針切 重之の子の僧の集20             戻る 針切 一覧へ 
    生成り楮紙(素色)
こちらの色は、ぼかしの様にも見えますが元々は未晒しの繊維の色で、長年の変化により褪色、或は褐色化した物と思われます。素色(しろいろ)とは、漂白していない元の繊維の色でやや黄味の砥の粉色~薄香色の様な色。本来染めていない為、素の色のことを素色(しろいろ)といいます。。写真は薄目の薄香色でかなり褪色しているように見えます。
高い所より書出してあるのが歌、一段低い所より書出してあるのが詞書です。


素色(しろいろ)

『針切』 重之の子の僧の集20 (素色)15.1cmx22.5cm
実際は極淡い薄茶色です。
写真の状態があまりよくありませんがご了承ください。


             かな                                使用時母へ


 わすれじや なびくくさばに つけつつも、つゆのいの

 ちの あ覧かぎりは


   たのむ人のとはぬことをうらみやりはべりと
   て

 とふことの はもつゆばかり みえぬよに、なににかかれる

 いのちなるらむ


   ふかき山にこもりはべりて五月五日

 わがことや 人はみぬまの あやめぐさ、さつきをよそに

 ききわたる覧


   山でらにこもりてひとりごちはべり




 忘れじや 靡く草場に 付けつつも、露の命

 の あらん限りは


   
頼む人の訪はぬことを恨みやり侍りとて


 訪ふ言の 葉も露ばかり 見えぬよに、何に掛れる

 命なるらむ


   深き山に籠り侍りて五月五日

 我が事や 人は水沼の 菖蒲草、五月をよそに

 聞き渡るらん


   山寺に籠りて独り言侍り



 漢字の意味の通じるものは漢字で表記
一行は一行に、繰返しは仮名で表記
次項~残り半葉分の内の詞書の一部
 読みやすい様に所々に漢字、読点を入れております。
                       解説

 和春礼之也 奈比久々左盤仁 川希川々毛、川由乃以能

 知乃 安覧可支利八

     多乃武人乃止盤奴己止遠宇良美也利八部利止
     天


 東婦己止乃 者毛川由者可利 美盈奴與仁、那爾々可々礼留

 以乃知那留良無  


     布可支山爾己毛利波部利天五月五日


 和可己止也 人者美奴万乃 阿也女久左、々川支乎與所仁

 支々和多留覧


     山天良仁己毛利天悲止利己知波部梨





「乀」;3文字の繰り返し、「~」;2文字の繰り返し、「々」;1文字の繰り返し
「爾」は「尓」とすることも
「个」は「介」とすることも
「禮」は「礼」とすることも
「弖」は「天」とすることも
「與」は「与」とすることも □は文字不明か所

解説

     


 
忘れじや靡く草場に付けつつも、露の命のあらん限りは
忘れることは無いでしょうとも(風に)靡いている草場の草の葉に降り付いた露であっても、(何とかしがみ付いて)その露の命の消えて無くなって終わない間はネ!。(今の私の置かれてしまった逆風の中で、老い先短くいくら儚い命であろうとも、この命の続く限りは決して忘れはしませんよ。)



    頼りとしていた人の訪ねて来ないことを憎々しく思ってしまう様な事になりまして

 訪ふ言の葉も露ばかり見えぬよに、何に掛れる命なるらむ
訪ねて来ることの(出来ない言い訳の為の便りの)言葉(和歌)もその葉に降りている露だけが見られる訳ではない様に、(今ここにこうしている私は)一体何に寄り掛って生きていけば良い命なのでしょうか。

訪ねて来ることの便り(言葉)も少しも見られない様な世の中に、(今ここにこうしている私は)一体何に頼って生きていけば良い命なのでしょうか。


    深い山奥に籠りまして、五月五日のことですが、

 我が事や人は見ぬ間(水沼)の菖蒲草、五月をよそに聞き渡るらん。
まるで私の事のようですよ、人は見ることもない(水沼に生える)菖蒲草は、端午の節句のことなど他所事の様に(その日だと聞いておきながら)通り過ぎてしまうのでしょうね。

菖蒲草;菖蒲のこと。端午の節句には菖蒲を軒に差したり、身に着けたり、また菖蒲湯にしたりしてその香りを楽しむとともに魔除けとした。


    山寺に籠りまして独り言を言っております






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