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重之集  綺羅引唐紙『米亀甲紋』 (清書用臨書用紙)

重之集 綺羅引唐紙 『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷絵 拡大
綺羅引唐紙 薄茶『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷型打 (半懐紙)


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 左上側部分 綺羅引唐紙 薄茶『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷型打
花鳥折枝金銀袷絵加工前です。
 重之集 書

重之集 綺羅引唐紙 『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷絵 拡大 
花鳥折枝金銀袷型打
前のものです

柄を見やすくしたもの
 
右上側部分 綺羅引唐紙 薄茶『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷型打
花鳥折枝金銀袷絵加工前です。
 
 


重之集 綺羅引唐紙 『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷絵 拡大 

花鳥折枝金銀袷型打
前のものです。

 右下側部分 綺羅引唐紙 薄茶『米亀甲紋』 花鳥折枝金銀袷型打
花鳥折枝金銀袷絵加工前です。
 
 


重之集 書手本

重之集 綺羅引唐紙 『米亀甲』 第十八紙 書 拡大   使用字母
及び解説
 重之集 書 縦6寸7分、横1尺5分5厘 綺羅引唐紙『米亀甲紋』(二重花亀甲紋) 第十八紙
 

歌番号は重之集での通し番号              青色文字は使用字母

165
 はりまのや しかまのいちに そめかすし、
 我かちにこそ 君をこひしか


   といへば思きみ、

166
 わがためは 君が心も あさみとり、そら事が
 ちの ことなきかせそ


   いまはあまりになりていひおこす

167
 山ふかく わがみはいりて いにしつき、おもひ
 いづるは おもひいづるは なみだなりけり


   かへす

168
 おもひいづる 心にかなふ なみだもて、いる
 ともやまは ふかからしはや

   あるやむごとなきところのあたりにて
   かぜにわづらふにゆゆでするに、かた
   ひらこへはいみじきしなののふる
   きかたひらをおこせたり、かへ
   すとて

169
 かへしやる みちにほとふる から衣、
 ここの物ぞと 人もこそみれ




165
 者利末乃也 志可末乃以遅爾 所女可春之、
 我可知爾己所 君遠己比之家


   止以部者思支三、

166
 和可太女波 君可心毛 安佐美止利、所良事可
 遅乃 己止那支可世所


   以末波安末利爾奈利天以比於己春、

167
 山不可久 和可三波以利天 以爾之川起、於毛比
 以川類者 於毛比以川類波 奈三太奈利計利



   可部春

168
 於毛比以川類 心爾可那不 奈三太毛天、以類
 止毛也末波 不可々良之者也

   安留也武己止奈支止己呂乃安太利爾天、
   可世爾和川良婦爾由々天春留爾、可太
   比良己部者以三之支志那乃々不留
   幾可太比良遠於己世太利、可部
   寸止天

169
 可部之也類 美遅爾保止不類 可良衣、
 己々能物所止 人毛己処美礼



「爾」は「尓」とすることも。
「礼」は「禮」とすることも。




165
播磨の飾磨の壱(褐)に感化されるようにかどわかされて、(人に負けまいとして)我先にと君のことを恋しく思いたいものだ。

 しかま の かち                    かちいろ
飾磨の褐;飾磨から産する濃い紺色または褐色の染色。或はそれにて染めた布のこと。

166
私にとっては貴方の心も淡い萌葱色の様ですよ(出て来たばかりの浅い緑色で、深味の無い)、偽りがちの言の葉をどうか聞かせないでおくれ。

  今となっては甚だしくなってしまって言ってよこす

167

山深くに入って行って過ぎ去ってしまった月日、思い出されるのは、返す返すも思い出されて来るのは涙ばかりですよ。

168
思い出されるのは心の中で願いに叶う涙であれ、そうすれば其処に居ようとも山は深くは(感じ)ないであろうよなあ!。

はや;感動・感嘆の意を表す助詞。終助詞「は」に間接助詞「や」の添えられたもの。

  あるやむを得ない状態にある所の辺りで風をわづらってしまったので湯治していると、帷子(が必要だとして)ここへはたいそうな信濃の古びた帷子を持ってこさせた。返す段になって、
かたびら
帷子;絹又は麻で編んだ単衣。夏衣装の一種で浴衣の類。

169
返して遣わす道すがらで(水分を含んで)ふやけてしまった唐衣、誰しもがここの湯治場から出て来た物だと見るでしょうね。

潤ぶ;水分を含んでふやける。



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みなもとのしげゆき
                                                            とうぐうぼう とねりのつかさ
源重之;平安中期の歌人で、左馬助・相模権守を歴任、三十六人歌仙の一人として旅の歌を好んで残している。春宮坊の舎人監の役人の筆頭者として、皇太子の護衛に当たっていた時、後の冷泉天皇となる皇太子に奉った百種は、現存する最古の百種歌となっている。生年及び没年不詳。〜1000年頃と考えられている。


                                                                     
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