寸松庵(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻一 春上
具引唐紙『亀甲紋』(蜜柑茶色)「年経れば」 田中親美氏作模写本
寸松庵色紙は古今和歌集の四季の歌を精撰して書写したもので、元は粘葉本と思われる冊子に書写されたものが分割され、色紙の形に残ったもの。佐久間将監が京都大徳寺の離れ寸松庵で愛玩していた事により、江戸の初めに寸松庵色紙と名付けられたもの。元々堺が繁盛していた頃に南宗寺の襖に三十六枚の色紙が貼られており、その内の十二枚を寸松庵に譲り受けたもの。残りの幾つかは烏丸光弘が譲り受けている。
茶掛けとして古筆が持て囃されてくると、この小さな色紙もその散らし書きの美しさからやがて陽の目を見ることとなり、後の世に高値で取引されるに至った。
かな 水色文字は使用時母
たっちゅう しゅうほうみょうちょう
大徳寺;京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山で、広大な敷地にいくつもの寺(塔頭)が散在し山号は竜宝山。宗峰妙超の大徳庵に始まり、開基は赤松則村。花園上皇・後醍醐天皇の祈願所でもあった。15世紀には一休さんらにより再興。壮大な造の建築と美しい庭園が多く、貴重な美術品や壁画・障屏画などを多く遺す。千利休・小堀遠州らが庵を結んだことでも有名。
然し乍ら幕府との繋がりが強かった事を快く思っていなかった明治政府によって、寺院の縮小を余儀なくされることとなり多くの院や庵が取潰されている。
寸松庵はその塔頭の一つでありその離れに茶室寸松庵があったが、後に龍光院に併合され、茶室の寸松庵も売りに出されることとなった。