三十六人集(西本願寺本)
中務集 染紙(濃紫)・金銀砂子 清書用臨書用紙 (半懐紙)
染紙(濃紫)金銀砂子振り 花鳥折枝銀燻銀袷型打
写真は半懐紙の為、臨書手本よりも一回り大きくなっております。
(本料紙は中務集第一紙の代用品です。花鳥折枝等は実物とは異なります。)
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花鳥折枝銀燻銀袷型打部分拡大(右下側部分) | |
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花鳥折枝銀燻銀袷型打部分拡大(左下側部分) |
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中務集 染紙(濃紫) 金銀砂子 書手本 第十六紙 縦6寸7分、横1尺5分5厘 使用字母及び解説へ 歌番号は中務集での通し番号 青色文字は使用字母
「禰」は「祢」とすることも。 「禮」は「礼」とすることも。 「爾」は「尓」とすることも。 「个」は「介」とすることも。 「與」は「与」とすることも。 「沢水の心を知れる君ならば、常より勝る今日を知らまし」の返歌。 169 水嵩が多くなっている(激流の)時の水際の様子までもは知りはしませんが、(今この時に穏やかに流れる)淀の浜辺を思い出してきましたよ。(心高ぶっている時の貴方様のお姿までは存じ上げておりませんが、穏やかな時の貴方様を今思い出しましたよ。) みぎは 汀;水際。 淀;流水の淀んだ所。京都市伏見区の桂川・宇治川・木津川の合流点の辺りの地名。水運の要地として栄え、江戸時代には永井氏、松平氏、稲葉氏などの城下町としても栄えた。 170 (心落ち着いてそこに)在るよりも漁夫の刈りとる海藻の様に乱れの方が上回っていて、思い悩むことをしてしまうとしても愛しい人は知らないでしょうね。(下の句頭の「もの」は海人の刈る「藻の」と「物」思ひとに掛けてある。) 171 人目を忍びながら一生を終えようとしておりますよ、陸奥の阿武隈川を如何にして渡り切りましょうか。 よ つ 世を尽くす;一生を終える。 みちのく いわき いわしろ りくぜん りくちゅう むつ 陸奥;磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の五か国。 172 阿武隈川を(渡し守も果ててしまって)渡り切れないものであるならば、あっけ無いばかりの虚しさに私は一体どうしたら好いのでしょうか。 来れば返し、返したれば又人来り。 173 秋風になびく(誰かの魅力にひかれてついつい心を移してしまう私の)心は(秋風で揺れる)楠の葉(の匂)に、(寄るなと云わんばかりに)吹き返されてしまう丁度その時には、みすぼらしくて面白くないものですよ。 くす くすのき 樟;楠。クスノキ科の常緑高木で関東以南の暖地の海岸縁に多い。木全体に佳香があり、防虫・消臭剤としての樟脳はこの木を蒸留して作ったもの。 174 本心から発しているのではありませんのにこの秋風(厭きの風)は、翻る(返る)楠の葉の浦見(恨み)にきっと成るのでしょうね。(秋風で木の葉が翻って葉の裏が見える様子に、(葉の裏見から又楠が海岸べりに生えていることから)浦見(恨み)をすることになる。と『恨み』に掛けている。) |
中務;平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。古今和歌集を勅撰したことで知られる醍醐天皇の皇弟で中務省長官、中務卿敦慶親王の王女。家集は『中務集』、天暦・天徳歌合せの作者。母はやはり三十六歌仙の一人、伊勢。
てんとくうたあわせ
天徳歌合;天徳四年三月三十日宮中清涼殿で催された歌合であり、12題20番を採った。これ以後の歌合の規範となり、天徳四年内裏歌合とも称された。
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