継色紙 (4寸4分2厘×8寸8分4厘)          戻る 臨書用紙 継色紙へ 
   古今和歌集 粘葉本 染紙(両面加工)

料紙二葉を使い、一葉の左半分(左項)に上の句を納め裏面には墨入れしないで、
もう一葉の右半分(右項)に下の句を納めた様式のもの。同様式の歌が8首存在しております。


薄渋紺色(うすしぶこん)
左やや緑味の薄渋紺色                        右微かに紫を感じる薄渋紺色
  継色紙 ウス渋紺色 『之良那見能』 拡大  使用字母へ  
13.4cmx26.8cm



清書用


色見本


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(現代語訳)










継色紙 薄渋紺色 『神可幾乃』  次の画面へ
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                                          水色文字は使用字母

「上の句」(右項)
                「下の句」(左項)
 しらなみの あとなき かたにゆく ふねも    風ぞた よりのし るべなり けり 
 
之良那見能 安登奈幾 可多耳由久 不年毛    風曽堂 與里乃之 類部奈里 个利

                                              (藤原 勝臣)
古今集(巻十一;恋一)
薄渋紺色。ほぼグレー味の薄青です。清書用臨書用紙に薄紺色は作成しておりませんので、渋草色若しくは紺色で代用して下さい。
昭和初期の模写本(粘葉装)はこちらです。

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(現代語訳)
昭和中期の模写本(粘葉装)茶紫色
継色紙 茶紫色拡大 『上の句・しらなみの』 当初の書写位置 次の画面へ  解説へ
(現代語訳)
 「上の句」 しらなみの あとなき かたにゆく ふねも     右項は広く開けてあります。  水色文字は使用字母
       
之良那見能 安登奈幾 可多耳由久 不年毛

料紙の色は茶紫です。この裏面には書写されておりません。(粘葉本当初の書き方そのままの模写です)
昭和中期の模写本(粘葉装)渋草色
継色紙 薄渋青緑色拡大  『下の句・風ぞたよりの』 当初の書写位置  解説へ
(現代語訳)
   水色文字は使用字母                 「下の句」 風ぞた よりのし るべなり けり 
                                  
 風曽堂 與里乃之 類部奈里 个利
料紙の色は薄青緑です。運筆、墨の濃淡も確認できます。
料紙は両面加工の染紙ですが、右項の裏面にも書写されておりません。(粘葉本当初の書き方そのままの模写です)


昭和初期の模写本(粘葉装)

継色紙 薄紺・茶紫色 『しらなみの』 拡大 昭和初期模写本・既に継いだ状態  解説へ
(現代語訳)
 昭和初期の模写本(粘葉装)既に継いだ状態で制作されております。    水色文字は使用字母

「上の句」 しらなみの あとなき かたにゆく ふねも  「下の句」 
風ぞた よりのし るべなり けり 
       
之良那見能 安登奈幾 可多耳由久 不年毛        風曽堂 與里乃之 類部奈里 个利
                                                  
ふぢはらのかちおむ
                                                 (藤原 勝臣)

白波の跡無き方に行く舟も 風ぞ頼りの標なりけり」
現代語訳
白波の跡形もない場所へと進んで行った舟も、風だけが頼りとなる水先案内人であったという事である。
解釈
立つ白波の形跡さへも見え無い程遠くへと進んで行った舟も、やはり風だけが頼みの風の便りの様な心許ないの道案内だということだのだなあ。(私の元から去って行ったあの人も、やはり何処からか伝わってくる噂だけが頼りの心許ないお導きだったのだなあ。)
この歌は古今集の恋歌に入っているので
追い風として吹く風も無い孤立無援の大海原へ漕ぎ出す帆掛け舟の様に、この私の恋も風だけを頼みとする落着かない気まぐれな風来坊の様であったのだなあ。との意を込めて詠んだ歌かも。


方;方向。場所。方面。手段。時間。人の敬称。など文脈によって分かれる。

風ぞ頼り;文字通り読めば「風だけが頼り」の意で、帆船や風車、また今でいう風力発電など風の力だけを頼みとした動力の意であるが、「風の便り」の強意としての便りを含んだ「風ぞ頼り」の意と見て『まるで風が運んでくるように何処からともなく、誰からともなく伝わって来る消息や噂だけが風の使いとしての頼みの綱』取る事が出来る。

なりけり;…で有ったという事だ。…ということだ。断定の助動詞「なり」の連用形「なり」に過去の助動詞「けり」の付いた形、伝聞の意を表す。

ふじわらのかちおむ(ふじはらのかちおん)
藤原勝臣;平安時代前期の歌人であるが、詳細は不詳。古今和歌集以下の勅撰集に3首が入集しており、藤原北家の出という事であるが下級官僚に甘んじる。生没年不詳。


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