113
「桜花匂ふともなく春来れば、などか嘆きの繁きのみ増す」
桜の花よ、美しく咲き染める程ではないにしろ春が来れば、どうして頻繁に心配ばかりが増すのだろうか。(いや、増はしないだろう。)
114
「白珠を包む袖のみ無かるるは、春は涙の障へぬなるべし」
白珠(涙)を隠す袖だけが無いのは、春は涙が遮られていないからに他ならない。
「白珠を慎む袖のみ流るるは、春は涙の支えぬ為るべし」
白珠を遠慮することの出来る袖だけに流れるのは、春は涙が感情を害さないからに違いない。
四月一日、宮中にて
115
「何処まで春は往ぬらん暮れ果てて、別れし程は夜になりにき」
どこまで春は帰って行くのだろう。日がすっかり暮れて別れる頃には夜になって終ったよ。
返し、衛門命婦
116
「暮れ果てて春の別れの近ければ、幾らの程もゆかしとぞ思ふ」
すっかり季節も押し迫って春との別れも近いので、どれだけでも懐かしく恋しいとさへ思いますよ。
お忘れになっておりましたお方を夢で
拝見致しまして、
117
「春の夜の夢に逢うとし見えつるは、思ひ絶えにし人を待つかな」
短い春の夜の儚い夢の中で逢ってしまって見えていたのは、その気が無くなってしまった貴方を待っていたのですかねえ。
桜が散って終いまして、
「風さへもして騒ぐかな桜花、心とだにも春に任せし」
風までもが心ざわつかせるようですね、桜の花よ、せめて心だけでも春の為すが儘に委ねて欲しいな。
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113
(桜が咲く頃に成ると、どこからともなく咲き染めてくる。何時満開になるだろうか、何時まで咲いているのだろうか、もう散って終ってはいないだろうか、雨風で散りはしないか、霞が隠してしまいはしないか、等と心配の種ばかりが増してきて、深く感じて溜息ばかりが増すことになる)との意で愛おしい人のことまでも念頭に入れ物思いに耽って詠んだ歌。
又、「などか」を反語と採ればそれを否定したいと思う気持ちを詠んだものとなる。
しげき;絶え間ないこと。「繁し」の連体形「繁き」、また「刺激」との掛詞。
桜の咲き始めはそれが刺激となって心配事が付きまとう。との意を含む。
114
(白珠の様な涙を包隠すことの出来る袖が無いのは、涙が止めどなく流れてきて拭い取る袖が幾つ有っても足りないから。)との意を読んだ歌。
或は
(涙をはばかることの出来る袖だけにそれでも流れるのは、春は涙が気にならないからなのでしょう。)との意。
なるべし;断定の助動詞「なり」の連体形「なる」に推量の助動詞「べし」。…であるに違いない。
115
(春も押し詰まって、いったい何処まで春は帰って行くのだろう。私はと云えば家に帰るつもりなのだが、すっかり日も暮れて愛しい人と別れる頃には夜中になって終いましたよ。)春は留まらないで往ってしまう、私も帰らねばならないのだろうか!との意で名残惜しさを詠んだ歌。
にき;完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に過去の助動詞「き」の終止形。…てしまった。
116
(陽春の終わりも近く貴方との別れ時も近いので、どれだけでも好奇心が持たれ心引きつけられる感じさへしますよ。)との思いを返した歌。
えもんみょうぶ
衛門命婦;衛門府での五位以上の女官、又は五位以上の官吏の妻。
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(春になると日増しに夜は短くなってくる、そんなに短く儚い夜の更に夢の中で遇ってしまったその人は諦めていた貴方でした。心のどこかであの人のことを待っていたのでしょうかねえ。)との意。
風に舞い散って終った桜を眺めながら、
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(風までもが私の心を落ち着かなくさせてしまったようですよ、桜の花よせめて長閑に咲いていて欲しいと願う人々の心だけでも春の移ろいに委ねて欲しいですね。)との願いを詠んだ歌。
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