三十六人集選集 ギラ引唐紙『七宝紋』(清書用臨書用紙)      戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ 戻る 『公忠集』  一覧へ

公忠集第五紙料紙、ギラ(雲母)引唐紙『七宝紋』の部分の清書用臨書用紙になります。七宝紋は一つの紋が隣接する他の紋と柄の一部を共有する輪違の七宝繋ぎとなっている柄になります。紋の中に花柄と葉の簡略化された図案で、唐草柄とは異なり紋と呼んでおります。紋を摺り出した料紙も唐草を摺り出した料紙も共に唐紙と呼びます。全体的に柄としてはすっきりとしているので圧迫感も感じられませんので墨を乗せ易いから紙と成ります。公忠集そのものには裏面にも歌が書かれておりますが、表面のみの加工ですので表面のみの使用と御承知おきください。裏面にも墨入れをすることは可能ですが、裏面を使用するには力量が必要となります。裏面の歌の臨書をご希望の場合には具引唐紙『鉄線唐草』(花鳥折枝)又は同じ柄、若しくは白具引(花鳥折枝)をご用意ください。

三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (公忠集)   地を金雲母でギラ引し、唐草柄が色胡粉で施されている為全体的にぎらぎら感が強い様に感じられていますが、何方の上にも墨が乗るように加工が施されておりますので、安心してお使いいただけます。
参考写真です
公忠集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 書拡大へ
唐紙料紙の書手本
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七宝紋・ギラ引唐紙(公忠集)・(半懐紙)
白色ギラ引きにつや消し唐草
 
 
 ギラ引唐『七宝紋』左上側部分
三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (公忠集) 
 ギラ引唐
『七宝紋』

左上側部分
 七宝紋・ギラ引唐紙 左上側部分(公忠集)花鳥折枝金銀袷型打
白色ギラ引きに胡粉柄摺り(つや消し七宝柄)
 
 ギラ引唐『七宝紋』右上側部分
三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (公忠集) 
ギラ引唐
『七宝紋』

右上側部分
 七宝紋・ギラ引唐紙 右上側部分(公忠集)花鳥折枝金銀袷型打
白色ギラ引きに胡粉柄摺り(つや消し七宝柄)
 
 ギラ引唐『七宝紋』
三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (公忠集) 拡大 
ギラ引唐
『七宝紋』
 
七宝紋・ギラ引唐紙(公忠集)花鳥折枝金銀袷型打
白色ギラ引きに胡粉柄摺り(つや消し七宝柄)
 
 


 書手本

三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (公忠集) 第五紙 解説及び使用字母
 ギラ引唐紙(白母引地胡粉柄) 『七宝紋』(公忠集)書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘
第五紙                                  

歌番号は公忠集での通し番号                  青色文字は使用字母      解釈(現代語訳)
33
 (からころも ぬきすてかたを 我やきむ、ただ)
 めのまへに かけてこそみめ


  延喜五年八月十五日
34
 にしへも あらじとぞおもふ あきのよの、つき
 のためしは こよひなりけり

35
 をりのぼり みるかひもなし しらゆきの、
 やまのたのみし きみしなければ

    このうた延喜のみかどかくれさせ
    たまひて殿上もせざりけるほどに
    やまにゆきのかかりたりけるをみ
    やりてよめる

  九月晦のほどに殿上のひとびともみぢみむと
  て、ひむがしやまのかたにありきて

       掃部助
36
 さしてゆく かたもしられず あきののに,

  とありければ

       千古
 もみぢをみつつ とまるひなれば


  延喜四年中宮御屏風に海のうゆくふね
  かけるところに


33
 加良己呂毛 奴幾寸天加多遠 我也幾无、太々
 女乃末部爾 加計天古曾美女


  延喜五年八月十五日

34
 爾之部毛 安良之止曾於毛不 安幾乃與乃,徒支
 乃多女之者 己與比奈利計利

35
 遠利乃保利 美留可比毛奈之 々良由幾乃、
 也末乃多能美之 幾美之奈計礼盤

   己能宇多延喜乃美可止可久礼左世
   多末比天殿上毛世佐利計留保止仁
   也末爾由幾乃可々利堂利計留遠美
   也利天與女留

  九月晦乃保止仁殿上乃比止?毛美知美武止
  天、比武可之也末乃可多仁安利幾天

      掃部助

 佐之天由久 可多毛之良礼寸 安支乃々爾

   止安利計礼者

      千古
 毛美知遠美川々 止末留比奈礼者


  延喜四年中宮御屏風爾海乃宇由久不禰
  可計留止己呂爾


「禮」は「礼」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。

           現代語訳                  解釈         解説及び使用字母

33

「唐衣脱ぎ捨て方を我や着む、只目の前に掛けてこそ見め」
唐衣脱ぎ捨てたばかりではあるが私が着てみようか、否ただ目の前に
掛けてこそ見よう。


  延喜五年八月十五日(月の宴に)

34
「西へも非じとぞ思ふ秋の夜の、月の試は今宵なりけり」
西方浄土へもあるまいと思うが秋の夜の月の語り草は今夜であったよなあ。

35
「下り昇り観る甲斐も無し白雪の、山の頼みし君しなければ」
街道の往来は見る影もなく、白雪の様に山があてにしている君が居なかったならば。

    この歌は延喜の帝(醍醐天皇)がお亡くなりになられて
    殿上の間に昇る事も致してなかった時に
    山に雪が降って白くなっているのを遠くに
    望み見て詠んだ歌。


  九月の月末頃であったか、宮中の人々が紅葉を見物しよう
  と云って東山の方向に出歩いて、
         
かもんのすけ
         掃部助
36
「さして行く方も知られず秋の野に、」
これといって行くあても知らされないで秋の野に、

  とおっしゃられたので

         千古(太古の昔から)

「紅葉を見つつ留まる日なれば」
紅葉を眺めながら暫し佇む日和で御座いますので。


  延喜四年中宮の御屏風に海の東へ漕ぎ行く舟が
  描かれていた処に、(詠んだ歌。)



33
(たいそう珍しい高級な唐の着物を脱ぎ捨てたばかりではあるがもう一度私が着てみようか、否やはり着ないでおこう、只目の前に吊り掛けて存分に眺めるとしよう。)と変らぬ美しさを詠嘆した歌。

め;…よう。…つもりだ。意志・意向の意を表す助動詞「む」の已然形「め」。係助詞「こそ」を受けての已然形。


34
(月が西方にあると云う極楽浄土へ向かって行くと云う訳でもないだろうが、秋の夜の名月の話の種は今夜のことであったなあ。)

なりけり;…であったなあ。断定の助動詞「なり」に過去の助動詞「けり」。ここでは詠嘆を表す。


35
(街道の往来は寂れたように静まり返って見るに忍びないですよ、まるで白雪と同じで山が頼んだかの様な具合に、しんと静まり返って万物を覆い尽くすかの様に大君が居なくなってしまったので。生きていれば往来の賑わいもあったであろうに!私の足もすっかり遠退いてしまいましたよ)との意。


かんもりのすけ かもんれう
掃部助;掃部寮の次官の事。掃部寮は宮中の役所の名で、宮内省に属し宮中の諸行事の設営から施設の管理や清掃などを司る部所。

せんこ
千古;今昔としての大昔や時間の流れとしての大昔。千年の昔の意。

36
(ここですよと明確に指して行く場所も知らされないで秋の野に出かけてきましたが何故ですか、どうしてかと云えば紅葉を眺めながらその美しさを心に強く印象付けられる日だからですよ。)と上三句を受けて下の句を綴った歌。


中宮;藤原穏子のこと。皇后の別称。(それ迄は主に皇太后を指す称)

卯;方角の名で、「東」を表す。他に十二支の四番目、時刻の名として現在の午前六時ごろ(中心に前後の二時間ほどの間)。


月の宴;陰暦八月十五日と九月十三日の月を眺めて賞美すること。団子・芒・女郎花・里芋・枝豆・柿・栗等をお供えして酒宴を催したり、歌会などを開いたりする。

かもり  かにもり               フキアエズノミコト                 あめのおしひとのみこと はうき    はら   かんもりのむらぢ
掃部;蟹守の転。
豊玉姫尊がウガヤ葺不合尊を生むとき、産屋を立ててそこを天忍人命が箒で蟹を掃い、掃守連の祖となった故事により掃部司(大蔵省に属する官吏)の略語。後に内掃部司と統合して掃部寮となる。


37        の ど
「春の陽(日)の長閑けき浦を漕ぐ舟は、水底さへぞ静かなりける」
春の陽の当たる長閑な日に静で穏かな入江を漕ぎ行く舟は、水の底までもが静で穏かであったという事ですよ。

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