三十六人集(西本願寺本)
中務集 染紙(茜茶)・金銀砂子 清書用臨書用紙 (半懐紙)
染紙(茜茶)金銀砂子振り 花鳥折枝銀燻銀袷型打
写真は半懐紙の為、臨書手本よりも一回り大きくなっております。
(本料紙は中務集第四紙の代用品です。花鳥折枝等は実物とは異なります。)
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花鳥折枝銀燻銀袷型打部分拡大(中央やや上側部分) | |
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花鳥折枝銀燻銀袷型打部分拡大(左下側部分) |
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中務集 染紙(茜茶) 金銀砂子 書手本 第四紙 縦6寸7分、横1尺5分5厘 使用字母及び解説へ 光の反射で文字が見辛くなっている箇所が有りますが、ご了承ください。 歌番号は中務集での通し番号 青色文字は使用字母
「禮」は「礼」とすることも。 「爾」は「尓」とすることも。 「个」は「介」とすることも。 「與」は「与」とすることも。 ふぢなみ 飛鳥川;奈良県の大和川に注ぐ小さな川で、出水や氾濫を起こしやすく、瀬と淵とが絶えず移り変わったという。またこれを歌った「世の中は何か常なる飛鳥川、昨日の淵ぞ今日は瀬となる」(古今集・詠み人不知)があまりに有名になり、 世の中の出来事が変転極まりなく常に定まり難いことの例えとして、飛鳥川(の渕瀬)が用いられる。。 23 変り易い流れの川として名前の知れている飛鳥川ではあるけれど、直ぐに歩いて渡ることのできる浅瀬の方にこそ優っていたのですね。 はなたちばな 石上;奈良県天理市北部の地名。枕詞。「ふる」(旧る・降る・振る)にかかる。 24 かつて住んでいた辺りに来てみれば、昔(桜の髪飾りの)花枝を髪に挿して遊んでいた(桜の木の)花が昔と同じように咲いておりましたよ。 ふしみ 伏見;京都市伏見区桃山丘陵の西側で、平安時代からの貴族の別荘地。秀吉が伏見城を築いてからは城下町として栄え後には淀川水運の港町としても栄えた。御陵、稲荷大社がある地。 25 桜の花びらが風に舞って散り乱れている空はもうすっかり茜色に染まってしまっていた様ですよ、できれば伏見の里に宿を取りたいものですね。 もるやま 守山;滋賀県南西部野洲川の左岸にある一帯。中山道の旧宿場町。 26 まるで人目を気にするかのように守山で鳴く呼子鳥よ、一体だれを深く慕って待っている鳴声なのだろうか。 27 藻塩を焼く煙となってしまった(死んでしまった)のだろうか須磨の海人は、湧き立つような秋の霧(の様に見える煙)もまだ湧いて来ていない様なのでね。 さをやま 佐保山;奈良市の北西部にある山。紅葉の名所、歌枕。 28 初雁の響き及ぶ声によって、今朝は(故郷である)遥かな佐保山に思いを馳せてしまいましたよ。 しかすがのわたり みかわのくにほいぐんしかすがむら 然菅の渡;奈良時代、平安時代の三河国宝飯郡然菅村の吉田川河口にあった渡し場。歌枕。 29 行ったら行ったで有り、行かなかったら尚苦しい思いをする然菅の渡しであるが、渡し場まで来て一層あれこれと思い悩んでしまうものよ。 |
中務;平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。古今和歌集を勅撰したことで知られる醍醐天皇の皇弟で中務省長官、中務卿敦慶親王の王女。家集は『中務集』、天暦・天徳歌合せの作者。母はやはり三十六歌仙の一人、伊勢。
てんとくうたあわせ
天徳歌合;天徳四年三月三十日宮中清涼殿で催された歌合であり、12題20番を採った。これ以後の歌合の規範となり、天徳四年内裏歌合とも称された。
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