三十六人集 貫之集 上 萱漉染紙『松に鶴』 清書用臨書用紙(半懐紙)
カヤ目漉き楮紙 幹色染 花鳥折枝金銀袷型打 『松に鶴』(松咥鶴)
|
||||
装飾料紙(染紙・花鳥折枝金銀袷型手描き)の書手本 第六紙 縦6寸7分、横1尺5分5厘 歌番号は貫之集での通し番号 青色文字は使用字母 解説・現代語訳へ
「爾」は「尓」とすることも。 「礼」は「禮」とすることも。 「个」は「介」とすることも。 現代語訳 解説 解説・使用字母へ
すが ね ねもこ 菅の根の;枕詞。「ながし」「みだる」「懇ろ」「たゆ」などにかかる。菅の根が長く、絡みつく様にして乱れていることからこれ等の語に掛る。 こむらさき あずきいろ ふかむらさき 濃紫;濃く少し黒みがかった小豆色に近い紫色。令制では一位の官位相当の色。平安初期には三位以上の位色となった。深紫。尚、紫色は「紫の縁(愛しいと思う人や親しい人に縁のある人や物)」との言葉がある様に、平安時代初期から「ゆかり」と関連付けた色として認識されていた。又、高貴の色、極楽浄土の色とも関連付けて考えられていた。 おこ びと えんのおづの 行い人;仏道を修行する人。行者。古来より山岳信仰が根強く、中でも奈良時代の役小角を祖と仰ぐ日本仏教の一派が各地に広まっていた。山岳信仰に基づくもので、密教と習合して元々山中の修行による呪力の獲得を目的としたが、後世の協議では、自然との一体化による即身成仏を重視するようになった。平安中期には密教系の行者の中から、山々の回峰修行により霊力を強めようとする験者が台頭し、聖護院を中心とする天台系(本山派)と醍醐寺三法院を中心とする真言系(当山派)が活動するようになった。共に吉野・金峯・大峰・熊野一帯を根本道場とした。鎌倉末期には密教から独立して全国各地に広がり、到る所に修験道の道場が設けられた。 岩木山・出羽三山・日光二荒山・筑波山・秩父三山・富士山・御嶽山・立山・白山・石鎚山・英彦山などが主なもの。南北朝の動乱を描いた太平記に見られる修験者の活躍には目覚ましい物がある。 ページ |
||||