寸松庵(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻五・秋下
具引唐紙『柄不明』(蜜柑茶色)「霜の経」 田中親美氏作模写本
寸松庵色紙は古今和歌集の四季の歌を精撰して書写したもので、佐久間将監が京都大徳寺の離れ寸松庵で愛玩していた事により、寸松庵色紙と名付けられたもの。元々堺が繁盛していた頃に南宗寺の襖に三十六枚の色紙が貼られており、その内の十二枚を寸松庵に譲り受けたもの。残りの幾つかは烏丸光弘が譲り受けている。
茶掛けとして古筆が持て囃されてくると、この小さな色紙もその散らし書きの美しさからやがて陽の目を見ることとなり、後の世に高値で取引されるに至った。
真勝は寛永十二年六月二十三日に七十三歳で亡くなるが、その後親族の許へ古筆了佐が訪れこの古筆の手鏡を譲り受けている。現存するこの手鏡の箱に了佐の極書が在り「這一冊之内扇子等和歌色紙面二十四枚有之。色紙十二枚、紀貫之之御真跡無紛者也。当代希有物。最可謂、天下無双之至宝。応令乍憚証之而己。慶安四年十月上旬、古筆了佐」*1とあるが、没後9年ほど経っての事でありどの時点で歌意に応じた絵扇面を附した帖に仕立てられたかは不明である。
歌『しものたて つゆのぬきこそ もろからし・・・』へ、 歌『ちはやぶる かみよもしらず たつたがは・・・』へ、
歌『わがきつる みちもしられず くらぶ山・・・』へ、 歌『花見つつ ひとまつときの しろたへの・・・』へ。
かな 水色文字は使用時母
12.4cmx12.8cm |
せきを た て しもの□□ つゆの ぬきこそ もろか らし、山のにしき の おればかつち る 使用時母 世支遠 太 志毛乃□□ 川由乃 奴支己曾 毛呂可 羅 之 、山乃爾之支 乃 於礼者可川知 留 |
関雄 291 霜の経露の緯こそ脆からし、山の錦の織ればかつ散る。 霜を経糸に露を横糸に織った衣ほど弱いものの様に、 山の紅葉も美しく仕立てられたと思うとやがて散ってしまうものですよ。 たて 霜の経;機織りの霜を経糸に見立てていう語。 ぬき 緯;横糸。 蜜柑茶色具引唐紙・白雲母『柄不明』(幽かに亀甲紋の残部が見て取れるが) 益田孝氏旧蔵 ここに添えられている扇面は金色地に緑の山が六山、後ろ側に独立して三山手前側に三山(内二山は重なる様に)あり手前の山には紅葉のの木が四本あり雄大に多数の枝を見せている。左上奥の山には紅葉が三本、左下手前の山には雑木と灌木が複数本描かれている。 |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「爾」は「尓」とすることも。 2行目□は「た」、字母は「太」 2行目□は「て」、推定字母は「弖」 (歌272のかな3行目参照) 模本でも柄が確認できていない。 蜜柑茶色;赤、黄丹とすることも。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙 | 上製 普通清書用 清書用 蜜柑茶色具剥奪紙・白雲母『柄無』 |
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(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻五・秋下
具引唐紙『萱下草』(薄茶色)「千早振る」
かな 水色文字は使用時母
12.1cmx13.3cm |
ちはやぶる かみよもし らず た つたが は からくれ なゐに みづくく るとは 使用時母 知者也不留 可美與毛志 羅春太 川多可 盤、 加良久礼 奈 為爾 美徒久々 留止波 |
(在原業平) 294 千早振る神代も知らず竜田川、唐紅に水くくるとは。 勢い荒ぶれる神代さえも知らないでしょう、竜田川が紅葉(の落葉)で川面を真っ赤に染める様は。 千早振る;枕詞。「神」「氏」などにかかる。 くく 括る;絞り染めにする。山の錦が散り散りになって染まる様子などに使われる。 かやしたくさ 薄茶色具引唐紙・白雲母『萱下草』(下側半、萱の葉のみ8本) 末松謙澄氏旧蔵 |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「與」は「与」とすることも、「爾」は「尓」とすることも。 神代;神武天皇以前の神々の時代。 (天地開闢〜うがや葺不合尊まで) 歌295と続きで同柄の為元は一枚の料紙であったと思われる。 写真では少ししか確認できないが、下半分に下草が施されている。 薄茶色;茶とすることも。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙(上製のみ) これまでの清書用には入れられていない柄色 (普通清書用では同色柄無の物を利用してください) |
上製 普通清書用 清書用 薄茶色具剥奪唐紙・白雲母『萱下草』 |
(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻五・秋下
具引唐紙『木瓜の花枝』(茶色)「我が来つる」
かな 水色文字は使用時母
12.6cmx13.3cm |
わがきつる みちもし られず くらぶ 山 きぎのこ ずゑのちる とまがふ に 使用時母 和可支徒留 美知毛之 良礼春 久良婦 山 幾々乃己 春恵乃知留 止万可婦 爾 |
(藤原敏行朝臣) 295 我が来つる道も知られず暗部山、木々の梢の散るとまがふに。 鬱蒼と茂る木々で薄暗く私が来た道さえも分からないような暗部山、まるで木々の梢の中に埋もれてしまっているかの様に思い違えてしまいますね。 くらぶやま 暗部山;鞍馬山の古名。鞍馬寺が在る京都市北部の山で、鞍馬天狗の棲み処。源義経が武芸の稽古をした所と言われている。 茶色具引唐紙・白雲母『木瓜の花枝』(花枝一本に笹の葉一枚) 梅澤清太郎氏旧蔵 |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「礼」は「禮」とすることも。「爾」は「尓」とすることも。 歌294と続きで同柄の為元は一枚の料紙であったと思われる。 写真では確認し辛いが、木瓜の花枝(一本)が施されている。 茶色;薄茶とすることも。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙(上製のみ) これまでの清書用には入れられていない柄色 (普通清書用では同色柄無の物を利用してください) |
上製 普通清書用 清書用 茶色具剥奪唐紙・白雲母『木瓜の花枝』 |
当初の粘葉本として書かれていた状態
左右何れも上下斜め二段に散らし書きされているが、右項の散らし方と左項の散らし方とでは趣が異なる。右項は次項に繋がる様に流れを見ながら散し、左項ではそれを受けて単調にならぬ様墨色と散らしに動きを付けている。
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当初の粘葉本として書かれていた状態 古今和歌集としての歌の続きから 元は一枚の料紙としてこの状態に なっていたと思われる。 散し書きをするに当って何れの歌も詠者名を省いたものと思われる 同様に他の左右一紙と思われる部分 |
歌295 歌294 (末松子爵蔵) (梅澤氏蔵) |
唐紙は共に「夏草」 色の違いは保存状態による経年変化の差と思われる。 |
(寸松庵色紙・古今和歌集抄本) 巻五・秋下
具引唐紙『花襷』(素色)「花見つつ」
かな 水色文字は使用時母
12.6cmx12.9cm |
花見つつ ひとまつと きの しろたへの、そで かとのみぞ あやまた れける 使用時母 花 見 川々 悲止末川止 幾乃 之呂多部乃、所天 加止乃美曾 安 也 末多 礼 个 留 |
(紀友則) 274 花見つつ人待つ時の白妙の、袖かとのみぞ過たれける。 花を見ながら人を待っている時には、ひょっとしたらあの人の白妙の袖かと思い違いをしてしまう様なそわそわした気分ですよ。 白妙の;枕詞。「衣」「袖」「袂」「帯」「襷」「紐」「ひれ」などにかかる。また「雪」「雲」などにも。 かじ 白妙;穀(楮類)の木の白い皮の繊維で織った布。 素色具引唐紙・白雲母『花襷紋』(全面) |
漢字の意味の通じるものは漢字で表記 一行は一行に、繰返しは仮名で表記 「个」は「介」とすることも。 写真は料紙模写前の木版。この時にはまだ模写料紙ができておらず、後程模写料紙で作ったものが出来上がる事となる。 素色;白色とすることも。 |
右の写真はこの箇所に該当する清書用臨書用紙(上製のみ) これまでの清書用には入れられていない柄色 (普通清書用では薄渋黄土色柄無の物を利用してください) |
清書用 薄渋黄土色具剥奪唐紙・白雲母『花襷紋』 |
このページの
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さすらい なか
這の一冊の内に、扇子等和歌色紙面二十四枚有し。色紙十二枚、紀貫之の御真跡に紛れも無きものなり。
はばか
当代希有の物なる。最も天下無双の至宝と謂うべし。令に応じ憚り乍らここに証として。慶安四年十月上旬、古筆了佐(花押)