三十六人集(西本願寺本)
敏行集 具引唐紙『獅子唐草』(清書用臨書用紙)
藤原敏行の家集で、筆者は不明、同じく三十六人集中の遍照集・頼基集と同筆とみられる。歌にはすべてに詞書が付けられているが、巻頭歌の詞書は他の集とはやや異なっている。
伝源俊頼筆『紫紙切』では、「正月五日后宮にてうちぎをたまはりて」、
書陵部蔵本『三十六人集』では、「正月五日后宮にて、(或本云 正月一日二条中宮にして、しろきおほむうちぎをたまはりて)」、
伝藤原行成筆『敏行集切』などの歌仙本系統では、「正月一日二条中宮にして白きおほんうちぎを給はりて」、
そして本集では下記に示す通りとなっている。この事より「后宮」とだけあるのは、それのみで通じる時代であったであろうし、「二条中宮」或は「二条后宮」とあるのは、別所に后宮があるなどその必要が生じた時代に書写されたものと窺える。
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敏行集 第一紙 具引唐紙・薄紫『獅子唐草(繋丸紋獅子唐草)』 (半懐紙) 獅子唐草(繋丸紋獅子唐草)花鳥折枝金銀袷型打は実物とは異なります。。 具引唐紙・薄紫(獅子唐草)の花鳥折枝の柄違い代用品です。実物には裏面同様の芝桜が描かれています。 |
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敏行集 第一紙 具引唐紙・薄紫『獅子唐草』 左上側部分の拡大です。獅子唐草(繋丸紋獅子唐草)花鳥折枝金銀袷型打は実物とは異なります。。 具引唐紙・薄紫(獅子唐草)の花鳥折枝の柄違い代用品です。実物には裏面同様の芝桜が描かれています。 |
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敏行集 第一紙 具引唐紙・薄紫『獅子唐草』 中央やや上側花鳥折枝部分の拡大です。写真が不鮮明ですがご了承ください。。 金銀袷型打です。花鳥折枝は三十六人集中の別部分のものです。代用品としてのご利用になります。 |
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敏行集・具引唐紙『獅子唐草』(繋丸紋獅子唐草) 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第一紙 歌番号は敏行集での通し番号 青色文字は使用字母 解釈(現代語訳)へ
「个」は「介」とすることも。 「弖」は「天」とすることも。 「與」は「与」とすることも。 ( )は次項にあり。
おほうちき 大袿;平安時代の貴族女子が禄として賜った袿で、幅や丈をやや大きく仕立てた垂領広袖の衣。着用の際には仕立て直してから着る。 みのしろごろも 蓑代衣;雨雪を防ぐために、美濃の代用として着る衣。カッパ、ポンチョなどの様なもの。 おほみき 大御酒;神様や天皇に奉るお酒。御神酒。 てんじゃうびと 殿上人;清涼殿殿上の間へ昇ることを許され、天皇側近に仕える資格のある貴族。四位・五位以上の一部、或は六位の蔵人で、昇殿を許された人。 |
ふじはらのとしゆき
藤原敏行;平安初期の歌人で、三十六歌仙の一人。三十人撰にも登場するが知られている歌は全て合わせても28首と少ない。詳細は不詳であるが、古今集中には敏行朝臣と出ていることから、おそらく四位であったろうと推察される。生没年不詳。
なりひらのあさおみ
業平朝臣;在原業平。平安初期の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。阿保親王の第五皇子で、在五中将とも呼ばれた。兄の行平と共に826年に在原性を賜った。伊勢物語の主人公と混同され、伝説化されて容姿端麗、情熱的な和歌の名手で、二条后との密通や伊勢斎宮との密通などより、色好みの典型的な美男子とされ、能楽や歌舞伎或は浄瑠璃などの題材ともなった。紀有常の娘を妻とし、官位は蔵人頭、従四位に至る。生825年、880年没。
あそん かばね
朝臣;姓の一種で、五位以上の人の姓名に付ける敬称。三位以上の者には姓の下に付けて名は記さず、四位の者には姓名の下に付け、五位の者には姓と名との間にこれを付けた。平安時代には最高の姓とされ皇子、皇女の臣籍降下の際にも賜与された。
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