写真をクリックすると拡大画面になります 昭和初期模本
極薄茶・大菊唐草具引剥奪唐紙料紙半葉分
大菊唐草(おおぎくからくさ) | 本阿弥切断簡 (古今和歌集巻第十八 雑歌下) 解説及び 使用字母へ 清書用 薄茶 現在左写真部分と同柄の臨書用紙は作成しておりません上掲の物を代用するか白の夾竹桃を代用して下さい。 作成したらお知らせ致します。 |
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歌番号は元永本古今和歌集での通し番号(歌の一部が異なっている場合も同じ番号で記載) ( )内の歌番号は小松茂美氏監修「本阿弥切古今集」(二玄社発行)の通し番号(類推含む) かな 使用字母 解釈(現代語訳)へ
「與」は「与」とすることも。 「个」は「介」とすることも。 「禮」は「礼」とすることも。 965 よをすてて 山にいる人 山にても、なほうきときは いづちゆくらん 元永古今和歌集・ 詠人しらず よをすてて やまにいるひと 山にても、猶うき時に いづちゆくらむ 公任本古今集(956) よをうしと 山にいる人 山ながら、またうきときに いづちゆくらむ 966 いまさらに なにおひいづらん くれたけの、うきふししげき よとはしらずや 元永古今和歌集・ 詠人しらず 今更に なにおひいづらむ たけのこの、うきふししげき よとはしらずや 公任本古今集(957) いまさらに なにおひいづらん たけのねの、うきふししげき よとはしらずや 967*(958) よにふれば ことの葉しげき くれたけの、うきふしごとに うぐい○ぞなく 元永古今和歌集 欠落 公任本古今集(958) 詠み人しらず よにふれば ことの葉しげき くれたけの、うきふしごとに うぐいすぞなく 967 きにもあらず くさきもあらぬ たけのよの、はしに我身は なりぬべらなり 元永古今和歌集・ きにもあらず くさきもあらぬ たけのよの、ふしにわが身は なりぬべらなり 公任本古今集(959) 木にもあらず くさきもあらぬ 竹のよの、ふしに我みは なりぬべらなり |
一行目は第六紙 解説右側は 使用字母 左側のひらがな中漢字の意味の通じるものは漢字で表記 行の途中から次の歌が始まる 967*元永古今では欠落 ○部分は「す」の書き忘れか 公任本古今集; 伝藤原公任筆古今和歌集 水色文字は他本との異なる箇所 水色文字「すめば」は見消ち よ 節;竹や葦などの茎の節と節の間 |
現代語訳 解釈 解説及び使用字母へ
やまほうし 山法師;比叡山延暦寺の僧のことで、特にその僧の内武装した僧たちの事を云う。寺の下級僧徒で、仏法保護の名のもとに武芸を練り戦闘に従事した。 又寺法師と云った場合には特に三井寺の僧を指し、奈良法師と云えば東大寺や興福寺などの法師の事でこちらも僧兵として名高い。山法師や奈良法師がいる事で寺は当時の政治を動かすほどの力を持っていた。 おおしこうちのみつね うだ・だいごりょうてんのう みぶのただみね 凡河内躬恒;平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、紀貫之・壬生忠岑・紀友則らと共に古今和歌集撰者の一人。卑官ながら歌歴は華々しく即興での叙景歌の吟詠に長けていたとされ、家集に躬恒集があり、古今集以下の勅撰集にも194首入集している。官位は従五位、淡路権掾。生没年未詳(860年前後〜920年代半頃)。 ごんのじょう すけ さくわん 権掾;律令制で國の四等官の第3位で、「権」は臨時又は定員をオーバーして仮に置かれた役職。次官の下で主典の上に位する。事務上の過誤の摘発や公文書の審査、宿直の割当てなどを担当した。 たけ よ ふし ふし 竹;木でもない草でもない、中途半端な物の意。「竹の節」は節と節との間の部分(節間)で緑色をしており、地表から葉先まで緑なのでまるで草の様でもあり、然も大型で節間と節とは硬い事からあたかも木の様でもある。何れ付かずで中途半端の意。 ページ |