巻子本 秋萩帖 (7寸8分2厘×27尺9寸4分)
所在不明歌集(題名のない歌集) (両面加工)昭和初期の模写本
万葉集・寛平御時后宮歌合・古今和歌集・後撰和歌集・古今六帖などから撰出したと思われる鈔本の一巻である。巻頭の第一紙に秋歌2首、第二紙以後に冬歌28首、その後雑歌18首の計48首が納められており、末尾六葉には王羲之の尺牘11通分も臨写されている。この巻子本は元存在していた『淮南子』の巻子本の裏に『いちじろく今日ともあるかな・・・』以下を臨写した私用の秘蔵本である。(最初の一葉は当時の臨写前の原本か?)その内の第十四紙~第二十紙掲載
拡大図 べんがらいろ 第十四紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 弁柄色(赤茶色) 縦 23.7cm × 横 43.6cm |
拡大図 秋萩帖(秋萩歌巻) 伝小野道風筆 推定 藤原行成筆 万葉仮名 |
第十四紙 秋萩帖 (鶯にたのみは早く移してき)、宿のさびしく荒れし時より 不知読人 xx (雲久悲春耳堂能美波々也久有都之天幾)、夜徒乃散非新悲之久阿禮志東幾餘里 ほととぎす はやしさび 故郷と成りにしかばや時鳥、林寂しと鳴き渡るらむ 不知読人 不留散登々奈理爾新可者也保登度幾数、波夜志散非之登難幾王堂留羅牟 ほととぎす う なほしては鳴きも渡らじ時鳥、憂き世に住まふ人の為こそ 不知読人 難保志天者難幾母和當羅之報登々幾春、雲幾餘爾春末布悲徒能堂面許處 よ べ 世の中にあらむ方なみ騒げばや、心浮草寄る辺定めぬ 不知読人 與能奈可耳阿羅武我堂那美散和気者也、許々呂有幾久散餘留弊散堂面努 ページ |
( )内は第十三紙から跨ります。 ×印は余字です。 歌の読みと 万葉仮名 です。 |
拡大図 第十五紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 黄土色(おうどいろ) 縦 23.7cm × 横 43.2cm |
拡大図 秋萩帖 伝小野道風筆 推定 藤原行成筆 万葉仮名 王羲之尺牘 行書 |
第十五紙 秋萩帖(王羲之の尺牘;初月廿五日以降) かたな *1 思ひには方無き顔もつくといふ、おけふのみかに花の沈め○ 不知読人 於毛悲耳者閑堂難幾閑報母都久度意不、遠計布能美閑耳者那乃事川面□ やえむぐら *2 八重葎誰か分けつる天の川、と渡る舟も我が待たなくに 不知読人 夜弊武久羅堂禮可和気川留安末乃可者、登和堂流布年母和可末多難久耳 せきとく 尺牘一通目 王羲之 初月廿五日、羲之頓首。此年感懐兼レ哀。奈何奈何。念ニ足下窮一、思彌深。 罔レ極ニ難居一、各得ニ足下書一。為ㇾ慰、力及、不レ(次。王羲之頓首。) ページ |
歌の読みと 万葉仮名 です。 ○印 は不明部分です。 □印は脱字と思われる部分です。 ( )内は第十六紙に跨ります。 |
拡大図 第十六紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 狐色(きつねいろ) 縦 23.7cm × 横 43.4cm |
伝小野道風筆 推定 藤原行成筆臨写 王羲之尺牘 行書 |
第十六紙 秋萩帖(王羲之の尺牘) 次。王羲之頓首。 せきとく 尺牘二通目 王羲之 知ニ遠近書一、甚慰々々、遅言眞為レ不レ可レ言 。家中以ニ日至一、為ニ勿々一。 所レ慮至レ深。夜来如ニ小冷一。冀有レ漸耳。疾久、無ニ他治一、令ニ人憂深一。 尺牘三通目 王羲之 絶不レ得ニ小奴問一、耿々、近日得ニ遮書一。皆平安、為レ慰。 尺牘四通目 王羲之 向遣レ信、想至。得レ示為レ慰、吾諸患劇、殊勿々、發日近、諸懐不レ可レ言。 知ニ足下與(謝生別一、想尋還。王羲之白。) ページ |
王羲之の尺牘 (手紙) 前文は第十五紙から跨ります ( )内は第十七紙に跨ります。 |
拡大図 第十七紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 丁字色(ちょうじいろ) 縦 23.7cm × 横 43.4cm |
伝小野道風筆 推定 藤原行成筆臨写 王羲之尺牘 行書 |
第十七紙 秋萩帖(王羲之の尺牘) 尺牘四通目の続き 王羲之 謝生別一、想尋還。王羲之曰。 尺牘五通目 王羲之 知阿黝蓋然、足下悉有三惟得二小楽一也。恩時州欲レ盡、不二復佳一、李都盡。 尺牘六通目 王羲之 郷里人逐安二黄籍一。前言皆欺レ人、非二復一条一。可レ欺。今便獨坐。今曰、 郗候求下邀等、想必可レ得。君亦當レ見レ書也。若萬一不レ楽、想可二共思一。得二數十家一、 (見二経営一。不レ爾無レ坐二此理一也。) ページ |
王羲之の尺牘 (手紙) 前の文は第十六紙から跨ります ( )内は第十八紙に跨ります。 |
拡大図 第十八紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 錆浅葱色(さびあさぎいろ) 縦 23.7cm × 横 43.4cm |
伝小野道風筆 推定 藤原行成筆臨写 王羲之尺牘 行書 |
第十八紙 秋萩帖(王羲之の尺牘) せきとく 尺牘六通目の続き 王羲之 見二経営一。不レ爾無レ坐二此理一也。 尺牘七通目 王羲之 六月十九日、羲之曰。立秋以近。但、有二感歎一。今日、得二七日告一。 知下足下不上レ堪二此暑一。耿々、昨来差涼、便有二北風一也。有體中、體中者不レ佳。 而脚風痛劇。動止不レ得レ大。恐未レ得レ力。交惨レ毒増レ患。為解日耳。力復致レ問。王羲之。 尺牘八通目 王羲之 知三以得二丹楊書一、甚慰。乖レ(離之歎、當復可レ言。尋答二其書一。足下反レ事復行。 便、為二索然一。良不レ可レ言。此亦分耳。遅面々々。) ページ |
王羲之の尺牘 (手紙) 前の文は第十七紙から跨ります ( )内は第十九紙に跨ります。 |
拡大図 第十九紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 千草鼠色(ちくさねずいろ) 縦 23.7cm × 横 43.4cm |
伝小野道風筆 推定 藤原行成筆臨写 王羲之尺牘 行書 |
第十九紙 秋萩帖(王羲之の尺牘) せきとく 尺牘八通目の続き 王羲之 離之歎、當復可レ言。尋答二其書一。足下反レ事復行。 便、為二索然一。良不レ可レ言。此亦分耳。遅面々々。 尺牘九通目 王羲之 想二清和士人一、佳也。此平安。安石過停二数日一、日共為レ楽。盆増レ想、想二孔長史安善一。 足下令二知問一、累有レ書也。足下入レ年哀哀。得二倶還一、不レ思遅、以レ日為レ歳。 ページ |
王羲之の尺牘 (手紙) 前の文は第十八紙から跨ります |
拡大図 第二十紙 秋萩帖(秋萩歌巻) 千草鼠色(ちくさねずいろ) 縦 23.7cm × 横 43.3cm |
伝小野道風筆 推定 藤原行成筆臨写 王羲之尺牘 行書 |
第二十紙 秋萩帖(王羲之の尺牘) せきとく 尺牘十通目 王羲之 既高レ枕、將無二逼率一。云稱二風流一。以寄レ酒託レ懐。不レ爾萬物、何以見。 まさ ひっそつ となえ それ あらず 既に枕を高くし、將に逼率するは無し。云う風流を稱ると。以て酒を寄せ懐に託す。爾に不して萬物、何を以て見ん。 尺牘十一通目 王羲之 不レ得二重煕還問一、云二必還一也。 ちょう き かん 重煕還問うを得ず、必ず還ると云う也 この料紙原本はこの一葉のみ縦の寸法が僅かに大きくなっており(縦8寸1分5厘)、第二紙以降の十九葉とは異なっている。(但し、本模写本は第一紙も第二紙以降と同じ縦の寸法にしてあり。) ページ |
王羲之の尺牘 (手紙) |
勝手に解説 *1 思ひには方無き顔もつくといふ、おけふのみかに花の沈め○ 参考;佐佐木信綱氏の解説では「思ひには方無き顔もつくといふを、今日のみかに花の沈め(字脱カ)」とある。 この解釈はさしずめ次の様な事か。 みか 強く念ずる思いには、見ちゃあ入られない顔つきになるというものを、今日の甕に花を活ければ私の心も鎮められようか。 甕;酒や水を蓄えておく為の大型の壺の形をした陶器。瓶ともいう。 (これを果たして恋心と読むのか、若さへの未練(老への恐怖)と読むのか、将又別の思いととるか。納められている他の歌との兼ね合いで読んで頂きたい。また、ここでも一字足らずとなているが、これは最後の『面』をめんと読んで、『面武』とすべきところ武を書き忘れたか。) 別の解釈では、 みか 「思ひには方無き顔も付くといふ、お経の三日に華の鎮めむ」と見ることも出来る。果たして詠者如何に歌っていたのか。 *2やえむぐら 八重葎誰か分けつる天の川、と渡る舟も我が待たなくに 解釈1 荒果ててしまった私の住いは、誰が世間と分隔ててしまったのだろうか、掴み処の無い目の前の大きな川を渡る舟も私のことを待ってはくれないのに。 これは「我が亦泣くに」に掛けた歌でもある。世間に忘れられて老行く我が身を哀れみ、心苦しい様子が窺える。 解釈2 まるで藪の様になってしまったこの宿に訪れる人も無く、誰が仲を裂いてしまったのか、天の川を渡る舟ももう私の事など待ってはくれないことよ。 *3 【戻る第五紙文字】 ページ |