三十六人集 伊勢集(石山切) 破り継『方違え』(清書用臨書用紙) 戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ  戻る 『伊勢集』  一覧へ

伊勢集第三十九紙料紙、破り継『耳毛奈利奴』で始まるの部分の清書用臨書用紙になります。伊勢集そのものには裏面にも歌が書かれておりますが、表面のみの加工ですので表面のみの使用と御承知おきください。裏面にも墨入れをすることは可能ですが、裏面を使用するには力量が必要となります。裏面の臨書には同じ料紙をご利用頂くか、白具引料紙(花鳥折枝)をご利用下さい。

三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 第三十九紙料紙   伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 書拡大へ
破り継料紙の書手本
拡大へ


第三十九紙用料紙
伊勢集・破り継『方違え』 (半懐紙)原本より一回り大きくなります。
こちらの破り継は左右に白台紙を配し、中央付近から天地縦向に弓の如くにやや曲がりの有る形に染紙4枚を使用して、破り継に仕上げたタイプのものです。左側の白台紙には白雲母で小波紋の柄が摺られた具引唐紙と成っておりますが、右側の白台紙には唐草柄の無い具引紙が使用されています。
 
 左上側白台紙部分 
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 左上部分拡大 左上白台紙部分


伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 部分拡大へ
花鳥折枝金銀袷型打に
光を当てた見え方
 
 伊勢集・破り継 『方違え』左上具引唐紙台紙部分の拡大です。
唐紙柄は小波紋で、花鳥折枝金銀袷型打が施してあります。唐紙柄が確認できるように弱い光で写したもので、
光を受ければ金銀の輝きもちゃんと感じられます。
この写真の中に1枚の破り継紙片、1枚の小波紋の白台紙が有ります。
   
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 右上側部分拡大 右上側破り継部分

花鳥折枝金銀
袷型打
(千鳥・紅葉・蓬・柳・草藤)


 
伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 部分拡大へ
花鳥折枝金銀袷型打に
光を当てた見え方
 伊勢集・破り継 『方違え』
右上側破り継部分の拡大です。黄土色紙片と濃紺色紙片及び橡色の紙片には金銀が鏤められています。
左側の白台紙は唐紙柄(小波紋)の有る具引唐紙ですが、右側の白台紙は唐紙柄の無い白具引です。
花鳥折枝金銀袷型打は原紙の物とは異なります。同等の雰囲気の柄としてご了承下さい。
 
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 右下側台紙部分拡大 染紙台紙部分
花鳥折枝金銀袷型打

(千鳥・紅葉・草藤・蝶々・藤袴)


 
伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 部分拡大へ
花鳥折枝金銀袷型打に
光を当てた見え方
 
伊勢集・破り継『方違え』  花鳥折枝金銀袷型打 
右側の台紙部分は唐草柄の無い白色の具引染紙です。
 


伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 書手本(伊勢集)   解説及び使用字母
 伊勢集・方違え 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三十九紙 破り継料紙

歌番号は伊勢集内での通し番号                青色文字は
使用字母        解釈(現代語訳)
373
 (人まちて なきつつあかす よなよなは、いたづらね)

 にも なりぬべきかな

374
 さ月こば なきもふりなむ ほととぎす、
 またしきほどの こゑをきかばや


   京ごくなる人のいへにきてかたたが
   ふとてそのわたりなる人に

375
 このさとに しるべに君も いてきなむ、
 みやこほとりに 我はきにけり


   いづに人のながされたるに

376
 せきとむる なみだいづみに つきせねば、
 ながるるみをぞ とどめざりける

377
 かわのせに うきてながるる ほとよりは、
 ころものそでの ぬれまさる哉

378
 すむかたを しるしとまねく 花すすき、
 こころよはくぞ かぜもふくらし

379
 きてみれば ななのうらまで よるかひの、
 ひろひもあへず 君ぞこひしき

380
 みくまのの うちよりをちに こぐふねの、
 我をばよそに へだてつるかな


373
 
(人末知天 奈支川々安可須 與那〜者、以太川良年)
 耳毛 奈利奴部支可那

374
 左月己者 那幾毛婦利奈武 保止々支須、
 末太之支本止能 己恵乎支可者也


   京己久奈類人乃以部爾支天加太々可
   婦止天所乃和太利奈類人爾

375
 己能左止仁 志留部二君毛 以天支奈無、
 美也己保止利爾 我者支仁希利


   伊川爾人乃奈可左礼太類爾

376
 世支止武類 奈三太以川美爾 川支世禰者、
 奈可類々美遠所 止々女左利計留

377
 可者能世仁 宇支天那可類々 保止與利者、
 古呂毛能楚天能 奴禮万左流哉

378
 寸武可太乎 之流志止末禰久 花春々支、
 己々呂與者久楚 加世毛婦久良之

379
 幾天三礼者 奈々能宇良末天 與類可比乃、
 比呂比毛安部春 君所己比之支

380
 三久末能々 宇知與利乎知仁 己久婦年能、
 我乎波與所爾 部堂天川留可那



「與」は「与」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「禮」は「礼」とすることも。
( )内は次項にあり。

          現代語訳                     解釈         解説及び使用字母

373

「人待ちて泣きつつ明かす夜な夜なは、徒寝にもなりぬべきかな」
恋人を待って泣きながら明かす一夜毎は、逢えないで一人寂しく寝ることにもなってしまうのですねえ。



374
「五月来ば鳴きも旧りなむ郭公、未だしき程の声を聞かばや」
五月が来たならば鳴き声が珍しくも無くなってしまうでしょう、時鳥よまだその時期が来ない頃の声を聞きたいものですよ。



   京極にある知人の家に来て「
方違え」をすることとなって
   その大周りする人に

375
「この里に標に君も出で来なむ、都ほとりに我は来にけり」
この里にお導きによって貴殿も出かけていらしたのですね、とうとう都の傍まで私は来てしまったのですねえ。



   伊豆にある人が流されたので

376
「堰き止むる涙泉に尽きせねば、流るる澪ぞ止めざりける」
遮っている涙が泉から尽きてしまわなければ、流れている澪さへ留めておくことは出来ませんでしたよ。



377
「川の瀬に浮きて流るる程よりは、衣の袖の濡れ増さるかな」
川の瀬に浮いて流されている程度よりは、衣の袖がより濡れているかもなあ。



378
「住む方を標と招く花芒、心弱くぞ風も吹くらし」
住む方向を目印として手招きをする花芒よ、心弱くて風も吹いているようだ。



379
「来てみれば七浦まで寄るかひの、ひろひも敢へず君ぞ恋しき」
七浦まで来てみたが近寄った効果は、拾うことも出来ずに只々君の事が恋しいことよ。

380
「み熊野の内より遠方に漕ぐ舟の、我をば他所に隔てつるかな」
熊野の浦の内から沖の方へ漕ぎ出してゆく舟が、私こそを他所へ遠ざけるものだなあ


373
(俟てども来ない恋人をひたすら待って泣きながら夜明けを待つ毎晩は、きっと会えずに寂しく独り寝をする破目になってしまうのでしょうねえ。)との必然性を詠んだ歌。

いたづらね
徒寝;恋人と会えずに寂しくひとり寝をする事。

374
(陰暦の五月が訪れたならばきっと鳴声さへ珍しくも無くなって終うのでしょう、時鳥よ、珍しく思う頃のあの恋心の募る声を早く聞きたいものですよ。)との意を詠んだ歌
 な 
鳴き旧る;鳴声に聞き慣れて珍しく無くなる。耳慣れる。

未だしき;まだその時期が来ない。不十分である。未熟な。「まだし」の連体形

375
(この京の都の外れに知人を頼って貴方様も廻っていらしたのですね、思いの外ではありますがとうとう私も嘗て居た都の傍まで遣って来たのですねえ。)との意を詠んだ歌。


376
(流れ出る事を遮ろうとしている涙ですが泉の様に沸き上がって来る思いを心の中の泉から無くしてしまわなければ、流れ出る涙も、流されている航路を行く舟も引留めておくことなど出来はしませんでしたよ。)との意を詠んだもの。

ざりける;…なかった。…ないことよ。打消しの助動詞「ず」の連用形「ざり」に過去の助動詞「けり」が係助詞「ぞ」を受けた連体形「ける」。


377
(川の瀬に浮かんで流されている状態よりも、憂きことに晒されて涙を流した衣の袖の方がより濡れが多いのかなあ。それ程悲しみましたよ。)との意を詠嘆して詠んだ歌

うき;「浮き」は「憂き」との掛詞。又「雨期」も連想させる。
(川の瀬の水が雨期で増水した状態よりも号泣致しましたよ。)との大げさに詠んだ歌と取ることも出来る


378

(女性の元へ通う方向を目印とするかのように手招きをする花芒よ、私の意志が弱いのか、手招きしているように見えるのはどうも風が吹いているらしいようだ。)との意。

379
(七浦まで来てみたけれども近寄った甲斐と云っても、貝を拾うようには効果を手にすることも出来ずに只々貴方の事が恋しいことですよ。)との意を詠んだ歌。

かひ;「甲斐」と「貝」との掛詞。

380

(熊野の浦の湾内から遠い沖の方へ漕ぎ出して行った舟が、まるで私の事をこそ別の場所へ遠ざけて行く心地にさせるのだなあ!。)との意。



きょうごく
                                              ひがしきょうごくおおじ
京極;平安京からの京都の地名で、京の端の意。その最東端の南北に通じる道路を東京極大路(現在の寺町付近)、同じく南北に通じる最西端を西京極大路(現在の天神川の東側付近)としていた。今の寺町の名は1590年に豊臣秀吉が、京中の寺院を東京極に集めて寺町としたもの。

かたたが 
方違え;平安時代から鎌倉時代にかけて行われていた呪術的な方法で、陰陽道の俗信の類の或る種の儀式のようなもの。何処かへ出かける際、目的地の方角がその年の金神の座位で遇ったり、天一神が廻っている方角に当たったりして日が悪い時に一旦別の方角へ出て行き(吉方)、知人の家や神社・仏閣などに寄ったりして一夜を明かしたりなどした後に目的地へ向かう事。方塞、方忌などとも。

こんじん
金神;陰陽道で祭る方位の神で、戦乱・日照り・流行り病・死等を司る。この神がいる方向に向かって土木工事・外出・移転・嫁取り等をすることは忌み嫌われていた。干支や季節で居場所が変わり、方角は暦の注記や巫女に見てもらって知ると云われた。これを怠り無視して実行すると金神七殺といって、家族七人が殺されると恐れられていた。

なかがみ                                                                                         みずのとみ
天一神;陰陽道で祭る神。天地八方を六十日を周期として運行し、人の吉凶禍福を司る。災いの起らぬよう方角の悪い方を塞いで、それを守ると云われている。癸巳の日から十六日間天上にいる間は何事も無いが、己酉の日から四十四日間地上にいる間は東西南北をさらに細分して数日ごとに位置を変え、その通路に当たる位置にいるものには祟りをすると言われていた。このため、やむを得ずその方向に行く必要のある時には「片違え」をしたのである。


  ページトップ アイコン                                     戻る はくび工房 『三十六人集』 一覧へ 戻る 破り継 『三十六人集』 一覧へ    
解説及び使用字母
 
 
 
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 左上側破り継部分拡大
花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態


伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 左上側部分拡大へ
 戻る元の写真へ
 伊勢集・破り継 『方違え』左上側破り継部分の拡大 花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態  
 
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 左下側台紙部分拡大
花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態


伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 右上側部分拡大へ
 戻る元の写真へ
 伊勢集・破り継 『方違え』左下側破り継部分の拡大 花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態  
 
三十六人集 破り継 『方違え』 (伊勢集) 右下側台紙部分拡大
 花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態


伊勢集 破り継 『方違え』 第三十九紙 右下側部分拡大へ
 戻る元の写真へ
 伊勢集・破り継 『方違え』右下側破り継部分の拡大 花鳥折枝金銀袷型打に光を当てた状態