巻子本 白氏詩巻 (7寸8分2厘×27尺9寸4分)     戻る 『白氏詩巻』巻子本 一覧へ 

   白氏の漢詩歌集(鈔本) (表面加工)昭和中期の模写本
*1                 .
伝藤原行成筆、白氏文集より撰出したと思われる鈔本の一巻である。元々幾つの詩文が存在していたかは不明であるが料紙一紙に詩文ほぼ一首、第二紙始に詩文末尾が有り、その後詩七首少なくとも計九首が納められており、末尾三葉には筆者の奥書と定信*2の奥書が残されている。尚、定信の奥書により、行成筆と同定されている。この後この巻子本は伏見天皇(1265~1317)の御蔵の品と為った後、暫くの時を経て霊元天皇(1654~1732)の持つ処と為り、職仁親王を経て有栖川宮家に継がれ代々伝えられたが、大正二年に高松宮家に継承されて後、秋萩帖と共に東京国立博物館で保管されている。                                           
 

こうろぜん      。
     
 第一紙(黄櫨染)       極薄灰色に紫の暈し
  古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第一紙・巻頭見返し (次へ)  
全長 縦25cm×横316cm
拡大図
左の写真をクリックして下さい
第一紙は黄櫨染(黄味を帯びた焦げ茶色)の染紙です。見返しには極薄灰色に紫をぼかした地に白雲母で大波柄を摺り出し、古風な霞雲を描いた装飾料紙が使用されております。見返し料紙は実物とは異なる仕様に成っております。
緞子表紙は濃い紫で、金茶色の締帯です。
この巻子本は昭和中期の模本であり、霊元天皇から有栖川宮家、高松宮家へと伝えられている零本を可能な限り原本に忠実に染めた料紙に模写したものです。現在巻子本原本はは東京国立博物館所蔵となております。    
拡大図

       見返し料紙 大波雲母摺装飾料紙
           古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 見返し料紙 (次へ)
見返し料紙部分
拡大図 白氏詩巻


見返し料紙
極薄灰色の具引地に紫のボカシを施し白雲母で大波(逆さ波)と漂う霞雲が表現されております。
かなり見辛いですが、ご了承下さい。
実物の見返しとは異なります。

          こうろぜん
     第一紙(黄櫨染) 白氏詩巻古筆臨書 巻子本『白氏詩巻』 第一紙(黄櫨染)
                                縦25cm×横26.5cm
伝藤原行成筆

文集①
(白楽天)

四韻詩

漢詩読み下しへ

清書用・臨書用紙 白氏詩巻  黄櫨染


清書用・臨書用紙 白氏詩巻

(第二紙) 第一紙 白氏詩巻  
              読み下し                            漢詩訓点    現代語訳へ
                 もてあそ
八月十五日夜、諸客の月を玩ぶに同じく。
   
このまし     つた                しずか
月の好くは共に傳ふ、ただ此の夜なりと、境の閑なるは
  
             すうざんひゃうり
皆道ふ、これ東都なりと。嵩山表裏
せんちゃう     らくすい  くぁうてい

千重の雪、洛水高低
 りゃうか  
ぎょく              しめ
両顆の玉。清景逢い難く愛惜を宜しうすべし、
         
たちま  かんご
白頭相勤めて強ちに歡娯す。誠に知りぬ

亦明年の層有るを、

清明強健を保ち得むやいなや


 

八月十五日夜、同
諸客翫一レ

月好共傳唯此夜、境閑

皆道是東都。嵩山表

裏千重雪、洛水高低

兩顆珠。
清景難逢宜

愛惜
白頭相□□歡娯。誠知

亦有
明年曾二レ得清

明強健
無。


 
                現代語訳                           漢詩読み下しへ 
                               
 『八月十五日の夜、一同皆が月を慰みとして大切に愛でるのと同様に』

月の良さを互いに伝え合い、今宵こそが最高の月夜であると。この地域が平和であるのは
                            
すうざん
皆が云うのだ、これこそが東の都(洛陽)なのだと。嵩山をすっぽりと覆い尽くす
            
したた
一面の雪、洛水へと滴り落ちる融水の雫はあたかも何れ劣らぬ宝玉のようである。
すがすが
清々しい景色との出会いは難しく、忘れてしまうのを惜しんで大切にするよう広く知らせるべきだ。
しらがあたま
白髪頭に成ってしまったが強いて心を励まして喜び楽しもう。心の底から解ったのだ
                   
もうろく
また一つ歳を重ねるということを、耄碌すること無く健康を保つことが出来るだろうか、それとも…。



 

この写真の左端一行分は第二紙の書出しに当たるが、実はこの部分、詩文「春早秋初因時即事兼寄浙東李侍郎・・・」の末尾と思われる部分である。この第一紙と二紙との間に少なくとも一紙分の詩文が存在していたことになる。或は料紙数葉分有ったのかも知れないが。



文集①

七言四韻詩






□は
脱落部分

勧強
の文字

以前闕
欠けているのは
の文字





すうざん
嵩山;中国河南省鄭州の南西にある名山。

らくすい
洛水;中国陜西省と河南省を流れる川








 *1
 はくしもんじゅう

白氏文集
; 中国、唐の時代に白居易(白楽天)のしたためた詩文集で71巻が現存している。824年元槇が編集したといわれる「白氏長慶集」の50巻に、自選の後集20巻および続後集の5巻を加えた全75巻のもの。平安時代に渡来し、文集と呼ばれて当時の文学に影響を与えるほど広くに愛読されていた。

*2
定信
;藤原定信(1088~1156)世尊寺流と云われる行成の書の伝統を伝えた世尊寺家の書家

すうざん
嵩山;中国河南省鄭州の南西にそびえる名山。五岳の一つで、標高1440メートル。少林寺や中岳廟が在る。嵩高山。中岳とも。

らくすい
洛水;中国陜西省と河南省を流れる川。陜西省南東部の秦嶺に源を発し、河南省洛陽の南を流れて黄河に注ぐ。洛河。

せいめい
清明;清く明らかなこと。曇りのないこと。また二十四節気の一つで、陰暦三月の節。冬至から百五日目春分から十五日目(現在の四月五日頃)。

はくきょい
白居易;中国、唐の時代の代表的詩人の一人で、山西省太原の出身。字は楽天で白楽天の方が通り名として良く知られている。号は香山居士。28歳で進士となりその時作った長恨歌は有名である。そののち社会の暗黒面を批判して、理想主義を求めた新楽府を作成している。長女や母の死に触れて、儒教的倫理観に疑いを持って仏教へと傾斜していった。江州の司馬に左遷された後、草庵を結んで隠棲した。この頃.琵琶の音に合うように詩を作ったものが琵琶行である。暫くして中央に召還されたが、自ら杭州の刺史を望んで風光明媚なこの地の中で越州の刺史の元稹と詩の交換をやり取りした(世に云う元白体)。晩年は洛陽に暮らして狂言綺語の業の尽きない自身を嘆きながら亡くなった。その詩は優しく分かり易い諷諭詩や型に定まらない「新楽府」に見られるように、その文学の変わり様に合わせるかのように感動的とも言える詩型となっている。「長恨歌」「琵琶行」などは、日本・朝鮮への影響も大きく、ことに白氏文集は平安時代の文学に多大な影響を与えた。


狂言綺語;過ったたわごと。むやみやたらと飾立てた言葉のことで、和歌や物語などを卑しめて言うのに用いる表現。
ただ、白氏文集に「狂言綺語の過ちを転じて……讃仏の因となさん」(香山寺白氏洛中集記)ともあったことから、平安時代以降逆に和歌や物語が仏教の修行に繋がり、これを助けるとする考え方が成立した。後白河天皇や藤原俊成などにこの考えが顕著で、安居院流などによる唱導もこの立場に立ったものと考えられている。


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