200
「憂きながら人を忘れむ事難み、又心にぞ且つ触りける」
煩わしいことながら人を忘れる事も難しいので、どうしようもなくて心の奥底にこそ又も感情を害してしまうのですよ。
物思いに耽っていた人が冬に任地へ向かった道すがらに、
火が見えていたので、
201
「冬枯れの野へと我が身を思ひせば、萌えむ春をも待たまし物を」
冬枯れの野原へともしも我が身を思ったならば、新芽の萌え出る春をも待っていたであろうに。
202
「住む里は雲路ならねど初雁の、鳴き渡りぬる物にざりける」
住む里は雲路ではないのだけれども、初秋の雁が鳴き渡っていたものであったのだなあ。
人の泣かされて涙を流された時
203
「せき初むる涙泉に堪へせずば、流るる澪ぞ留めざりける」
堰き止め始めた涙が泉に堪えれなければ、流れる水路は止められなかっただろう。
人
204
「深き思ひ染めづと云ひし言の葉は、何時か秋風吹きて散りぬる」
深い思いに染まらないと云われている言葉は、いつか秋風が吹いて散って終うものだよ。
返し
205
「心無き身は草木にも有らなくに、秋吹く風にうたかわるらむ」
ものの情趣を感じる心も無いこの身は草木でも無かろうに、秋吹く風に歌が変るでしょうか。
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200
(煩わしいことながら人を忘れる事も難しいので、どうしようもなくて心の奥底で又も数多くの事が神経に触れてしまうのですよ。)との意を詠んだ歌。
かつ;「且つ」と「数」との掛詞。
火;野火。春の野焼きの火の後に新芽がそろって芽吹きだす。和歌では恋の炎とともに恋の予感も連想させて詠まれる。
201
(もし冬枯れの野原の様に我が身を喩えたならば、草木の芽生える春まで待っていたであろうものを。=恋心の炎の燃え上がる春まで待っていたのであろうに、でも実際はこうして歩いているよ。)との意。
せば…まし;もし…だったら…だろうに。過去の助動詞「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」更に反実仮想の助動詞「まし」の付いた形。
202
(私の住んでいる里は雲の通う所ではないのだけれども、初秋になると雁が鳴き乍ら飛んでいたものだったなあ。)との回想を詠んだ歌。
ざりける;…だったのだなあ。係助詞「ぞ」に補助動詞「あり」の連用形の付いた「ぞあり」の約音「ざり」に過去の助動詞「けり」の連体形「ける」の付いた形。
203
(流れ出るのを堰止め始めた涙が抑止の泉に耐え切れなかったならば、流れ出る涙の通り道を制止することは出来なかったでしょう。)との意。
ざりける;…ないのだった。打消しの助動詞「ず」の連用形「ざり」に過去の助動詞「けり」が付き「ぞ」を受けて連体形「ける」となったもの。
204
(深い思いを表現できないとも云われている和歌は、いつの日にか飽きの風に吹かれて無くなって終うものですよ。)と「言葉」を美しく染まらない「木の葉」に準えて秋風が吹けば何れ散って終うとの儚さを詠んだ歌。
205
(思いやりの心の無い私は草木じゃあるまいし、秋の風で歌が変ってしまうものでしょうか。)と切り返した歌。
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