古筆 臨書(仮名序)

古今和歌集 序 (江戸初期書写)金銀泥下絵巻子本          戻る 資料館へ

醍醐天皇の勅撰の詔を受け、全20巻の古今和歌集の撰進を行うにあたり、前後に1巻ずつ付けた序文の内の前巻の「仮名序」。奏上の為、紀貫之が草稿した序文(原本は紀貫之筆)。こちらは何代か書写を繰り返されたもので、書写人は不明。
一部修正および使用時母を追加掲載しました。(第一紙〜第十七紙)
解説中の[1〜31]の番号は仮名序の中に収められている歌番号

古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第四紙
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第三紙
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第二紙
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)
 第四紙  第三紙 第二紙 第一紙  下絵巻子見返し  巻子表紙 
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第九紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第八紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第七紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第六紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第五紙
 第十紙 第九紙   第八紙 第七紙   第六紙 第五紙 
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第十六紙   第十五紙 第十四紙   第十三紙  第十二紙 第十一紙 
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十六紙下絵拡大 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十五紙下絵拡大古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十八紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十七紙下絵拡大 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写) 外箱 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十八紙 古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十七紙
 第十六紙下絵 第十五紙下絵   第十七紙下絵  外箱 第十八紙  第十七紙 
古今和歌集 序 第十七紙
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写) 第十七紙
江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序

本文解説へ

江戸初期書写 第十七紙

現代語訳  古筆かなへ                     
注釈        .

いた。人丸は既に亡くなったのであるが歌の心は

変らずに居られるだろうね。例え時代が変わり、過去の事となり、

楽しみや悲しみがこもごも訪れようとも

人丸の和歌の文字のある限りはね。青柳の糸の

絶える事無く、松の葉の散らばって無くなる事無くして、

柾木の葛(の神事も)長(永)く伝わり

(本歌集の)筆跡(文字)が長い間残っていられたならば、

和歌の有様(形式)をも知る事が出来、その御心を自分

のものとしたい人は、大空の月を眺めるかのように、古代

を仰ぎ見(尊敬し)て、(未来に措いて)今の時代を恋しく

思わないであろうか(多分、恋いしがるであろうなあ)。

 

歌のこと;歌の心。本義。
或は「言」「事」「古都」「古渡」を含み合わせた「こと」であるとも取れる
言;歌を司る言葉、語句。噂・評判。
事;世の中に起こる事柄、現象。重大な出来事。人のする行為・動作。表す事情・意味。
古都;奈良の古言=万葉集の異称。(文屋有末の和歌に基づく)
古渡;舶来の織物、書物などの称。

事去り;物事が過去のこととなり。物事が過ぎ去り。


をや;間接助詞「を」に間接助詞「や」が付いて意味を強める。

青柳の糸;芽吹いたばかりの枝垂れ柳の細い枝葉を糸に喩えた語。

柾木の葛;古代蔓を割いて鬘として神事に用いた。

鳥の跡;筆跡。文字。(黄帝の時、蒼頡が鳥の足跡を見て初めて漢字文字を作ったと云う故事から)


仰ぎて;見上げて。尊敬の意を表す動詞「あふぐ」の連用形「仰ぎ」に接続助詞「て」の付いたもの。

歌の心を汲取って編纂している撰者が万葉集を仰ぎ見て歌聖を慕っている、(自分がそうしたように)後の世の人が今の時代の和歌を恋い慕わないのであろうか、否恋い慕うであろう。との思い。

めかも;推量の助動詞「む」の已然形「め」に軟らかな疑問の助動詞「かも」の付随した「めかも」の形で反語の意を表す。…だろうか、否…ではない。「や」ではなく「かも」を用いる事で婉曲の意を含ませたものと思われる。

 
青柳の糸(参考)
「青柳の糸の細しさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも」
青柳の糸のきめ細やかな美しさよ、春風に乱れて終わない内に見せてあげるような恋人がいたらなあ!

松の葉の(参考・恋歌)
「夕月夜さすや岡辺の松の葉の何時ともわかぬ恋もするかな」
夕月のある日暮れ方は月の光が丘の辺りを照して、何時と云う決まりも無くて何となく恋をすることよ。

柾木の葛(参考・神遊びの歌)
「深山には霰降るらし外山なる柾木の葛色づきにけり」
奥深い山では霰が降っているのだろう、里近くの山にある柾木の葛も色付いてしまっているよ。(今まで気づかなかった事実に気が付いて詠んだ歌)


 

青柳の糸の絶える事無く;
芽吹いたばかりの柳を「青柳の糸」と捉えられる感情の無くなって終わない様に、と願う。

松の葉の散り失せずして;
「松の葉の」は枕詞、松の葉は常緑で何時でも青々としていることから「散り失せず」に掛る。松の葉に喩えて和歌が永らく栄える事を願ったもので、勿論この様に連想させる言葉を用いる事で和歌の心を後世に伝えようとする意を表す。他に「いつともわかぬ」にも掛る。


柾木の葛長く伝わり;
葛の蔓が長く這い伝う様に、これを鬘として用いた神事がその心と共に末永く伝わることを願う。

 

濁音には判り易いように濁点をつけております。
「礼」は「禮」とすることも、「與」は「与」とすることも、「个」は「介」とすることも
」は「天」との見分けがつかぬ場合も、「爾」は「尓」とすることも

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古今和歌集 序 第十八紙
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十八紙
 江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
 江戸初期書写 第十八紙


第十八紙には何も書かれておりません。

奥書も無し


予め仕立てられた巻子に、直書きしたもの。仕立の長さから全文は入らぬと過ったのか!

所々に意図的削除部分が見受けられる。然し乍ら書き上がると、思いの外余ってしまったのか。

或は初めから奥書用として残して於いた部分か?小さきながら謎である。




松を含めた雑木林、奥には山並が遠望できる。

手前には潅木の藪が描かれ、上空には波打った霞がたなびき、

連山遠望の様にも見える。




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古今和歌集 序 外箱 
古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写) 外箱
江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
 
 古今和歌集序 江戸初期書写 外箱


仮名序のみ、真名序は無し

この頃『序』とのみ記した場合には仮名序を指したものらしい


参考色紙『すずりのことぶき』 (江戸初期書)池田光政筆  拡大へ
参考・池田光政墨蹟

 
    古今和歌集 序 第十七紙古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十七紙 下絵拡大  


 江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序



  
使用字母

 止々満連留可 奈縦止 幾
堂 乃 之 比 悲 之 三 由
此 哥 農 文字安留遠
堂部須松乃 者 乃 知 梨
満左幾 農 加 川良奈 可
止利乃 後比左 之 久
江戸初期書写 第十七紙 部分拡大

   本堂と五重塔らしきもの   松の木と遠山    手前右下は苔むした石か!


 使用字母中水色文字は一部しか見えていない文字
    古今和歌集 序 第十五紙古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十五紙 下絵拡大


 江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序



    
使用字母

 万葉集耳以良怒不留 幾
乃遠毛奉良之女堂万 比
中耳毛梅越可左春與
郭公遠幾々毛美知遠
爾以堂留末弖又鶴亀 耳
君越於毛比人遠毛以
草 遠美弖 徒万遠古 比
江戸初期書写 第十五紙 部分拡大

   松の葉


 使用字母中水色文字は一部しか見えていない文字
    古今和歌集 序 第十六紙古筆 『古今和歌集 序』 (江戸初期書写)第十六紙 下絵拡大

 江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序



    
使用字母

 保具徒毛利奴連八今波 飛
耳奈留宇良美毛幾古衣
農以者本止奈留與呂古比
留部幾其満久良言葉波 留
比春久那 久 之 弖武那 之
三秋能與能奈可幾越加古
川八人農美々耳於曾梨
農心耳者知於毛部止 堂
江戸初期書写 第十六紙 部分拡大

   秋草   女郎花・枯尾花・藤袴らしきもの


 使用字母中水色文字は一部しか見えていない文字
   参考写真 池田光政墨蹟
参考色紙『すずりのことぶき』 (江戸初期書)池田光政筆  一覧へ    春々里乃己登布幾止天       
武可之与利加希止母
   川幾 怒 筆 乃安止
 春々里乃与 波 比
     限 志 良 礼寸

参考 池田光政の墨蹟

 
     


     すずりのことぶきとて
むかしよりかけども
  つきぬ 筆 のあと
 すずりのよ はひ
    限 しら れず
硯の寿と云って昔から書いてはいるが、止まる事を知らない手習(習字)の数々、硯の寿命というものは(全くもって)終わりの見当もつかないものだ。

 池田光政;江戸時代前期の備前岡山藩主で、儒学に基づいた仁政を志し藩政改革を行う。1632年藩主に就き、1672年の致仕後も岡山城西の丸に在って藩政の確立を指導した。熊沢蕃山を招き藩校として1668年に設立していた閑谷学校を百数十か所の手習所と統合して1675年に閑谷黌を開設する。武士だけでなく一般庶民の子弟も収容して主に朱子学を授けた。現存する最古の学校建築として大変貴重なものとなっている。学問の興隆に努める一方、津田永忠を起用し治水事業や新田水利開発、産業振興などを進める名君として名高い。生年1609年〜没年1682年

 池田光政;8歳〜23歳までは鳥取城主。
羽柴秀吉によって1581年焼討ちにされていた摩尼寺を再興した。


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