写真をクリックすると拡大画面になります 昭和初期模本
薄茶・花襷具引剥奪唐紙料紙半葉分
花襷(はなだすき) | 本阿弥切断簡 (古今和歌集巻第十八 雑歌下) 解説及び 使用字母へ 清書用 薄茶 |
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歌番号は元永本古今和歌集での通し番号(歌の一部が異なっている場合も同じ番号で記載) ( )内の歌番号は小松茂美氏監修「本阿弥切古今集」(二玄社発行)の通し番号(類推含む) 解釈(現代語訳)へ
「个」は「介」とすることも。 951 よのなかに いづらわが身の ありてなし、あはれとやいはむ あなうとやいはむ 元永古今和歌集・ 詠人しらず よのなかは いづらは我身 有てなし、憐とや云む あなうとや云む 公任本古今集(943) 世中に いづらは我身 ありてなし、あはれとやいはむ あなうとや云む 952 山さとは もののわびしき こともあれ、よのうきよりは すみよかりけり 元永古今和歌集・ 詠人しらず 山里は 物のわびしき 時こそあれ、よのうきよりは 住よかりけり 公任本古今集(944) 山里は ものさびしかる ことこそあれ、よのうきよりは すみよかりけれ 953 しらくもの たえずたなびく みねにたに、すめばすみぬる よにこそありけれ 元永古今和歌集 惟喬親王 しらくもの たえずたなびく 岑に谷、すめばすみぬる よにこそありけれ 公任本古今集(945) しら雲の たえずたなびく みねにたに、すめばすめばすまるる ものにざりける 954 しりにけん ききてもいとへ よのなかは、なみのさはぎに かぜぞしくめる 元永古今和歌集・ 布留今道 しりにけむ ききてもいとへ よのなかは、なみのさはぎに かぜぞふくめる 公任本古今集(946) しりにけむ ききてもいとへ 世中は、なみのさはぎに かぜぞ吹める |
一行目は第六紙 解説右側は 使用字母 左側のひらがな中漢字の意味の通じるものは漢字で表記 行の途中から次の歌が始まる 公任本古今集; 伝藤原公任筆古今和歌集 水色文字は他本との異なる箇所 水色文字「すめば」は見消ち |
現代語訳 解釈 解説及び使用字母へ
これたかのみこ もんとくてんのう きのなとち 惟喬親王;文徳天皇の第一皇子で、母は紀名虎の娘静子。大宰帥、常陸守、上野太守を歴任。同じく第四皇子である惟仁親王(後の清和天皇)の外戚藤原良房の力が強すぎて、出自の低さを問われ第一皇子でありながら皇位継承はならなかった。剃髪して山城の國愛宕郡にある小野の里に隠棲して小野宮と云われた。木地師の間では伝承によりその祖とされている。生年844年〜没年897年 ふるのいまみち 布留今道;平安初期の貴人・歌人で、詳細は不詳。奈良県天理市布留にある元官幣大社である石上神宮の代々の神主であった布留氏の系統との説もある。元慶6年(882)従五位下、晩年の寛平10年(998)次官の三河介として地方の赴任となる。生没年不明。 いと 厭う;嫌だと思う。疎ましく思う。嫌う。又「世を厭う」の形で出家する。仏門に入る。 さは 騒ぎ;慌ただしく落ち着かない事。異変。 し 頻く;動作がしばしば繰り返される。事態が重なって起こる。 める;…と見える。…のようです。…らしい。「めり」の連体形「める」。原義は「見あり」で、後に推量の用法が加わったもの。 ページ |