針切 重之の子の僧の集5
生成り楮紙(素色)
こちらの色は、ぼかしの様にも見えますが元々は未晒しの繊維の色で、長年の変化により褪色、或は褐色化した物と思われます。素色(しろいろ)とは、漂白していない元の繊維の色でやや黄味の砥の粉色~薄香色の様な色。本来染めていない為、素の色のことを素色(しろいろ)といいます。。写真は薄目の薄香色でかなり褪色しているように見えます。
高い所より書出してあるのが歌、一段低い所より書出してあるのが詞書です。
素色(しろいろ)
15.6cmx22cm
実際は極淡い薄茶色です。
写真の状態があまりよくありませんがご了承ください。
かな 使用時母へ
ふるさとの花のさかりものへまかり はべる人に わかくさに こまひきとめて ふるさとの、花の さかりを みてもゆかなむ ほふりにまいりはべりて をぐら山 おほゐのかはも はるたちて、かすみわ たれば けぬるかりけり ねのひにむかしをこふるこころ ひきつれて かすがののべの 子の日する、けふは 次項 むかしの はるぞこひしき |
ふるさとの花の盛り、ものへ罷り はべる人に 若草に 駒ひきとめて ふるさとの、花の 盛りを 見ても行かなむ 祝(法輪)に参りはべりて 小倉山 大堰のかわも 春立て、かすみわ たれば 気温かりけり 子の日にむかしを恋うる心 引き連れて 春日の野辺の 子の日する、今日は 次項 むかしの 春ぞ恋しき |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 次項~残り半葉分の内の下の句の一部 |
読みやすい様に所々に漢字、読点を入れております。 解説へ |
布留左止乃花乃左可利毛乃部万可利 波部留人耳 和可久左爾 己万日支止女天 不留左止乃、花乃 左可利乎 美天毛由可奈無 本不利爾末以利波部利天 乎久良山 於保井乃可者毛 者留多知天、可春美和 多礼八 希奴留可利个利 禰乃悲仁武加之乎己不留己々呂 悲支川礼天 可春可乃々部能 子乃日春留、个不八 「乀」;3文字の繰り返し、「ヽ」;2文字の繰り返し、「々」;1文字の繰り返し |
故郷の花の盛り、任地にお出かけなさる人に (季節は春四月、折しも転勤の時期、「もの」は任地、「花」は桜を指す) 若草に駒ひきとめてふるさとの、花の盛りを見ても行かなむ (美味そうな)若草に馬を引き留めておきましたので、故郷の満開の桜の花を(一休みして)眺めてから行くこととしましょうよ。(どうせならついでに美しい桜を見ることも為されてから行くことにする事が出来ますよ) なむ;完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」の付いたもの。未来の推量・決意・可能性・勧誘などの意を表し、それらの意が動かす余地の無いものであるという強調を「な」が受け持つ。 きっと…するだろう。…する事が出来るだろう。 或は、「見ても」の「ても」を接続助詞「て」に係助詞「も」の添ったものと取り、仮定条件を挙げて後に述べる事柄がそれに拘束されない意を表す。たとい…しようとも。 「例えここで満開の桜を見ようとも(任地へ)赴くことは出来ますよ。」と取る事も可能ではあるよ。 神に仕える人の元へ参詣致しまして ※1 小倉山大堰の川も春立て、霞渡れば気温かりけり 小倉山を臨む大堰川の辺りも春めいてきて、辺り一面に霞が掛かるように成れば何となく暖かくかんじられるようになることでしょう。 ほふり 祝;神に仕えるのを職とする人々。禰宜の次位で宮司の命を受けて祭祀に奉仕するもの を ぐ ら やま 小倉山;京都市右京区嵯峨西部にある山で、保津川を隔てて嵐山に対峙する紅葉の名所。(小倉山を望んでいるという事は今立っているのは嵐山。だとすると訪れているのは「祝」ではなく「法輪寺」とも考えられる、が当時「ほふりんぢ」を「ほふり」と略したかは不明。法輪寺は十三参り(知恵詣)が有名で或はこれに参っていた折のものか。陰暦三月十三日、今の四月十三日。又、参詣の帰りに渡月橋を渡る際、後ろを振り返ると授かった知恵を忘れてしまうとか、まことしやかに語られているのも趣を添える。) けり;ある事実を基に過去を回想する意を表す。過去の助動詞「き」と「あり」とが結合し約音となったもの。 子の日の遊びに昔を恋しく思う心 引き連れて春日の野辺の子の日する、今日は昔の春ぞ恋しき (子供らを)引き連れて春日野の野辺で子の日の遊びをしましょう、今日は昔遊んだ春が懐かしく思い出されますよ。 子日;正月初子の日に野に出て小松を引いたり若菜を引いたりして遊び、千代を祝って宴遊する行事。小松引ともいう。宮廷行事は「丘に登って四方を望めば、陰陽の精気を得て憂悩を除く」と云う中国の古俗に倣ったもの。引き抜いた小松はその芽を食した。 春日野;奈良市の東部、春日山の山麓一体。特に春日山の西部、今の奈良公園付近。 |
※1 近くに小倉山と大堰川とを共に臨める社は見当たらない。当時は存在していたのかもしれないが…。程近い松尾山の麓に官幣大社である松尾神社(現松尾大社)が有るがここの境内からは嵐山が邪魔をして小倉山を望む事が出来ない。或は磐座のある山頂まで登れば望む事が出来るのかもしれないが、私は登ったことがないので不確かである。桂川の土手まで行けば双方を望むことはできる。それとも双方を遠望できる社が別に存在しているのかもしれない。