三十六人集 貫之集 上 砂浜手描き・疎草 清書用臨書用紙 (半懐紙) 戻る 『貫之集・上』 臨書用紙 一覧へ

装飾料紙 砂浜手描ぼかし(隈ぼかし) 銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 

 
装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 半懐紙
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三十六人集 砂浜手書き 臨書手本
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 砂浜手書ぼかし 銀大切箔金銀砂子振り 花鳥折枝銀・草色袷型打
写真は半懐紙の為、臨書手本よりも一回り大きくなっております。

装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 装飾料紙 砂浜手描き 半懐紙装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 半懐紙 装飾料紙 砂浜手描き
 
半懐紙

三十六人集 砂浜手書き 臨書手本
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 装飾料紙 砂浜手描ぼかし(隈ぼかし) 銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描  半懐紙 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 装飾料紙 砂浜手描き 右上側部分装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右上側部分拡大 装飾料紙 砂浜手描き
 
右上側部分


書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右上側部分拡大
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 装飾料紙 砂浜手描き 右上側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 装飾料紙 砂浜手描き 右下側部分装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右下側部分拡大  装飾料紙 砂浜手描き
 
右下側部分


書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右下側部分拡大
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 装飾料紙 砂浜手描き 右下側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。一寸判り辛いですが、写真左上側に銀草が群れています。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 装飾料紙 砂浜手描き 左上側部分装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左上側部分拡大 装飾料紙 砂浜手描き
 
左上側部分


書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左上側部分拡大
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 装飾料紙 砂浜手描き 左上側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 群千鳥列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。この部分には隈ぼかしに添って緑草と銀草は描かれておりません、隈ぼかしの上側と下側とに一列に群千鳥が描いてあります。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 装飾料紙 砂浜手描き 左下側部分装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左下側部分拡大 装飾料紙 砂浜手描き
 
左下側部分


書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左下側部分拡大
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 装飾料紙 砂浜手描き 右下側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。一寸判り辛いですが、隈ぼかしの上側と下側にも銀草が描かれています。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 
 書手本 砂浜手描き 右上側部分書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右上側部分拡大 書手本 砂浜手描き 

右上側部分


装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右上側部分拡大
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 書手本 砂浜手描き 右上側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。
装飾料紙
書手本 6寸7分×1尺5分
 
 書手本 砂浜手描き 右下側部分書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右下側部分拡大 書手本 砂浜手描き 

右下側部分


装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 右下側部分拡大
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 書手本 砂浜手描き 右下側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。郡草は緑草の間と隈ぼかしの下側に列状に描かれております。
装飾料紙
書手本 6寸7分×1尺5分
 
 書手本 砂浜手描き 左上側部分書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左上側部分拡大 書手本 砂浜手描き 

左上側部分


装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左上側部分拡大
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 書手本 砂浜手描き 左上側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。この上側部分の隈ぼかしに添って緑草と銀草は描かれておりません、所々に群千鳥が描いてあります。
装飾料紙
書手本 6寸7分×1尺5分
 
 書手本 砂浜手描き 左上側部分書手本 貫之集・上 第十七紙 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左下側部分拡大  書手本 砂浜手描き 

左下側部分


装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 左下側部分拡大
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 書手本 砂浜手描き 右上側部分  銀大切箔全面金銀砂子振 銀草・緑草列描 
銀大切箔は四角と三角とが散らしてあります。隈ぼかしに添って緑草と銀草が描かれており、所々に群千鳥が描いてあります。一寸判り辛いですが、隈ぼかしの上側と下側にも銀草が描かれています。
装飾料紙
書手本 6寸7分×1尺5分
 
 装飾料紙 砂浜手描き 中央部分装飾料紙 貫之集・上 『砂浜手書き』 全面金銀切箔振 (三十六人集) 中央部分拡大 装飾料紙 砂浜手描き

 中央部分 

『緑草・銀草列描』
 
 装飾料紙 砂浜手描き 中央部分 『緑草・銀草列描』 銀泥部分の反射の光が砂子の反射に紛れて非常に判り辛くなっておりますが、銀草の輝く様子は確認出来ると思います。目視ですとちゃんと銀の草と確認出来ます。 装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 




三十六人集 砂浜手書き 左下草型 部分   三十六人集 砂浜手書き 臨書手本
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 左下側花鳥折枝銀草色袷型打部分拡大
緑の草型の合間に燻銀の草型が施してあるのですが、反射光が散乱してうまく映っておりません。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 


 三十六人集 砂浜手書き 右中央草型
砂浜手描き
(洲浜)部分


 右側中央花鳥折枝銀草色袷型打部分拡大
右下の灰色の草型は燻銀です。
装飾料紙
臨書用紙 半懐紙
 


貫之集下 臨書手本

貫之集 上 三十六人集 砂浜手書き 書手本 解説・使用字母へ 
 砂浜手描き (洲浜) 書手本 第十七紙 縦6寸7分、横1尺5分5厘 


歌番号は貫之集での通し番号                                 青色文字は使用字母          解説・現代語訳へ

   馬にのれる女旅行

212
 いへちには いつしか行むと おもひしを、ひ
 ひごろしぶれば ちかづきにけり 

   月よに女の家にをとこいたり
   てすのこにゐてものいはせた
   り
213
 山のはに いりなむとおもふ 月みつつ、われ
 はとなから あらむとやする

   をむなかへし

214
 ひさかたの つきのたよりに くる人は、いた
 らぬところ あらしとぞおもふ
   
あじろ
   網代に紅葉ちりておつる所

215 ふたたび         け ふ
 二度や もみぢばはちる 今日みれば
 あしろきにこそ おちいでにけれ

   承平六年右大臣殿御障子お
   やこすみたまふなり、へだてな
   るゑに松竹鶴かける所
216
 おなしいろの 松とたけとは たらちね
 (の、おやこひさしき ためしなりけり)


 

  馬爾乃禮留女旅行
212
 以部知爾波 以川之可行武止 於毛比之遠、比
 己呂之不禮者 知可川支爾个利

    月與爾女乃家爾遠止己以多利
    転須乃己爾為天毛乃以者世多
    理
213
 山能者爾 以利奈无止於毛不 月美川々、王禮
 者止奈可良 安良无止也春留

    遠武奈可部之

214
 悲左可太乃 川支乃多與利爾 久留人者、以多
 良奴止己呂 安良之止所於毛不

    網代爾紅葉知利天於川留所

215
 二度也 毛美知波々知留 今日美禮者
 安之呂支二己曾 於知意天爾个禮

    承平六年右大臣殿御障子於
    也己寸美多末不奈利部多天奈
    留恵爾松竹鶴可个留所
216
 於奈之以呂能 松止多个止波多 良知年
 (農、於也己比左之支 太女之奈利个里)


「禮」は「礼」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「个」は「介」とすることも。
「與」は「与」とすることも。
( )は次項にあり。


       現代語訳                          解説          解説・使用字母へ

   馬にのれる女旅行
212
「家路には何時しか行むと思ひしを 霏霏ごろ渋れば近付きにけり」
目的の家へ向かう道には何れ行こうと思ってはいたが、雨が頻りに降る季節なのでためらっていたら、なんとまあ近づいてしまったことよ。


   月夜に女の家に男がやって来て縁側に座って
   二人が情を交わしていた、

213
「山の端に入りなむと思ふ月見つつ 我倭奴乍らあらむとやする」
山の稜線に沈んで行く月を見ながら、私は倭奴なのだけれどもここで暮らせとでも云うのか、どうしたものか。


   女の返し歌

214
「久方の月の便りに来る人は 至らぬところ有らじとぞ思ふ」
月に一度の縁を頼って来る人は、駄目な処など在りはしないとさへ思っておりますよ。


   網代に紅葉が散り落ちている所

215
「二度や紅葉葉は散る今日みれば 網代木にこそ落ち出でにけれ」
再びだなあ、今日見れば紅葉の葉が散って終っているよ、網代木にだけは散り現れて紅葉していたのだったがね。


   承平六年右大臣殿御障子お
   やこすみたまふなり、へだてな
   るゑに松竹鶴かける所
216
「同し色の松と竹とは垂乳根の 親子久しき例なりけり」
同じ色の松と竹とは親子代々末永く続く象徴の様なものだそうですよ。


 

212
(目的の家へ向かう道には何れ行こうと思ってはいたが、雨が頻りに降る季節なので、寄り道などしてためらっていたら何時の間にか近づいてしまったことですよ。)との意。

にけり;…てしまったことだ。…ていたのだった。完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に過去の助動詞「けり」。詠嘆や、何かに気付いたことを表す。

213
(月が隠れようとしているなと思いつつ、私は倭奴国の人間なのにここで暮らせとでも仰るのか。そうするべきか、如何したものか。)との意。躊躇している心模様を詠った歌。

乍ら;…のに。…けれども。接続助詞。動詞の連用形、形容詞・形容動詞の語幹、体言などに付いて、ここでは逆説的に前後を繋ぐ意を表す。

とや;…と云うのか。「と云ふや」の略。文中に在って疑問の意を表す。

214
(月に一度の縁を頼りとして通って来る人には、私は行き届かない所なんて持ち合わせていない人なのだろうと信じておりますよ。)との意。
ひさかた
久方の;「月」に掛る枕詞。

有らじ;…無いだろう。動詞「有り」の未然形「有ら」に打消の意の助動詞特殊型「じ」の連体形「じ」、打消しの推量を表す。推量の助動詞「む」の打消しの意に当たる語。

とぞ;文中に用いて、「と」の受ける内容を強める。

215
(二度目だなあ、大風でも吹いたか、今日見れば木々の紅葉=色々な錦の葉が殆ど散って終っているようだ。網代組みの漁場にだけは落葉としてその美しい姿を現していたのだったけれどね。)との意。
あじろぎ
網代木;網代を立てる杭であるが、語調の為の表現で、ここでは網代の漁場を指す。若しくは比喩的に網代木を樹木に見立て、見事に紅葉しているよと洒落たもの。

にけれ;…ていたのだった。完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に過去の助動詞「けり」の係助詞「こそ」を受けての已然形「けれ」。何かに気付いて感動する意を表す。

216
(冬でも同じ常緑の松と竹とは葉が落ちることの無い=没落を知らないので、親子代々末永く続く象徴の様なものだったようですよ。)との意。

垂乳根の;「親」に掛る枕詞。

なりけり;…であった。…だったと云うことだ。断定の助動詞「なり」の連用形「なり」に過去の助動詞「けり」の終止形。詠嘆を含む伝聞の意を表す。

 

 ひ ひ

霏霏;雪や小雨などが頻りに降る様。


わ ど こ く
                        つくし  さわら  かすや                             かんのわのなのこくおういん
倭奴国;弥生時代、後漢の光武帝が北九州(筑紫・早良・糟屋の三郡辺り)に在った小国を呼んた称。純金製の漢委奴国王印の出土でも有名。

 あしろ
網代;冬、川の瀬に竹や木を編んだものを網を引く形に立てて、その端に簾を当て、魚を捕るのに用いる物。またその編んだ網状のもの。及びその場所の事も言う。

 あじろぎ
網代木;網代打ちをする際に川床に立てるのに用いる杭

じょうへい
承平;平安時代前期、朱雀天皇朝の年号。931年4月26日~938年5月22日

しょうじ                                     あかりしょうじ  ついたてしょうじ  ふすましょうじ
障子;間仕切りとしてや窓或は縁側の内などに立てる建具の総称。明障子・衝立障子・襖障子など種類が多い。平安時代には主に襖障子を指した。荒海障子や賢聖障子の様な襖形式の物、また昆明池障子の様な衝立型の物があった。
こんめいちのしゃうじ
昆明池障子;清涼殿の廂の間に置かれた衝立障子。表には漢の武帝が水戦訓練の為、長安城の西に掘ったと伝えられる故事による昆明池を、裏面には嵯峨の小鷹狩りの図を描いたもので、高さ六尺・幅九尺の大きさをしている。
あらうみのしゃうじ          ひろびさし                             せんがいきょう
荒海障子;清涼殿の東の広廂の北、萩の戸の前に在った布張りの障子。表には山海経による手長・足長の怪物が荒海の浜にいる場面の図、裏には宇治川の網代で氷魚を捕る図を墨絵で描いてある。高さ約十尺。
けんじゃうのしゃうじ
賢聖障子;清涼殿の母屋と北廂とを隔てる障子。東西各四間あり一間に四人ずつ、中国の三代から唐までの賢人・聖人・名臣三十二名の肖像を描いてある。
    
ばしゅう  ぼうげんれい とじょかい  ぎちょう  しょかつりょう  きょはくぎょく ちょうりょう  だいごりん かんちゅう とうう  しさん  しょうか  いいん  ふえつ  たいこうぼう ちゅうざんぽ
東側;馬周・房玄齢・杜如晦・魏徴・諸葛亮・居伯玉・張良・第五倫・管仲・鄭禹・子産・蕭何・伊尹・傳説・太公望・仲山甫
    
りせき  ぐせいなん  と よ  ちょうか  ようこ  ようゆう ちんしょく はんこ  かんえい じょうげん そ ぶ  げいかん とうちゅうじょ  ぶんおう  か ぎ  じょそんつう
西側;李勣・虞世南・杜預・張華・羊祜・揚雄・陳寔・班固・桓栄・鄭玄・蘇武・倪寛・董仲舒・文翁・賈誼・叙孫通

すはま
洲浜;洲浜の形にかたどった台。これに岩木・花鳥・瑞祥の物などの盆景を設けたもので、饗宴の飾り物。後に正月の蓬莱、婚姻儀式の島台として肴を盛るのに用いた。





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