



清書用 臨書用紙 本阿弥切 薄茶 『花襷』
清書用
 薄茶『花襷』

 
歌番号は元永本古今和歌集での通し番号(歌の一部が異なっている場合も同じ番号で記載)          
( )内の歌番号は小松茂美氏監修「本阿弥切古今集」(二玄社発行)の通し番号(類推含む)    解釈(現代語訳)へ
    かんぺいのおほん 
   寛平御ときのきさいのみやのうたあわせ
   のうた      ありはらのむねやな
910                     (902)
 しらゆきの やえふりしける かへる山、かへる
 がえる〇 おいにけるかな


   おなし御ときの上さぶらひにて、をのこど
   もにおほみきたまひて御あそびなどあり
   けるついでに、つかまつれる

            としゆきの朝臣
911                           (903)
 おひぬとも などか我みを せめぎけん、おいずは今日

 に あはましものか

       だしいらず     よみびとしらず

912                     (904)
 ちはやぶる うぢのはしもり なれをしぞ、あはれ
 とおもふ としのへぬれば


                 
   寛平御止支乃支佐以乃美也乃宇多安波世
   乃宇多   安利者良乃武年也那

910
 之良由支乃 也部不利之介留 可部流山,加部留
 〜゛□ 於意仁介留可奈


   於奈之御止支乃上左不良日仁天,遠乃己止
   毛仁於本美幾多末日天御安曾日奈止安利
   介留川以天仁、川可万川礼留

             止之由支乃朝臣

911
 於以奴止无 奈止可我美遠
世女支介无,於以寸波今日
 爾安者万之毛乃可

      多之以良寸     與美比止志良寸

912
 知波也古留 宇知乃者之毛利 奈礼遠之曾
,安波礼
 止於毛不 止之乃部奴礼盤



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910
 しらゆきの やえふりしける かえる山、かへるがへる おいにけるかな

元永古今和歌集・公任本古今集(902)
 しらゆきの 八重ふりしける かえる山、かへるがへるも おいにけるかな


911
 おいぬと など我みを せめぎけ、おいずは今日に あはましものか

元永古今和歌集・公任本古今集(903)
 おいぬと などわが身を せめぎけ、おいずは今日に あはましものか


912
 ちはやぶる うぢのはしもり なれをしぞ、あはれとおもふ としのへぬれば

元永古今和歌集
 千はやぶる 宇治の橋守 なれをしぞ、とは思 年の経れば

公任本古今集(529)
 ちはやぶる うぢのはしひめ なれをしぞ、かなしとはおもふ 年のへぬれば


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 解説右側は

  使用字母

左側のひらがな中漢字の意味の通じるものは漢字で表記




○部分は「も」の書き忘れか





□は判読不能文字




「だしいらず」は
「だいしらず」の誤書写か











公任本古今集;
伝藤原公任筆古今和歌集


水色文字は他本との異なる箇所

















          現代語訳                                      解釈      解説及び使用字母へ 
 
  寛平(醍醐天皇)の御代の歌会の歌
                              在原棟梁

910
「白雪の八重降り頻ける帰山、返る返るも老いにけるかな」
真っ白な雪が幾重にも重なって絶え間なく降り続ける帰山で、重ね重ねに全くもって年を取ってしまったものだなあ。


  同じ御代の上様の侍所にて殿上人たちに
  大御酒を下されて宴会などが開かれた
  ついでに御作り申し上げた歌、
                            敏行朝臣

911
「老いぬともなどか我身を鬩ぎけん、老いずは今日に逢はまし物か」
老いてしまったとしてどうして我が身を責め恨んでいたのだろうか、年を取らなかったとして今日に出会う事が有っただろうか。


            お題無し           詠み人不明

912
「千早ぶる宇治の橋守慣れ惜しぞ、哀れと思ふ年の経ぬれば」
宇治の橋姫は何と残念なことよ、哀れに思いますよ、随分と年を過ごしてしまいましたのでね。


910
真っ白な雪が幾重にも重なって絶え間なく降り続けている帰りがけの帰山で、頻りに降り続けている雪を見て重ね重ね思うのですが全くもって年を取ってしまったものだなあ。と)との思いを詠んだ歌。
「八重降り頻く」と「返る返る」で絶え間なく迫り来る様子を年齢に重て思いを寄せたもの。

帰山;福井県南条郡鹿蒜村二ッ屋辺の山路。現在の今庄町帰辺り

敏行朝臣;=藤原敏行

911
(年を取ったと言ってどうしてこの身を恨みながら嘆いていたのでしょうか、もし年を取っていなければ今日のこの嬉しい事にも出会う事が有ったのでしょうか。)との意で年を経たとしても良い事もありますよ!との擁護の歌。



912
(宇治の橋姫様は慣れ親しんでいたので何かと残念なことですよ、しみじみとして深く心を惹かれる感じを抱きますよ。私も同じく随分と年月を過ごしてしまいましたのでね。)と我が身を重ねて労わる意を詠んだ歌
ちはや
千早ぶる;枕詞。「うぢ」「神」などに掛る。
はしもり   はしひめ
橋守;=橋姫。橋を守る女神。特に山城國の宇治橋を守っていると云う神。又、宇治に住む愛人を例えて云う。


ありわらのむねやな

在原棟梁;平安前期の歌人で在原業平の子供。古今和歌集に4首、後撰和歌集に2首、続後拾遺和歌集1首が有る。


ふじわらのとしゆき
藤原敏行;平安初期の歌人で、三十六歌仙の一人。三十人撰にも登場するが知られている歌は全て合わせても28首と少ない。詳細は不詳であるが、古今集中には敏行朝臣と出ていることから、おそらく四位であったろうと推察される。生没年不詳。


はしひめ
橋姫;宇治の橋姫。嵯峨天皇の時代に、嫉妬の為に宇治川に身を沈めて鬼となり、京の都中の男女を食い殺したと云い伝わる女。
又、橋を守ると云う女神で、京都府宇治市宇治橋にある橋姫神社の女神とされ、男神との恋愛説話がある。


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