巻子本 白氏詩巻 (8寸2分5厘×10尺4寸4分)
白氏の漢詩歌集(鈔本) (表面加工)昭和中期の模写本
*1 .
伝藤原行成筆、白氏文集より撰出したと思われる鈔本の一巻である。元々幾つの詩文が存在していたかは不明であるが料紙一紙に詩文ほぼ一首、第二紙始に詩文末尾が有り、その後詩七首少なくとも計九首が納められており、末尾三葉には筆者の奥書と定信*2の奥書が残されている。尚、定信の奥書により、行成筆と同定されている。この後この巻子本は伏見天皇(1265~1317)の御蔵の品と為った後、暫くの時を経て霊元天皇(1654~1732)の持つ処と為り、職仁親王を経て有栖川宮家に継がれ代々伝えられたが、大正二年に高松宮家に継承されて後、秋萩帖と共に東京国立博物館で保管されている。 ・
白氏詩巻 第七紙(黄櫨染色) 縦25cm×横26.9cm |
伝藤原行成筆 文集⑧ (白楽天) 四韻詩 漢詩読下しへ 清書用 練習用 |
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第七紙 白氏詩巻 読下し 漢文訓点 現代語訳へ
らくよう ぼうざん 洛陽;洛河の北側に位置するから言う中国河南省の都市。北に邙山を頂き南に洛河を控えた形勝の地で、華北平原と渭水盆地を結ぶ要地。周代の洛邑で、後漢・秦・北魏・隋・後唐の都となり、特に北魏の時代には1300を超える寺が建設され繁栄を極め、今でも旧跡が多い。白馬寺や南門外の天津橋・竜門石窟など。 後の日本でも平安京の一部に云い、左京すなわち皇居から山を背にして街を見た時の東の京の雅称としても言った。今では京都の異称としても使う。 |
( )内茶字は第六紙より 文集⑧ 七言 四韻詩 原文写真(第七紙)へ ( )内茶字は第八紙へ跨る てい 鄭;中国春秋時代の國、現在の陜西省渭南県の辺りで、周の宣王の弟友桓公が興した。後に河南省新鄭県に移る。紀元前806年から戦国七雄の一つ韓の哀候に滅ぼされるまで430年余り続いた。 ていいん 鄭尹;鄭の府尹の長官。 かんご 歓娯;喜び楽しむこと。 そ 楚;春秋戦国時代の国、戦国七雄の一つ。長江中流域を領有。周の武王の時、帝顗頊の子孫の熊繹が封ぜられたと称される。春秋の初め頃王号を僣称して郢に都を築き強大を誇ったが、秦の為に滅ぼされた。中原諸国とは風俗言語も異なり漢族からは未開の野蛮な国と見なされていた。 |
白氏詩巻 第八紙(濃黄土色) 縦25cm×横26.9cm |
伝藤原行成筆 文集⑨ (白楽天) 絶句 最初の一行は第七紙に極僅かだが掛っている(二行分は文集⑧) 漢詩読下しへ 清書用 練習用 |
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第八紙 白氏詩巻 読下し 漢文訓点 現代語訳へ
極寒の地では多くを望まない、取敢えずは暖の取れるものを強く強く希望するね。『春眠暁を覚えず』の如く、 穏かな春の訪れを望むよ!と詠んだもの。 |
文集⑧(四韻詩)残 (七句残及び八句) 文集⑨ 七言絶句 原文写真(第八紙)へ ( )内は第九紙へ跨る かはごろも 裘;=皮衣。毛皮で作った防寒具 さいきょう 西京;西の都。西安。 孟浩然の詩に 「春眠不覚暁、処処聞啼鳥」とあるように 詩意 春の夜は快適な眠りをむさぼる事が出来るので、ついつい夜の明けたのも知らずに眠り続けてしまいますよ。 |
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白氏詩巻 第九紙(黄土色)奥書 縦25cm×横26.5cm |
伝藤原行成筆 文集⑨末句 (白楽天) 漢詩読下しへ 奥書 書写人直筆によるもの 清書用 練習用 |
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第九紙 白氏詩巻 読下し 漢文訓点 現代語訳へ
九枚は漢詩の書かれている料紙の枚数。後の世の人が書き加えたもの。修復の際の錯誤を起こさない為のものか。 |
長和の点は 打消しを示す点(間違いの訂正) 今日で云う二重線 巻子直書の為慌てた様子が窺える 原文写真(第九紙)へ てん 點;ともす。付ける。 こく 畫;えがく。かぎる。 寛仁;平安時代中期、後一条天皇朝の年号。 1017.4.23〜1021.2.2 |
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白氏詩巻 第十紙(黄土色)奥付 縦25cm×横25.6cm |
伝藤原行成筆 文集 (白楽天) 定信奥書 漢詩読下しへ 清書用 練習用 |
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第十紙 白氏詩巻 読下し 漢文訓点 現代語訳へ
癸;十干の第10 み 巳;十二支の一つで第6番目に位するもの。また昔の時刻の呼び名。現在の午前10時頃。およそ午前9時〜11時の間の時刻。 たつ こく 辰の刻;昔の時刻の呼び名。現在の午前8時頃。およそ午前7時〜9時の間の時刻。 びょうぶどだい おののみちかぜ 屏風土台;小野道風の書。928年に内裏の屏風に大江朝綱の詩を書いた時の土台(下書き)で、22.7cm×316.6cmの巻物。藤原定信が道風筆と鑑定し、巻末に奧書がある。 おののとうふう 小野道風;平安中期の書家で、小野篁の孫。醍醐・朱雀・村上の三代の天皇に仕える。若くして書に秀で、和様の基礎を築く。藤原佐理・藤原行成とともに三蹟と称される。真筆として上記の他「玉泉帖」等が在るが、信頼される仮名の作品は未発見である。生年894~没966年。 |
定信の奥書 この巻子本を手に入れた経緯が記してある 原文写真(第十紙)へ ごん 権;定員外で任じられた官吏。 ほうえん 保延;平安時代後期。 崇徳天皇朝の年号1135.4.27〜1141.7.10 黒塗り部分は入手価格を記していた部分 不具合でも在ったか! けいし 経師;漢代に経書を教えた教官。 きょうし 経師;経文を読通・講説する師匠の僧。 きょうじ 経師;経典の書写を生業とした人。又は経巻の表具をする職人。 しおのこうじ 塩小路;平安京に在った通り。現在の京都駅のすぐ北側で駅と平行にある通り。尚、件の通りは現在の木津屋橋通の辺り。 |
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白氏詩巻 第十一紙(黄土色)奥付 縦25cm×横25.6cm |
伝藤原行成筆 文集 (白楽天) 白紙の奥付 但し 紙片の添付在り 白紙解説へ |
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第十一紙 白氏詩巻 墨付け無し、但し紙片の添付在り(約3.2cm×10.6cm)。 九枚 四韻詩 五首 絶句 三首 料紙2枚の奥付は定信の奥書の為に付けられたもので、一枚目の奥付(第十紙)にはちゃんとそれが書かれている。にも拘らず、二枚目の奥付には直接墨入れが為されていないのは何故か?。行成自身の手によると思われる奥書(第九紙)には別人の手による九枚の文字が、料紙に直接二ヶ所書き込まれている。これ等の事から察するに紙片の添付は更に後の事と思われる。墨書人不明。 し い ん し 四韻詩;漢詩の体系の一つで、八句から成り、第三・四句(頷聯)、第五・六句(頸聯)が韻を踏んでそれぞれ対句を成すもの。五言と七言とがあり、律詩とも云う。 しゅれん がんれん けいれん びれん 首聯(第一・二句)、頷聯(第三・四句)、頸聯(第五・六句)、尾聯(第七・八句)。 ぜっく 絶句;漢詩型の一つで、一句が五言もしくは七言の文字で記された四句から成り、起承転結で構成されている。六朝時代の民歌に起源が有るとされ、唐の初期には確立されて、唐が栄えると共に盛んに持て囃された。基本的には平仄法を厳守したもの。 ひょうそくほう ひょうしょう そくせい 平仄法;漢詩作法における平字(平声の韻に属する漢字)・仄字(仄声の韻に属する漢字)の韻律に基づく配列の決まり。 |
原文写真(第十一紙)へ そくせい 仄声;上声・去声・入声の漢字。漢字四声の一つ。 じょうしょう 上声;現代中国語の第三声に当たり、北京では低く引き延ばした後上昇する声調子。 きょしょう 去声;現代中国語の第四声に当たり、北京では高降りの音調に発音する。 にっしょう 入声;「p・t・k」に終わる音節に特有の短促な音調。入声を表す字は日本の漢字音では旧仮名使いの「フ・チ・ツ・ク・キ」の何れかに終る漢字。「十(ジフ)」・「一(イチ)」等の類。 |
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*1 はくしもんじゅう 白氏文集; 中国、唐の時代に白居易(白楽天)のしたためた詩文集で71巻が現存している。824年元槇が編集したといわれる「白氏長慶集」の50巻に、自選の後集20巻および続後集の5巻を加えた全75巻のもの。平安時代に渡来し、文集と呼ばれて当時の文学に影響を与えるほど広くに愛読されていた。 *2 ふぢはらさだのぶ 定信;藤原定信(1088~1156)世尊寺流と云われる行成の書の伝統を伝えた世尊寺家の書家 *3りんこう 鈴閤;大門の傍らにある鈴の付いた小門。くぐり戸、内つ御門。 *4えいちゅう そ えい 郢中;春秋戦国時代の楚国の都の中(現在の湖北省江陵県辺り)、尤も楚は何処へ都を移しても郢と称した。 *5せんり 氈履;獣毛に湿気や熱摩擦などを加えて縮絨を施した、敷物用の毛織物でこしらえた履物。 *6ちろ 地爐;物を煮炊きしたり、暖を取るため、床の一部を切取り箱型の囲いを据えて火を蓄えておく装置。囲炉裏。 *7きょうじ 経師;経典の書写を生業とした人のこと。写経生、写経僧も云うが能書きとは異なる。 亦、経巻の表具をする職人の事も云い、後には書画の条幅或は屏風・襖などの表具をする職人までも云うようになる。 (けいし)と読めば漢の時代に経書を教えて教官のこと。 (きょうし)と読めば経文を読誦あるいは講説する僧侶の先生を指す。 ページ |