巻子本「藍紙本万葉集」(8寸8分8厘×27尺9寸4分  戻る 『藍紙本万葉集』巻子本 一覧へ 

   藍紙万葉集(巻第九 零巻) (両面加工)書写時期不明の模写本

萬葉集巻第九の元々の歌数は雑歌102首、相聞29首、挽歌17首合わせて148首。内長歌22首、旋頭歌1首となっている。
この巻子本、巻内の四か所、歌数にして40首分が切取られているが、何時の頃の欠落かは不明。長らく会津の松平家に伝来していたが、明治になって古筆研究会(難波津会)の主催者田中光顕氏の手にする処となる。後に原三溪氏が手にすることとなり、この時中の四紙分が田中親美氏に割譲された。更に後にはその残巻(歌98首)は中村富次郎翁に受け継がれ、現在では京都国立博物館に収蔵されている。
歌1708のかな書き(女手)部分から歌1718の万葉仮名までの部分は割譲される前の部分です。(第八紙〜第十紙は博物館の巻子本にはない部分、第八紙は東京国立博物館に在り)

第十一紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
       灰水青(浅葱色)   
    
  古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 第十一紙 (次へ)  
縦26.6cmx横47.5cm 
拡大図
藍紙本万葉集

第十一紙

清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

清書用臨書用紙
 第十一紙
 第十一紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)



1728
 なぐさめて こよひはねなむ あすより
 は、こひかもゆかむ いまわかれなば


  宇合卿歌三首

1729
 暁之 夢所見乍 梶嶋乃、石超浪乃 敷弖志
 所念

 あかつきの ゆめにみえつつ かぢしまの
 いはこすなみの しきてしぞおもふ


1730
 山品之 石田乃小野之 母蘇原、見乍哉公之
 山道越良武

 やましなの いはたのをのの ははそはら
 みつつやきみが やまぢこゆらむ

1731
 山科乃 石田社爾 布麻越者、蓋吾妹爾 直相
 鴨

 
やましなの いはたのもりに ぬさこさば
 けだしわぎもに ただにあはむかも



  碁師歌二首

1732
 母山 霞棚引 左夜深而、吾舟將泊 等萬里不
 知母

 おもやまに かすみたなびき さよふけて
 わがふねとめむ とまりしらずも


1733

 思乍 雖來々不勝而 水尾崎、眞長乃浦乎 又
 顧津

 おもひつつ くれどきかねて みをがさき
 まながのうらを またかへりみつ


  小辨歌一首

1734
 高嶋之 足利湖乎 滂過而、鹽津菅浦 今
 (香將滂)

 

1728

 奈久左女天 己与比盤禰奈无 安春与利
 波、己比可毛由可无 以末和可礼奈八



  宇合卿の歌三首

1729          かぢしま   いは          おも
 暁の夢に見えつつ梶島の、石超す波の敷てしぞ念ふ


 安可徒幾能 由女爾美衣徒々 可知之末乃
 以波己春奈美乃 之支天之曾於毛不



1730

 
やましな  いはた      ははそはら
 山科の石田の小野の柞原、見つつや君が山路越ゆらむ

 也末之奈乃 以盤多乃遠乃々 波々曾盤良
 美徒々也幾美可 也末知己由良无



1665        もり  ぬ さ  こ        わぎも  ただ
 山科の石田の社に布麻越さば、けだし吾妹に直に相むかも




  
き し
  碁師の歌二首

1732 
 
おもやま        さ  よ  ふ            とまり
 母山に霞棚引き小夜深けて、吾が舟泊めむ泊知らずも


 
於毛也末爾 可春美多那比支 左与布个天
 和可不禰止女无 止末利之良春毛



1733
              みおがさき
 思ひつつ来れど来かねて水尾崎、眞長の浦をまたかへり見つ

 
於毛比川々 久礼止支可禰天 美遠可左支
 末奈可乃宇良遠 末多可部利美徒

  
  小辨の歌一首

1734    あし り  うみ        しほつ  すがうら
 高島の足利の湖をこぎ過ぎて、塩津菅浦今かこぐらむ



                                                 ページトップ アイコン



漢文調の万葉仮名の部分は非常に難解である。
漢字として読む部分と、仮名として読む部分とが入り乱れて作られている。

水色文字はかな部分の使用字母












1731にはかな(女手)解説が添えられていません。
























 あ ど  みなと
阿渡の湖;
とする説も

ここの( )は第十二紙に在り
第十二紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
灰水青(浅葱色)
古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第十二紙) (次へ)
縦26.6cmx横47.2cm
拡大図 
藍紙本万葉集


第十二紙

清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 

 
清書用臨書用紙
 第十二紙
 第十二紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)


 香將滂

1734
 たかしまの あしりのうみを こぎすぎて
 しほつすがうらを いまやこぐらむ


  以保麻呂歌一首


1735

 吾疊 三重乃河原之 礒裏爾、如是鴨跡 鳴河
 蝦可物

 
わがたたみ みえのかわらの いそのうらに
 かくしもがもと なくかはづかも



  式部大倭芳野作歌一首

1736
 山高見 白木綿花爾 落多藝津、夏身之川
 門 雖見不飽香聞

 やまたかみ しらゆふはなに おちたぎつ
 なつみのかわと みれどあかぬかも


  兵部川原歌一首


1737
 大瀧乎 過而夏箕爾 傍為而、淨川瀬 見何明沙


 おほたきを すぎてなつみに そひてゐて
 きよきかはせを みるがさやけさ


  詠上徳末珠名娘子一首
并短哥

1738
 水長鳥 安房爾継有 梓弓、末乃珠名者 胸

 別之、廣吾妹 腰細之、須輕娘子之 其姿之、

 瑞正爾 如華、咲而立者 玉鉾乃、道往人者

 己行、道不去而 不召爾、問至奴 捐並、隣之

 君者 預、己妻離而 不乞尓、鎰左倍奉 人

 皆乃、奴是迷有者 容艶、縁而曾妹者 多波

 (礼弖有家留)


 かこぐらむ

1734
 
多可之末乃 安之利乃宇美遠 己支春幾天
 之保川春可宇良遠 以末也己久良武



  
い ほ  ま ろ
  伊保麻呂の歌一首

1735                            かわず
 吾が畳三重の河原の礒の浦に、かくしもがもと鳴く河蛙かも




  
しきぶおほやまと  よしの
  式部大倭の芳野にして作れる歌一首

1736    し ら ゆ ふ           なつみ  かはと
 山高み白木綿花に落ちたぎつ、夏身の川門
 見れど飽かぬかも


 
也末多可美 之良由不者那爾 於知多幾徒
 奈川美乃可波止 美礼止安可奴可毛


  
ひょうぶ かはら
  兵部川原歌一首

1737        なつみ
 大瀧を過ぎて夏箕にそひてゐて、清き川瀬を見るがさやけき

 
於保多支遠 春支天奈徒美爾 所比天為天
 幾与支可波世遠 美留可左也个左


  かみつふさ    たまな   をとめ         
  上総の末の珠名の娘子を詠める一首 并びに短歌

1738
     あ は      あづさゆみ    たまな   むなわけ
 しなが鳥 安房に継たる 梓弓、末の珠名は 胸別の、
    
わぎも           をとめ     さま
 廣き吾妹 腰細の、すがる娘子の その姿の、
 
きらきら                    たまほこ
 瑞正しきに 花のごと、咲みて立てれば 玉鉾の、道行く人は
 
おの                    かど
 己が行く、道は行かずて 召ばなくに、門に至りぬ 指し並ぶ、
       
あらかじ  おのつま か               まつ
 隣の君は 予め、己妻離れて 乞はなくに、鍵さへ奉る
        
まど     かほにほ          たは
 人皆の、かく迷へれば 容艶ひ、縁りてぞ妹は 戯

 (れて有ける)



                                                 ページトップ アイコン
水色文字はかな部分の使用字母








歌1735にはかな(女手)解説が添えられていません。










 かはと

川門;
川の渡り場。
川の両岸が迫って狭くなっている所。



















とうにいたりぬ
問至奴;「門」か

すてならべ
捐並;「指」か


ここの( )は第十三紙に在り

                              第十三紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                                    灰水青(浅葱色)
古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第十三紙) 
                                  縦26.6cmx横48cm
 藍紙本万葉集


  第十三紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 


 清書用臨書用紙
   第十三紙
 第十三紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集) 



 礼弖有家留


  反歌

1739
 金門爾之 人之來立者 夜中母、身者田菜
 不知 出曾相來

 
かなとにし ひとのきたてば よなかにも
 みはたなしらず いでてぞあひける


  詠水江浦嶋子一首 并短哥
1740
 春日之 霞時爾 墨吉之、岸爾出居而 釣船之、

 得乎良布見者 古之、事曾所念 水江之、浦

 嶋児之 堅魚釣、鯛釣矜於 及七日、家爾毛不

 來而 海界乎、過而傍行爾 海若、神之女爾

 邂爾、伊許藝趨 楯誂良比、言成之賀婆 加

 吉結、常代爾至 海若、神之宮乃 内隔之、細有

 殿爾 携、二人入居而 耆不為、死不為而 永世爾、

 有家留物乎 世間之、愚人乃 吾妹児爾、告而語

 久須臾者、家帰而 父母爾、事毛告良比 如明

 日、吾者來南登 言家礼婆、妹之答久 常世

 邊、復變來而 如今、將相跡奈良婆 此篋、開

 勿勤常 曾己良久尓、堅目師事乎 墨吉爾、

 還來而 家見跡、宅毛見金手 里見々跡、里毛

 見金手 恠常、所許爾念久 從家出而、三歳




 
 
 れて有ける


  反歌

1739

 
かな と                          いで
 金門にし人の来立てば夜中にも、身はたな知らず出てぞ
 相ける



  
みづのえ
  水江の浦島の子を詠める一首 并びに短歌
1740
            すみのえ          つりぶね
 春の日の霞める時に墨吉の、岸に出でゐて釣船の、
         
いにしへ
 とをらふ見れば古の、事ぞ思ほゆる水江の、浦島の児が
 
かつをつ  たいつ
 鰹釣り、鯛釣りほこり七日まで、家にも来ずて
 
うなさか            わたつみ     をとめ
 海界を、過ぎてこぎ行くに海若の、神の女にたまさかに、
        
あひあと
 いこぎ向かひ相誂らひ、こと成りしかばかき結び、
 
とこよ     わたつみ        うち    
 常世に至り海若の、神の宮の内の重の、妙なる殿に
 
たずさ                     
 携はり、二人入り居て老もせず、死にもせずして永き世に、
               
おろかびと        
 ありけるものを世の中の、愚人の吾妹子に、告りて語らく
 
しましく                 かた
 須臾は、家に帰りて父母に、事も告らひ明日のごと、
    
                   とこ よ べ
 吾は来なむと言ひければ、妹が答へらく常世邊に、
                         くしげ
 また帰り来て今のごと、あはむとならば此の篋、
     
ゆめ              すみのえ
 開くな勤とそこらくに、かためし事を墨吉に、
              
いえ
 帰り来たりて家見れど、宅も見かねて里見れど、
                 
おも      いで   みとせ
 里も見かねて怪しげと、そこに念はく家ゆ出て、三歳






                                                            ページトップ アイコン




水色文字はかな部分の使用字母

歌1739にはかな(女手)解説が添えられていません。













あとら

誂ふ;
頼みかける。誘いかける。







 しましく
須臾;(暫しく)
少しの間、しばらくの間















                      第十四・十五紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                              灰水青(浅葱色)

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第十四・十五紙)  
                第十五紙;縦26.6cmx横48.0cm  第十四紙;縦26.6cmx横26.7cm
 藍紙本万葉集


  第十四紙



清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 


 清書用臨書用紙
   第十四紙
  第十四・十五紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)

反歌1741のかな書き(女手)までが第十四紙、 筑波嶺に登りてより第十五紙。


1740(続き)
 之間爾 垣毛無、家滅自八跡 此筥乎、開而見

 手歯 如本、家者將有登 玉篋、小披爾 白雲

 之、自箱出而 常世邊、棚引去者 立走、叫袖

 振 返側、足受利日管 頻、情消失奴 若有之、

 皮毛皴奴 黒有之、髪毛白斑奴 由奈由奈波、

 氣左倍絶而  後遂、壽死祁流 水江之、浦嶋

 子之 家地見



  反歌
1741
 常世邊 可住物乎 剱刀、己之行柄 於曾也是
 君

 とこよべに すむべきものを つるぎたち
 わがこころから おそやこの人


  登筑波嶺為擢歌曾日作歌一首
并短哥

1759
 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃、其津乃上爾 

 卒而、未通女壯士之 往集、加賀布擢歌尓 他

 妻尓、吾毛交牟 吾妻尓、他毛言問 此山乎、牛掃

 神之 徒來、不禁行事叙 今日耳者、目串毛
            
擢歌者東俗語
 勿見 事毛咎莫
          
  曰賀我比





   反歌

1760
 男神爾 雲立登 斯具禮零、沽通友 吾將反哉

 をのかみに くもたちのぼり しぐれふり
 ぬれとほるとも われかへらめや


 右件歌者、高橋連蟲麿歌集中出




 


1740(続き)
 
 みとせ   ほど         うせ       はこ
 (三歳)の間に垣も無く、家滅めやと此の筥を、開きて見てば
 
もと  ごと        たまくしげ    ひら
 本の如、家はあらむと玉篋、少し披くに白雲の、

 箱より出でて常世邊に、棚引きぬれば立ち走り、叫び袖振り
 
こひまろ         たちまち  こころ け う
 返側び、足ずりしつつ頻に、情消失せぬ若かりし、
 
はだ しわ
 膚も皺みぬ黒かりし、髪も白けぬゆなゆなは、
 
いき            いのち し    みずのえ
 氣さへ絶えて後遂に、壽死にける水江の、浦島の子が
 
いへどころ
 家地見ゆ




  反歌
1741             つるぎたち    こころ
 常世邊に住むべきものを剱刀、己が行からおぞやこの君

 
止己与部爾 春武部支毛乃遠 川留幾多知
 和可己己呂可良 於曾也己乃人



  筑波嶺に登りて擢歌曾せし日に作れる歌一首并に短歌
1759

 
わし            も は き つ      
 鷲の住む筑波の山の裳羽服津の、その津の上に
 
あとも    を と め  を と こ             かがひ  ひとづま
 率いて、未通女壯士の往き集い、かがふ擢歌に他妻に、
 
われ          ひと  こと ど        うしは
 吾も交らむ吾妻に、他も言問へこの山を、領く神の
     
いさ    わ ざ
 昔より、禁めぬ行事ぞ今日のみは、めぐしもな見そ
   
とが
 言も咎むな。 
擢歌は東の俗語にかがひと曰ふ






   反歌
1760
 
                 ぬれとほ    われかへ
 男の神に雲立ち上りしぐれ零り、沾通るとも吾還らめや

 
遠乃可美爾 久毛多知乃保利 之久礼不利
 奴礼止保留止毛 和礼可部良女也


          
たかはし むらぢ むし ま ろ        
 右の件の歌は、高橋連蟲麻呂の歌集の中に出でたり。








                                                            ページトップ アイコン
ここの( )は第十三紙に在り


水色文字はかな部分の使用字母









いのち

壽;寿命


こころ
行;行為
おこない。しわざ。

 な  こころ
己が行から;或は
(おのがわざから)

おぞ
鈍し;
のろい。にぶい。



うしは
領く;

自分の物として領有する


かがひ

擢歌;男女が互いに歌を掛け合うこと

めぐ
愛し;
かわいらしい。いとおしい。



















                          第十九紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                              灰水青(浅葱色)

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第十九紙) (次へ)
                                  縦26.6cmx横51.2cm

 藍紙本万葉集


  第十九紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 


 清書用臨書用紙
   第十九紙
  第十九紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)

最後の一行は第二十紙

   (神亀五年戌辰秋八月歌一首 并短哥
1785
 人跡成 事者難乎 和久良婆爾、成吾身者)


 死毛生毛、公之随意常 念乍、有之間爾 虚蝉

 乃 代人有者 大王之、御念恐美 天離、幾治爾

 登 朝鳥之、朝立為管 郡鳥之、群立行者 留

 居而、吾者將戀奈 不見久有者

   反歌

1786
 三越道之 雪零山乎 將越日者、留有吾乎 懸
 而小竹葉背

 みこしぢの ゆきふるやまを こえむひは
 とまれるわれを かけてしのはせ


  天平元年己巳冬十二月歌一首 并短哥

1787
 虚蝉乃 世人有者 大王之、御命恐彌 礒城嶋

 能、日本國乃 石上、振里尓 紐不解、九寐乎為

 者 吾衣有、服者奈礼奴 毎見、戀者雖益 色

 二山上復有山者、一可知美 冬夜之、明毛不得

 呼 五十母不宿亦、吾齒曾戀流 妹之直香仁

 


   反歌

1788
 振山従 直見渡 京二曾、寐不宿戀流 遠不有
 爾

 ふるやまに ただにみわたす みやこにて
 いねずてこふる とほからなくに


1789
 吾妹児之 結手師紐乎 將解八方、絶者絶十
 方 直二相左右二

 わぎもこが ゆひてしひもを とかめやば
 たえばたゆとも ただにあふまで


   右件五首笠朝臣金村之歌中出

        

  天平五年
、遣唐使舶發難波海之

  時親母贈
子歌一首 并短哥

 
    じんき    つちのえたつ
   (神亀五年戊辰秋、八月の歌一首 并びに短歌
1785
 人と成る事は難きをわくらばに、成れる吾が身は)

          
まにま  おも           うつせみ
 死も生も、君が随意と念ひつつ、ありし間に虚蝉の、
               
みこと かしこ  あまざか   ひなをさ
 世の人なれば大君の、御命恐み天離る、夷治めにと
                         
とま
 朝鳥の、朝立しつつ群鳥の、群立行かば留り居て、

 吾は恋むな見ず久ならば


   反歌
1786
        
                      しの
 み越路の雪零る山を越えむ日は、留れる吾を懸けて偲はせ


 
美己之知乃 由支不留也末遠 己衣武比盤、
 止末礼留和連遠 可个天之乃者世

        
つちのとみ
  天平元年己巳、冬十二月の歌一首 并びに短歌

1787
 
うつせみ               み こ と かしこ  し  き しま
 空蝉の世の人なれば大君の、御命恐み礒城島の、
        
いそのかみ ふ る    
 大和の国の石上、布留の里に紐解かず、丸寝をすれば
            

 吾が着たる、衣は穢れぬ見る毎に、恋はまされど

 色に出でば、人知りぬべみ冬の夜の、明しも得ぬを
 
 
               ただか
 寐も寝ずに、吾はぞ恋ふる妹が直香に。




   反歌
1788
       
ただ     みやこ     
 布留山ゆ直に見渡す京にぞ、寐も寝ず恋ふる遠からなくに


 
布留也末爾 多々爾美和多春 美也己爾天
 以禰春天己不留 止保可良奈久爾



1789                             ただ  あふ
 吾妹子が結ひてし紐を解かめやも、絶えば絶ゆとも直に相ふまで

 
和支毛己可 由比天之比毛遠 止可女也者
 多衣波多由止毛 多々爾安不末天


   右の件の五首は、笠朝臣金村の歌の中に出でたり

       
みずのととり
 天平五年癸酉、遣唐使の舶難波を発ちて海に入りし時、
 
は は
 親母の子に贈れる歌一首 并びに短歌



                                                            ページトップ アイコン
わくらばに;
たまさかに、たまたま。






水色文字はかな部分の使用字母




















 きたる
「衣」;着たる

 ころも
「服」;衣



山上復有山者;
「出でば」と読んでいる































最後の一行は
第二十紙
                     第二十四紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)
                              灰水青(浅葱色)

古筆臨書 巻子本 『藍紙本万葉集』 (第二十四紙) 

                                  縦26.6cmx横46.0cm (奥付は15.8cm)
 藍紙本万葉集


  第二十四紙


清書用 臨書用紙 『藍紙本万葉』 


 清書用臨書用紙
   第二十四紙
  第二十四紙 藍紙本万葉集(藍紙万葉集)

                       (焼)

 大刀乃、手疑押禰利 白檀耳、靫取負而 入

 水、火尓毛將入跡 立向、競時尓 吾妹子之、母

 尓語久 倭父手纏、賤吾之故 大夫之、荒争見

 者 雖生、應合有哉 宍串呂、黄泉尓將待跡

 隠沼乃、下延置而 打歎、妹之去者 血沼壯士、其

 夜夢見 取次寸、追去祈礼婆 後有、菟原

 壯士伊 仰天、明於良妣 混地、牙喫建怒而

 如己男尓、負而者不有跡 懸佩之、小剱取佩

 冬蔽蕷都良、尋去都礼婆 親族共、射歸

 集 永代尓、標將為跡 遐代尓、語將繼常 處女

 墓、中爾造置 壯士墓、此方彼方二 造置有、故

 縁聞而 雖不知、新喪之如毛 哭泣鶴鴨




   反歌
1810
 葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎、往來跡見者
 哭耳之所泣

 あしのやの うなひをとめの おきつきを
 ゆきくとみては なきのみぞなく

1811
 墓上之 木枝靡有 女聞、陳奴壯士爾 依家良
 陪母

 つかのうへの このえなびけり すかうしと
 ちぬをとこにし よるべけらむも



 
萬葉集巻第九

     始
九月十七日廿日之了




 
やき だ ち            しらまゆみ   ゆぎ
 焼大刀の、手かみ押し撚り白檀弓、靫取り負ひて水に入り、
                
きほ
 火にも入らむと立ち向ひ、競ひし時に吾妹子が、母に語らく
 
し つ     いや       ますらを
 倭文たまき、賤しき吾がゆゑ大夫の、争ふ見れば
                      
よ み
 生けりとも、合ふべくあれやししくしろ、黄泉に待たむと
 
こもりぬ   した は                    ち ぬ を と こ
 隠沼の、下延へ置きてうち嘆き、妹が去ぬれば血沼壯士
     
いめ                  おく
 その夜夢に見取り続き、追い行きければ後れたる、
 
う な ひ を と こ  あま          つち     き か
 菟原荘士い天仰ぎ、叫びおらび地に伏し、牙喫みたけびて
    
            かきはき   おだち   
 もころ男に、負けてはあらじと懸佩の、小剱取り佩き
 
と こ ろ づ ら           やから
 冬蔽蕷葛、尋め行きければ親族どち、い行き集ひ
       
しるし                   を と め づか
 永き代に、標にせむと遠き代に、語り継がむと處女墓、
         
を と こ づか  こなた かなた         ゆゑよし
 中に造り置き壯士墓、此方彼方に造置ける、故縁聞きて
        
にひも  ごと  ね な
 知らねども、新喪の如も哭泣きつるかも




    反歌
1810
 
あしのや  う な ひ を と め  お く つ き            
 葦屋の菟原處女の奥津城を、往き来と見れば哭のみし泣かゆ

 
安之乃也乃 宇那比遠止女乃 於支川幾遠
 由幾久止美天波 奈幾乃美曾那久


1811       え なび        ち ぬ を と こ
 墓の上の木の枝靡けり聞きしごと、血沼壯士にし
 依りにけらしも

 
徒可乃宇部乃 己乃者那比个利 春可宇之止
 知奴遠止己爾之 与留部个良武毛




 萬葉集巻第九
                 
はつか           おは
     九月十七日より始め廿日に至り、これを写し了んぬ。


 し  づ  た ま き  かじ      よこいと                      あやぬの しづはた
倭父手纏;穀・麻などの緯を赤や青などで染、乱れ模様に織った彩布(賎機)で作った手にまくものの意。
       「いやしき」「数ならぬ」にかかる枕詞


 う な ひ を と め
菟原處女;今の兵庫県芦屋市の辺りに住んでいた乙女。妻争いの伝説中の人物。二人の男に求婚された葦屋の娘が、いづれとも決めかねて「住み詫びぬ吾身投げてむ津の國の、生田の川は名のみなりけり」と詠んで、生田川に身を投げ、二人の男も後を追って沈んだという。大和物語に出てくる話の中の人。

 をとめづか                                                      う な ひ を と こ  ち ぬ を と こ
處女墓;板挟みとなって身を沈めた菟原處女の墓の中に、後を追って伴に沈んだ二人の求婚者、菟原壯士と血奴壯士
の塚を左右に作ったという。





                                                                     ページトップ アイコン
 たかみ
手柄;たかび
剣の柄


ゆぎ
靫;矢を入れて携帯する容器


 し し く し ろ

宍串呂;(肉串ろ)
枕詞
串焼きの肉の意で
美味しいものとして
「うまし」と同音の
 
う ま い    よ み
「熟睡」、「良美」と同音の「黄泉」などにかかる


 い     
伊;或は「伴」か




 も こ ろ を
如己男;自分と同様の男



懸佩;
腰に付けて下げること

 と こ ろ づ ら
冬蔽蕷葛;野老葛
ヤマノイモの仲間の蔓植物。根茎は灰汁抜きすれば食用になる。




































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