写真をクリックすると拡大画面になります 昭和初期模本
薄茶・花襷具引剥奪唐紙料紙半葉分
花襷(はなだすき) | 本阿弥切断簡 (古今和歌集巻第十七 雑歌上) 解説及び 使用字母へ 清書用 薄茶『花襷』 |
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歌番号は元永本古今和歌集での通し番号(歌の一部が異なっている場合も同じ番号で記載) ( )内の歌番号は小松茂美氏監修「本阿弥切古今集」(二玄社発行)の通し番号(類推含む) 解釈(現代語訳)へ
「介」は「个」とすることも。 929 宮こまで ひびききこゆる からことは、なみのをすげて かぜぞひきける 元永古今和歌集・ 真静奉仕 都まで ひびきかよへる からことは、なみのをすげて 風ぞひきける 公任本古今集(921) 心性法し みやこまで ひびききこゆる かからことは、なみのをすけて かぜのひきける 930 こきちらす なみのしらたま ひろひおきて、よのうきときの なみだにぞかる 元永古今和歌集・ 在原行平朝臣 こきちらす なみのしら玉 ひろひおきて、よのうきときの なみだにぞかる 公任本古今集(922) こきちらす たきのしらたま ひろひおきて、よのうきときの なみたにそかる 931 ぬきみだる 人こそあるらし しらたまの、まなくもちるか そでのせばきに 元永古今和歌集 業平朝臣 ぬきみだる 人こそあるらし しらたまの、まなくもちるか そてのせばきに 公任本古今集(923) ぬきみたる 人こそあるらし 白玉の、もなくもちるか そてのせはきに |
一行目は第六紙 解説右側は 使用字母 左側のひらがな中漢字の意味の通じるものは漢字で表記 ○部分は「ん」の書き忘れか 「不」は見消、右側に「日」の文字 □は不明文字 恐らく「无」 「だしいらず」は 「だいしらず」の誤書写か 公任本古今集; 伝藤原公任筆古今和歌集 水色文字は他本との異なる箇所 |
現代語訳 解釈 解説及び使用字母へ
唐琴;中国から伝わった筝(十三弦の琴)・琴(七弦の琴)の類の呼び名。 しんせいほうし 真静法師;詳細不詳。古今和歌集に2首あるのみ。公任本古今和歌集では「心性法し」 もう一つの歌は「煙立ち燃ゆとも見えぬ草の葉を誰がわらびと名付け初めけむ」である。二の歌からすると書写人による歌から連想される当て字で、その人物像は靄に包まれている。或は世に名を残したくない位の高い御仁の仮初の名であったのかもしれない。 ありわらのゆきひら あぼしんのう だざいのごんのそち 在原行平;平安時代初期の歌人。阿保親王の第二皇子で、業平の兄上。大宰権帥として功績を治め、中納言民部卿の時、平安時代の大学別曹の一つで藤原氏の勧学院に倣い、皇室から出た諸氏の子孫で学問に志ある者を収容する奬学院を建てた。須磨に隠棲していた時のことが能楽の「松風」として演じられるなど浄瑠璃や歌舞伎の題材とのなる。生年818年〜没年893年。 ありわらのなりひら 在原業平;平安初期の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。阿保親王の第五皇子で、在五中将とも呼ばれた。兄の行平と共に826年に在原性を賜った。伊勢物語の主人公と混同され、伝説化されて容姿端麗、情熱的な和歌の名手で、二条后との密通や伊勢斎宮との密通などより、色好みの典型的な美男子とされ、能楽や歌舞伎或は浄瑠璃などの題材ともなった。紀有常の娘を妻とし、官位は蔵人頭、従四位に至る。紀貫之も古今和歌集序の中に「その心余りて言葉足らず」と評するなど情熱的歌人で有ったことを物語る。生年825年〜没年880年。 ページ |