寸松庵(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻一・春上
具引唐紙『柄不明』(薄渋黄土色・薄藍色)「梅の香を」
寸松庵色紙は古今和歌集の四季の歌を精撰して書写したもので、元は粘葉本と思われる冊子に書写されたものが分割され、色紙の形に残ったもの。佐久間将監が京都大徳寺の離れ寸松庵で愛玩していた事により、江戸時代の初期に寸松庵色紙と名付けられた(「古筆切名物」古筆了佐の曾孫了仲書写)。またその後に書かれた『古筆名葉集』には「寸松庵色紙、唐紙地哥チラシ書」とあり、既に唐紙に散らし書きされた書として認識されていた事が伺える。
歌『むめのかを そでにうつして とめたらば・・・』へ、 歌『つきかげも はなもひとつに みゆるよは・・・』へ、
歌『こづたへば おのがはかぜに ちる花を・・・』へ、 歌『ちはやぶる かみのいがきに はふくずも・・・』へ。
かな 水色文字は使用時母
このページの
(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻二・春下
具引唐紙『一重唐草』(薄渋黄土色)「月影も」
かな 水色文字は使用時母
(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻二・春下
具引唐紙『亀甲紋』(蜜柑茶色)「木伝へば」
かな 水色文字は使用時母
12.6cmx12.7cm |
そせい か こづたへば おのがは□ぜ に ち る 花 を、 た れ に お ほ せ て ここらな く ら ん 使用時母 曾勢移 可 己川多部波 於乃可者□世 爾 知 留 花 遠、 太 礼 仁 於 本 世 天 己己良那 久 良 无 |
素性法師 109 木伝へばおのが羽風に散る花を、誰に仰せてここら鳴くらん。 木の枝から木の枝に沿って飛び移れば自らの羽風で花が散ってしまうのに、誰に言われてここら辺で囀っているのだろうか。 右端に薄っすらと糊付痕の様なものが見て取れるので この断簡は左項に当る部分。右項の歌108と元一紙と思われる。 蜜柑茶色具引唐紙・白雲母『亀甲紋』(一重亀甲・全面) 藤田家旧蔵 |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「爾」は「尓」とすることも、「天」は「弖」とすることも。 素性;平安前期の歌人で三十六歌仙の一人。遍照僧正の子で、出家して雲林隠に住んでいた。別名良因朝臣。家集に素性集がある。 写真では確認し辛いが、亀甲紋が施されている。 蜜柑茶色;或は赤茶、黄丹とすることも。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙(左が上製) (普通清書用でも同色同柄の物を利用してください、右側) |
上製 普通清書用 清書用 蜜柑茶色具剥奪唐紙・白雲母『亀甲紋』 |
(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻五・秋下
具引唐紙『柄不明』(薄藍色)「千早ぶる 神の」
かな 水色文字は使用時母
12.4cmx12.9cm |
つらゆき ちはやぶる かみのい き が□に はふくずも、 あきにはあへず も みぢしにけり 使用時母 川良由幾 知波也不留 可美乃以 可□爾 者不久春毛、 安幾爾者安部春 毛 美知之爾个利 |
紀貫之 262 千早ぶる神の斎垣に這う葛も、秋には敢えず黄葉しにけり。 神聖なる神の斎垣に勢いよく這っている葛でさへも、秋にはどうしようもなく黄葉してしまうのですよ。 千早ぶる;枕詞。「神」にかかる。 いがき 斎垣;神社などの神聖な領域にめぐらす垣。いみがき。 みだりに超えてはならないとされている。 薄藍色具引唐紙・白雲母『柄不明』 |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「爾」は「尓」とすることも、「个」は「介」とすることも。 うっすらと反転した文字が見て取れる。 次項の文字の反転 『あめふればかさ とり山のもみぢ ばはゆきかふ人の そでさへぞてる』 写真では確認出来ないが、柄が不明瞭で何が施されているか判別不能。 薄藍色;或は薄藍茶、薄黄茶とすることも。 具引には若干の青味が見て取れる為元は薄藍色であったと思われる。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙 元は薄藍色系具引唐紙(柄不明)と思われます。 経年変化による褐色化の進みもあさく、此方を当てています。 (普通清書用では薄渋黄土色柄無の物を利用してください) このページの |
上製 普通清書用 清書用 灰青緑色具剥奪紙・『柄無』 |
当初の粘葉本として書かれていた状態 古今和歌集としての歌の続きから 元は一枚の料紙としてこの状態に なっていたと思われる。 同様に他の左右一紙と思われる部分 |
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歌263 歌262 (藤田美術館蔵) |
唐紙は共に元薄藍色で「柄不明」 色の違いは保存状態による経年変化の差 と思われる。 |