伊勢集(石山切) 具引唐紙 白『大花唐草』 (清書用臨書用紙)     戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ 戻る 『伊勢集』  一覧へ

伊勢集第四十七紙で、白具引唐紙『大花唐草』の部分の清書用臨書用紙になります。大花唐草は大菊を図案化した唐草で、大唐子唐草から唐子を抜いた物の図案とほぼ同じになります。菊は秋の代表的な花で、古くから詩歌に詠われており、天皇家の紋章としても使用されております。菊には延命長寿の滋液が宿るとされており、早朝この花に置いた露をいただくと不老長寿が得られるとと信じられていました。そんなわけで平安時代の宮廷では菊酒を賜る行事も行われていたそうです。菊は千代美草、隠君子等とも呼ばれていました。
伊勢集そのものには裏面にも歌が書かれておりますが、裏面の料紙加工は施しておりません。(料紙そのものは表面のみの加工ですので表面のみの使用と御承知おきください。裏面にも墨入れをすることは可能ですが、裏面を使用するには力量が必要となります。)裏面の歌の臨書をご希望の場合には同じ料紙をご用意頂くか、白具引染紙(花鳥折枝)をご利用下さい。

伊勢集 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打 拡大 伊勢集 具引唐紙 白 『大花唐草』 第四十七紙 書拡大へ
白具引唐紙の書手本
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  第四十七紙
 具引唐紙 白 『大花唐草』  花鳥折枝金銀袷型打 (半懐紙)
上側部分より弱い光を当てて花鳥折枝が確認できるように写しております。周りのグレーに見える部分も光を当てれば同様に柄も輝いて見えます。

  伊勢集 書


伊勢集 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打 唐草柄拡大 中央上側部分
『大花唐草』
花鳥折枝金銀袷型打
 
 右上側部分 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打  
白具引唐紙に金銀花鳥折枝を施したものです。
紅葉、松枝、草藤、桜草、千鳥、蝶々。
 伊勢集臨書用紙


伊勢集 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打 右下側部分拡大 
判り辛いですが、金銀で一つの柄になっております。金泥は通常の濃さではなく銀で少し増量されたものです。  
 右下側部分 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打
白具引唐紙に金銀花鳥折枝を施したものです。
草藤、松葉、紅葉、蝶々、千鳥。
伊勢集臨書用紙 
光を受けての見え
伊勢集 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打 右上側部分拡大
中央やや右上側部分

 判り辛いですが、金銀で一つの柄になっております。金泥は通常の濃さではなく銀で少し増量されたものです。
中央やや右上側部分 具引唐紙 白 『大花唐草』 花鳥折枝金銀袷型打
光を受けての見え方、白具引唐紙(唐草柄は白雲母摺)に金銀花鳥折枝を施したものです。
草藤、松葉、紅葉、蝶々、千鳥。
 
 伊勢集臨書用紙


伊勢集 書手本

伊勢集 具引唐紙 白 『二重唐草』 花鳥折枝金銀袷型打 書手本拡大  解説及び使用字母
 伊勢集 書 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第四十七紙  具引唐紙『大花唐草』
 両面加工の料紙を使用して綴じた帖です(見開き)。

歌番号は伊勢集での通し番号                              青色文字は
使用字母          解釈(現代語訳)

   (あめいたくふるひ、このみをこころ

   うしといひし人はさうしになむ)

   をりけるうえの人々あつまりて御わ

   ざのくみのいとをなむよりける。しも

   なる人いとはよりいでたまへりやと

   いまはなにわざをかしたまふと

   いひたればあめをながめて

   なむとぞいひあひたりける。うへの

   こたちのかへりことにいとはよりは

   てていまはねなんよりあはせて

   なきはへるといへりければ、しもなる人

483
 よりあはせて なくらん
   こゑを いとにして、
        わがなみだ
            をば


      たまにぬか
          なむ





   (安免以堂久布留比己能美遠己々呂

   宇志止以比之人者左宇志爾那武)

   遠利計類宇部能人〜安川万利天御和

   左能久美乃以止遠那武與利計留。志母

   奈類人以止者與利以天太万部利也止

   以末者那二和左越可之堂万婦止

   伊比太礼者、安女乎奈可免弖

   奈武止所以比安比太利計類宇部乃

   己多遅能可邊利己止仁以止者與利、者

   天々以末波禰奈无與利安者世弖

   奈支八部留止以部利希礼者、之毛那留人

483
 與利安者世天 奈倶良无
    己恵乎 以止爾之天、
           和可那三太
                 遠波


       太万爾奴可
             奈武




「禮」は「礼」とすることも。
「與」は「与」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「弖」は「天」とすることも。
「邊」は「辺」とすることも。
   ( )内は前項に在り


          現代語訳                      解釈        解説及び使用字母

   雨の酷く降る日にこの身を心苦しいと

   思って居る人は冊子にこそ

   おられるのでしょう。殿上人が大勢集まって御法要の

   組の糸(組の緒)を縒っていた処、下位の身分の人(侍女)に

   糸(帯紐)は縒り上がりましたかと、

   今はどういうことを行っているのですかと

   聞かれたので、雨(涙雨)を眺めてばかりですよ

   とだけ言い合ったのであった。宮中の

   御婦人方のお返事に、糸は縒り終えておりましたので

   死に際の眠りに寄り集まって

   泣いておりましたよとおっしゃったので侍女の詠んだ歌、


483
「より合はせて泣くらん声を糸にして、我が涙をば玉に貫かなむ」
寄り集まって泣いていらっしゃるはずの声を糸にして、私のこの涙を玉に貫くとしましょう!。

(宇多法皇の中宮温子の通夜でのやり取りを後の世の人の手によって書き綴られた物)


なむ;正にそうであると強調する意を表す係助詞。「なむ」は「…ですよ」と相手に念をおす気持ちを含んでいるので会話や引用文には用いられるが、和歌中に用いられる事は少ない。接続語・主語・目的語・連用修飾語等に接続する


くみ
                  はきを     さげを
組の緒;糸組の緒。多くは太刀の佩緒や刀の下緒に用いる帯紐。
太刀や小太刀を腰に付けて措く為の物。帯取りで刀と組の緒とを結ぶ。また礼服に用いる組帯。條帯。丸紐と平紐に大別される。絹糸が主だが、木綿や麻も用いられ、神社の調度や数々の衣装に用いられた。


下なる人;官位や身分の低い者。女房や更衣などの女官。
にょうばう
女房;宮中や院中に仕え、一室を与えられていた女官。

ごたち
御達;宮中や貴族の家に仕える上級の女官や女房の敬称。
いまわね
今は寝;死に際の眠り。死ぬことを婉曲に言う。永眠。


483
(では、今まさに寄り集まって悲しんでいるであろう皆様の声を紙縒りの様に捻り合せて糸=玉の緒として、私のこの涙で宜しければ玉にして縒り合せたその糸で貫きましょう。)との追悼の意を読んだ歌。

なむ;…てしまおう。完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」の付いたもの。結果を予想し、そうしたいと願う強い意思を表す。動詞の連用形に接続する。

「より」は「寄り」と「縒り」との掛詞。



さうし(そうし)

冊子;歌や文章を書く為に紙を重ねて糸で綴じた冊子本で、巻子本に対して呼ばれた綴じ本のこと。物語・日記・随筆・歌集などの仮名書き書物の総称。草紙。
さうし                                   かにもりのつかさ
掃司;律令制の後宮十二司の一つで、宮中の諸行事の設営・掃除を担当する役所。蟹守司。

にょうご
女御;天皇の寝所に侍した高位の女官で、中宮の下に位し、更衣の上に位する。主に摂関家の娘がなり、最初の頃は四位・五位に過ぎなかったが、平安初期の頃より次第に高貴になり中期頃には女御の中より直接皇后を選ぶようになった。また上皇や皇太子の侍女に対しても女御の称を使用した。
こうい
更衣;女御の次に位置した女官で、天皇の着替えを任とし寝所にも侍した。一般には中・下級貴族の娘がなり、四・五位に叙せられ、お世継ぎ誕生の為の妾ともなった。

ちゅうぐう
中宮;天皇の后の称。平安初期迄は天皇の母親の称。醍醐天皇が藤原穏子を中宮としてからは皇后の別称となり、醍醐天皇の第14皇子の村上天皇の時以降は正妻の称となる。その後一条天皇の御代には藤原定子が中宮に就いたが、その10年後藤原道長が娘彰子を十三歳で中宮に就けると定子を皇后と称して皇后・中宮が同格の妃の称となり、一代二后の先駆けとなった。


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