重之集 装飾料紙 破り継『於久川由爾』 (清書用臨書用紙)
破り継料紙 『於久川由爾』 花鳥折枝金銀袷型打 (6.7寸×10.5寸)
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破り継右上側部分 写真右上破り継・濃藍色 左上破り継・濃赤紫色 花鳥折枝金銀袷型打 台紙は具引唐紙「花唐草」 花鳥折枝金銀泥袷絵描き。 柳・枝松・紅葉・芒・蔓竜胆・千鳥など。実物の柄とは異なります。 |
重之集 臨書用紙 |
花鳥折枝金銀泥袷絵 柄は実物とは異なります 重之集 書へ |
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破り継右下側部分 写真右上破り継・濃藍色 右下破り継・黄土色 花鳥折枝金銀泥袷描き 蔓竜胆・桔梗・紅葉・芝桜・蝶々・千鳥など |
重之集 臨書用紙 |
左上破り継部分 花鳥折枝金銀泥袷絵 柄は実物とは異なります 重之集 書へ |
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左上破り継部分 破り継及び具引唐紙での花鳥折枝の見え方 破り継を挟んで左上が具引唐紙『二重唐草』(白色)、右下が具引唐紙『花唐草』(薄黄色)。 金銀泥袷絵は枝松・紅葉・柳・千鳥・蝶々。 |
重之集 臨書用紙 |
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左下破り継部分 花鳥折枝金銀泥袷絵 柄は実物とは異なります 重之集 書へ |
左下破り継部分 破り継及び具引唐紙での花鳥折枝の見え方 左側白色が具引唐紙『二重唐草』、右側薄黄色が具引唐紙『花唐草』。 金銀泥袷絵は紅葉・芝桜・草藤・千鳥・蝶々など。 |
重之集 臨書用紙 |
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破り継右上側部分 写真右上破り継・濃藍色 左上破り継・濃赤紫色 花鳥折枝金銀袷型打 台紙は具引唐紙「花唐草」 花鳥折枝金銀泥袷絵描き。 柳・枝松・紅葉・芒・萩・橘・草藤・千鳥など。 |
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花鳥折枝金銀泥袷絵 柄を見やすくしたもの |
破り継右下側部分 写真右上破り継・濃藍色 右下破り継・黄土色 花鳥折枝金銀泥袷描き 芒・紅葉・草藤・千鳥など |
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左上破り継部分 花鳥折枝金銀泥袷絵 柄を見やすくしたもの |
左上破り継部分 破り継及び具引唐紙での花鳥折枝の見え方 破り継を挟んで左上が具引唐紙『二重唐草』(白色)、右下が具引唐紙『花唐草』(薄黄色)。 金銀泥袷絵は枝松・桔梗・芝桜・ススキ・千鳥・蝶々。 |
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左下破り継部分 花鳥折枝金銀泥袷絵 柄を見やすくしたもの |
左下破り継部分 破り継及び具引唐紙での花鳥折枝の見え方 左側白色が具引唐紙『二重唐草』、右側薄黄色が具引唐紙『花唐草』。 金銀泥袷絵は枝松・紅葉・蔓竜胆・草藤・千鳥。 |
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重之集 書 縦6寸7分、横1尺5分5厘 破り継料紙『於久川由爾』白雲母 第三紙 歌番号は重之集での通し番号 青色文字は使用字母
「與」は「与」とすることも。 「个」は「介」とすることも。 「礼」は「禮」とすることも。 ( )黄色文字は次項にあり きくのつゆ 菊の露;菊の花の上に置いた露。菊の雫とも。菊に宿る露を飲むと長生きするとされていた。 きくのきせわた 菊の被綿;菊の花に綿を覆いかぶせたもの。重陽の節句の行事に行い、前夜のうちから菊の花に綿を覆って置きその露や香りを移し採ったのち、翌朝その綿で体を拭うと長寿を保つと云う謂れがあった。 14 露の降りてくるに任せて(真綿でそっと)包んでおいた菊の花、よくぞまあ物惜しみすることなく(為すが儘に分け与えてくれて)いたのだなあ。 さうのゑ 筝の会;筝の琴(十三弦の琴)の奏法を習う集まり。 をうな おうな 女;「をみな」のう音便。おんな。特に若い女性。また、「媼」と発音すると老女を表す。 けさうぶみ 懸想文;恋する想いを懸けた文。恋文。 15 秋であるがゆえに誰もがいろいろな色に染まって行くのだなあ(心の中の想い、特に秘めたる恋心が表情やしぐさに現れる)、人の心にも露が降りてきてしまっているんだろうね。 こたかがり 小鷹狩;ハヤブサ・ハイダカ・ツミなどの小形の鷹を用いてする秋の鷹狩。鶉・雀などの小鳥を捕獲する。 16 鷹狩りに来てほんの少しでさえも今は当たり前に思われることはない、秋の山辺の木霊が返って来ないので(返事が帰って来ないので)。 仮にも;一時的にも。かりそめにも。ほんの少しでも。また、後に否定の語を伴って、どんなことがあっても。 処;貴人の屋敷。または位置、地点。 かずさし のりゆみ 数差;賭射・競馬・相撲・歌合・根合(菖蒲根合)などの勝負を行う時の勝度数を計る為に串又は枝を数立てに差し入れること。またその人。 17 一体どうして一面錦に染まるものなのだろうか、(無色の露で染まるはずもないのに)とりわけ白露の沢山降りた方向には花にも勝って(色付いて)おりますよ。 返歌をくれない人に かへりごと 返り事;返事。返答。返歌。又は返礼。御返し。 18 誰かのせいで深く思い込んで入っていった山道だと云うのに、どうして返事すら掛けてくれないのだろうか ![]() ![]() |
みなもとのしげゆき とうぐうぼう とねりのつかさ
源重之;平安中期の歌人で、左馬助・相模権守を歴任、三十六人歌仙の一人として旅の歌を好んで残している。春宮坊の舎人監の役人の筆頭者として、皇太子の護衛に当たっていた時、後の冷泉天皇となる皇太子に奉った百種は、現存する最古の百種歌となっている。生年及び没年不詳。〜1000年頃と考えられている。
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