三十六人集(西本願寺本)
 中務集 染紙(深草)・金銀砂子 清書用臨書用紙 (半懐紙)  戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ


三十六人集 染紙 『銀砂子振』 花鳥折枝銀燻銀袷型打 (中務集 )
染紙 深草色 金銀砂子振り 花鳥折枝銀燻銀袷型打

写真は半懐紙の為、臨書手本よりも一回り大きくなっております。
(本料紙は中務集第十九紙の代用品です。花鳥折枝等は実物とは異なります。)


三十六人集 染紙 『銀砂子振』 花鳥折枝銀燻銀袷型打 左上部分拡大 (中務集 )   三十六人集 染紙 『銀砂子振』 書手本(中務集 )
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 花鳥折枝金銀袷型打部分拡大(左上側部分)  
 
三十六人集 染紙 『銀砂子振』 花鳥折枝銀燻銀袷型打 右下部分拡大 (中務集 )
 
 花鳥折枝銀燻銀袷型打部分拡大(右下側部分)  


臨書手本

三十六人集 染紙 『銀砂子振』 書手本拡大 (中務集第十九紙 )  使用字母
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 中務集 染紙 金銀砂子  書手本 第十九紙 縦6寸7分、横1尺5分5厘      使用字母及び解説へ
 光の反射で文字が見辛くなっている箇所が有りますが、ご了承ください。


歌番号は中務集での通し番号                    青色文字は使用字母

   返事
204

 たかさごの まつは我とも しもかれに、

 まじれるえだを しる人ぞなき

       
いづみのかみしたがふ
   門さして和泉守順の朝臣のかきを
   へだててあるに、梅をこなたの人みな
   とりたりといふにききて、むめをやりた
   れば 順
205
 ゐせきにも さはらすむめを をるときは、
 まへのゐせきも さはらざりけり


   返し
206
 ゐせきにも さはらでいかで もりにけむ、
 せきのふるくひ くひもあかぬに


   またしたがふ
207
 いづみには あらぬまがきの しまちかみ、
 なみのこえつつ もるとこそきけ


   またかへし
208
 うちこゆる なみのおとせは もらぬより、
 しまきのかぜぞ ふきかへさるる



    返事
204

 多可佐己能 末徒八我止无 之毛可禮爾、
 末之禮留衣多遠 之類人曾奈支


    
門左之天和泉守順乃朝臣乃可支遠
    部多天々安留爾、梅遠己那多能人美那
    止利多利止以不爾幾々天、武女遠也太
    禮波 順
205
 井世支爾毛 左者良須武女遠 々留止幾波、
 末部能為世支毛 左者良左利个利


    返之
206

 井世幾爾毛 左者良天以可天 毛利爾計無、
 世支能不留久比 〜毛安可奴爾


    末多之多可不
207
 以川美爾波 安良奴末可支能 之末知可見、
 奈美能己衣徒々 毛留止己曾幾計


    末多可部之
208
 宇知己遊留 奈美能於止世波 毛良奴與利、
 之末支能可世所 布幾可部左類々


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「禮」は「」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「个」は「介」とすることも。

「與」は「与」とすることも。


204
高砂の松は私の様だと思われましても、霜に打たれて枯れてしまった草木の中に混じって(青味を残してまだ此処にいるよと必死に伝えようとして)いる枝を知っている人ももう(ここには)居ないことですよ。
(「霜枯れに」は「詩も涸れに」をかけ思い伝える言葉も涸れてしまった事とを掛けている。忘れないで欲しいとの寂しい思いを歌ったもの。)


高砂の松;兵庫県高砂市の高砂神社境内に在る黒松と赤松とが自然に癒着した相生の松。夫婦が深い契りに結ばれて、共に長生きすることの象徴として例えられている。天然記念物ではあったが、1931年に赤松は枯死した。


いづみのかみしたがふ
和泉守順;源順。平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人。

205
井堰にも差支えの出る梅の木を切り倒してしまおうとするときには、以前からあった井堰も差し障りが無かったのだろうか(否あったはずだ)。


ゐせき

井堰;水を他所へ引く為、川水をせき止めた所。

206
井堰にも手を加えないで(そのままにしておいて)どうして保全(修復)をする事が出来ましょうか、堰き止めに打付けてある古杭の様に後悔の念も飽き足らないのに(消え去らないで何時までも後悔し続けておりますよ)。

飽かぬ;四段動詞「飽く」の未然形に打消しの助動詞「ず」の連用形の付いたもの。充分に堪能できない。飽き足らない。名残尽きない。


207
和泉には有るはずも無い籬の近場の島巡り(島の近間を波が越してゆく事がないかの如くに)、特に良くも悪くもないものが徐々に成長してゆくことこそ「盛る」というものですよ。

まがき
籬;竹や柴などを粗く編んで作った垣。隙間を通して向こう側の様子が窺える。

                            
ちかのうら        ちかのしま
しまちかみ;島を近くで見る事か。或は歌枕である「千賀浦」から見る「値嘉島(長崎県五島列島及び平戸島などの諸島の古称)」を念頭に置いてのものか。

なみ;「波」と「並」、「越えつつ」と「肥えつつ」。「守る(見守り守護する)」と「盛る(嵩が増える)」の掛詞

208
(島を)超えてくるその波の音がしたならば、秘め事をばらさないと云うよりも、激しく吹きまくる雪混じりの風に(私もろとも)吹き返されてしまいますよ。

しまき
風巻;風の激しく吹きまくる様。又その風。主に北国で吹き荒れる雪混じりの風




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中務;平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。古今和歌集を勅撰したことで知られる醍醐天皇の皇弟で中務省長官、中務卿敦慶親王の王女。家集は『中務集』、天暦・天徳歌合せの作者。母はやはり三十六歌仙の一人、伊勢。

てんとくうたあわせ
天徳歌合;天徳四年三月三十日宮中清涼殿で催された歌合であり、12題20番を採った。これ以後の歌合の規範となり、天徳四年内裏歌合とも称された。

みなもとのしたごう
源順;平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人、文人でもあり学者でもある。若くして日本最初の辞書である倭名類聚抄に携わる。梨壺五人衆の一人として後撰和歌集の先進にも加わり、万葉集の訓釈である訓点にも従った。皇室、権門などの依頼によって屏風歌や障子歌などを作る職業歌人としての一面もあり、また盤の升目形に歌を組み合わせて行く双六盤歌などの様に遊戯的・技巧的な歌を収めたものなどもある。これらを収めた自家集として源順集がある。拾遺和歌集以下の勅撰和歌集に約50首の歌が入集されている。


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