古今和歌集 序 第五紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第五紙
現代語訳 古筆かなへ 注釈 .
と云えるであろう。 □*1 三つには準え歌
[4]君にけさあしたの霜のおきていな
ば恋しきごとに消や渡らむ
と云えるであろう。□*2 四つには喩え歌
[6]我恋は詠むとも尽きじ荒磯海の
浜の真砂は読み尽くすとも
と云えるであろう。□*3 五つには徒言歌
[8]偽の無き世なりせば如何ばかり
人の言の葉うれしからまし
と云えるであろう。□*4 六つには祝歌
[10]この殿はむべも富けり三枝の
三葉四つ葉に殿造りせり
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なずら
準え歌;漢詩の六義の「比」に当たる。他の物事になぞらえて詠んだ歌。
〔4〕
君に今日の朝、朝に置く(はずの)霜が無かったならば、恋しさの募る毎にずっと消え続けたままでいるのだろうか。(否そんなことは無いだろう)
あした
朝;ゆうべ⇒宵⇒夜中⇒暁⇒曙⇒朝と続く夜の時間の終わりを表す。
たと
喩え歌;六義の「興」に当たる。草木鳥獣などに託して、それとなく比喩を表した歌。万葉集での譬喩歌の様に、多く恋愛の心情を表に表さず、外界の物事によって暗喩的に詠んだ歌。
〔6〕
私の恋心は(数えきれないほど)詠んだとしても尽きる事は無いだろう、たとえ荒磯の海の浜の細かな砂の数を(全部)数え尽す事が出来たとしても。
ただことうた
徒言歌;六義の「風」に当たる。比喩を借りる事も無く、飾らないでありのまま深い心を平淡に詠じた歌。
〔8〕
もし嘘偽りのない世の中であったならば、どんなにか人の言葉が嬉しかった事でしょう。
祝歌;和歌の六義の一つ。御代を祝い、ことほぐ歌。祝福の歌。
〔10〕
この殿様は如何にも豊かなようで、三棟・四棟と建て続けに御殿を造り上げていなさるよ。
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□は文章欠落部分(或は削除か)
□ *1
「これは徒言に言って、物に喩えなどもしない和歌である。この歌どの様に表現したらよかろうか。この意図する処は理解し辛い。五つに徒歌と云うのが有って、これには叶うだろう。」
□*2
「これは物に見立てて、あたかもその様に有ると云う風に言うのであろう。この歌ちょうど良く条件に合っているとも見えない。
[5](垂乳根の親のかふこの繭籠り、いぶせくもあるか妹に逢わずて)
この様になってしまっては、これに適合すべきであろうか(否すべきではない)。」
□*3
「これは様々の草木・鳥・獣に託して、心情を表現するものである。この歌は隠れている処など無いのであろう。そうは言っても最初の添え歌と同様であるので、少し様子を変えたものであるに違いない。
[7](須磨の海人の潮焼く煙風をいたみ、思わぬ方にたなびきにけり)
この歌などは、合致させるべきであろうか。」
□*4
「これは言葉と調和がとれていて、普通の事を言っているのである。この歌の趣などは更にずれている、とめ歌とでも云うべきなのであろうか。
[9](山桜飽くまで色を見つるかな、花散るべくも風吹かぬよに)」
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[数字]はかな序の中の歌番号( )内が歌
ただごと
徒言;比喩を用いない有りの侭の言葉。技巧を凝らさない普通の言葉。
なずら
準える;仮にそうだと考える。同類とみなす。
たらちね
垂乳根の;「親」に掛る枕詞。
〔5〕
親の過保護で(蚕が繭に籠るように)屋敷に閉じ込められている。気持ちが晴れないような気がするようだ、妻に逢えなかったので。
かふご
過誣語;必要以上に故意に事実を曲げて言う事。
かふご
過畚;過ぎたる大きさの畚(竹や藁で編み物を包んで運搬する道具)。
過封戸;過ぎたる数の封戸(諸王や諸臣などが朝廷から与えられた民戸、租庸調が戴けた)
〔7〕
須磨の浦の海人の藻塩を焼く煙が風が激しいので、思いもかけない方向にたなびいておりますよ。
風を悼み;風が激しいので。「み」は原因・理由を表す接尾語「…を…み」の形をとって、(…が…なので)の意を表す。
〔9〕
山桜の花よ、飽きてしまう迄ずっとその風情を眺め続けていたいものだ、花が散りそうになってしまわないか(否散りそうになってしまいそうなので)風など吹いてしまわない間にね。
「花散るべくも」の後に「あらずや」が省略されている。
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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古今和歌集 序 第六紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第六紙
現代語訳 古筆かなへ 注釈 .
と云える□*5であろう。□*6 今の世の中、色に
偏り、人の心は花に成ってしまうよりも空しい
歌、儚き事ばかり(の歌)が現れてくれば
色好みの家では埋もれ木の(様に)人知
れぬことと成って、改まった公の場所では
(和歌も)表立って表現することの出来るものでは
無くなって終った。その始まりを思えば
この様な事はする筈もないのである。
古くから代々の帝は春の花の朝
秋の月の夜ごとにお仕えする人々を
お招きになって、何かにつけて歌を奉ら
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色;ものの趣。(心の動く方向、心の在り方。)面白み。
色好み;恋愛の情趣や雰囲気を重んじる事。情事を好むこと。
又、風流・風雅な方面に理解や関心のある人。(この時代の人々には単なる情事を越えた、恋の情趣を尊ぶと云う美的理念でもあった)
埋もれ木;世間から忘れられ、顧みられない境遇を例えて云う言葉
まめなる処;誠実な人の集う場所。
穂に出だす;表面に現わす(恋の思いをあらわにする)。
花薄;穂に掛る枕詞。
穂を出すべき事にも非ずなりにたり;
(恋の思いを外面に表すことも出来ないまま終わる事になる。)
あした
花の朝;梅や桜の花が見ごろになった日の翌朝、未だ夜露が残り、キラキラと輝いている朝の時間帯。
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□は文章欠落部分(或は削除か) .
□*5「言の類」
□*6 「これ(祝歌)は治世を褒めて神にお仕えすることを称える歌である。この歌、祝歌とは見えないようである。
[11]春日野に若菜摘みつつ万代を、祝ふ心は神ぞしるらむ
(春日野で若菜摘みながら何時までも続く世をと祝う心は神だけは知っているのであろう。)
これらは少し適合しているだろうか(と思われる)。凡そ、六つに分類されることは、とんでもない事であろうか(否そんなことは無い)、あっても良い事であろう。」
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こ と に つ け て つつ
最後の行「古止爾徒希天」は或は「古止爾徒希川々」 [数字]はかな序の中の歌番号( )内が歌
言の類;和歌の一分類。土佐日記にも(この歌は常にせぬ人の言なり)との記述あり。
神;天皇の敬称。
若菜摘み;正月初めの子日に、野に出て新菜を摘む行事。新菜(若菜)は七日の七草粥に入れる春草。新春の若菜を摘んでそれを食し、その生命力にあやかろうとしたもの。昔は食用とする草の総称で有ったが、今では特に七草を指すようになった。芹・薺・御行・繁縷・仏の座・菘・清白
あるまじき;有ってはならない。ラ行変格活用の動詞「有り」の連体形「ある」に打消し推量の助動詞「まじ」の連体形「まじき」の付いたもの。
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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古今和歌集 序 第七紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第七紙
現代語訳 古筆かなへ 注釈 .
せておいでになられた。或は花を添えようとして手紙がない
ことに戸惑い、或は月の事を考えようとして
導きの無い闇に探り当てねばならぬ心をご覧になって
尤もなこと、愚であるとお知りになられた
そうである。そうあるだけではなく、さざれ石
の喩え(の如く)筑波山に向かって君を
願い、歓は身に余り、楽しみ心
にあまり、富士の煙に準えて(連想して)人を
恋しく思い、松虫の音に友を偲び、高砂
住江の松も、相生の松の様に心に残り
男山の昔を思い出して、女郎花の(花の盛りがほんの)
一時である事に愚痴を言うのにも和歌を詠んで
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しめ給う;お…になられる。二重敬語と呼ばれ非常に敬意の高いところから最高敬語とも呼ばれる。
或は;ある時は
さか
賢し;利口ぶって。
然かし;その通り。
けむ;…したそうだ。自分で確かめられない、伝え聞いた過去のことを表す。
然有るのみにあらず;そうあるだけではない。副詞「然」にラ変動詞「有り」の連体形「有る」と、一つに強調する副助詞「のみ」そして断定の助動詞「なり」の連用形「に」の後にラ変補助動詞「あり」の未然形「あら」で指定の意を表し、更に打消しの助動詞「ず」となる。(指定の否定)
さざれいし
細石;小石。
「我が君は千代に八千代に細石の、巌と成りて苔のむすまで」を指す。
楽しび;身も心も満たされた快い気持ち。
たかさご
高砂;歌枕。兵庫県高砂市、景勝地で高砂神社にある高砂の松。
すみのえ
住江;歌枕。大阪市住吉区から堺にかけての辺り。松原の続く海岸の景勝地。海の守護神、和歌の神として信仰を集める住吉神社がある。
相生の松;黒松と赤松とが一つに根元から生え出た松。夫婦が深い契りで結ばれて、共に長生きすることの象徴とする。
覚え;評判になる。心に残る。
男山;京都府南部八幡市にある山。山頂に石清水八幡宮が有る。
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やわたほうじょうえ
八幡放生会;男山祭・南祭とも云う。応神天皇を主神とする神社である石清水八幡宮で九月十五日に行われ、男山の麓の放生池に魚を放って冥福を祈るもの。葵祭を北祭と云うのに対して南祭と呼ばれる。魚や鳥の放流は大分県の宇佐八幡宮に倣って始めたもので、古来三大勅祭として知られる。
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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古今和歌集 序 第八紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第八紙
現代語訳 古筆かなへ 注釈 .
慰めていたそうだ。又、春の朝に花の
散るのを見て、秋の夕暮れに木の葉の
落る音を聞き、或は、年毎に鏡の
影に見える雪と波とを嘆き
草の露、水の泡をみて我身(の行く末)を
はっと気付かされ、或は、昨日は栄えて傲り高ぶり
(今日は)失脚して、世の中で落ちぶれてしまい、
親しかった人も関係が薄くなり、或は、
松山の波をかけ、野中の水をくみ
秋萩の下葉をながめ、明け方の鴫の
羽掻きを数え、或は、(呉竹の)
憂き節を人に言って、吉野川を
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鏡の影に見える雪と波とを嘆き;
鏡に映った姿に見える白髪と皴とに溜め息をついて、
草の露、水の泡;共に儚いことへの喩え。
おご
驕る;自分は他と隔絶された高い地位にあり、質が違うのだと思いあがる意。
昨日は栄えて思い上がったまま、更生の時を失い、世間を辛く思って
野中の水;野中の清水(歌枕)兵庫県印南野に在ったと云われる泉。
元は冷たい清水であったが後に温くなったことから、和歌では疎遠になった恋人や旧友に喩える。
立ち並ぶ松波の間を駆け回り、野中の湧き水を汲んで
しぎ
鴫;水鳥の名。翼が細長く飛翔力が強いので長距離の渡りに適しており、旅鳥として夏から秋にかけて日本を通過するものが多い。神奈川県中部の大磯町にある鴫立沢(歌枕)は西行の歌でも有名。
羽掻き;鳥が嘴で自分の羽をしごいて整える事。
呉竹の;「憂き節」に掛る枕詞。訳さない。
憂き節;辛く悲しい事。(「ふし」が竹の節と同音であることから、竹の縁語として用いられる事が多い)
吉野川;奈良県吉野郡の山中に源を発し、和歌山県に入り紀ノ川となる川。
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野中の清水;歌「古の野中の清水ぬるけれど、元の心を知る人ぞ汲む」
鴫立沢;歌「心無き身にも哀れは知られけり、鴫立つ沢の秋の夕暮」
秋萩の下葉;歌「秋萩の下葉色付く今よりや、独りある人の寝ねがてにする」
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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古今和歌集 序 第九紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第九紙
かな 古筆かなへ 注釈 .
引合いに出して世中を恨みに思ってしまうにつれて、今
は富士の山も煙が立っていないようだ、長柄
の橋も架けられたであろうと聞く人は歌に
だけは心を慰められたのである。古くより
この様に伝わる中にも、奈良の帝の御時
からまさしく広まったのである。あの御世は
歌の心を御存知であったのであろう。あの(奈良帝)
御時に、大君津の位、柿本
の人丸こそ歌の聖(歌聖)であったという事だ。
これは君(天皇)も人(臣下)も一体となっていると
云う事であろう。秋の夕方、龍田川に流れる
紅葉こそ、帝の御目に錦(美しき模様)
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長柄の橋;大阪市大淀区にある淀川の支流の長柄川に架けられた橋
彼の御世;平城京。元明天皇から桓武天皇7代の治世。在位期間を尊んで言う。奈良時代。
知ろし召す;御存知である。知っていらっしゃる。「知り給う」より尊敬の程度が高い表現。
大君津の位;日並皇子・高市皇子の舎人とも云われている。
をば;格助詞「を」に係助詞「は」が付いて濁音化したもの。「を」の働きを強調し、動作・作用の対象を強く指示す意が有る。
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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古今和歌集 序 第十紙
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江戸初期書写
金銀下絵古今和歌集 序
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江戸初期書写 第十紙
かな 古筆かなへ 使用時母 .
とお見えになられて、春の朝、吉野の山
の桜は人丸の心にはあたかも雲であるかの様に
と思い浮べられている。又、山邊の赤人と云う
人が居られた。歌が神秘的で甚だ巧みである。
人丸は赤人の上座に据置く事、揺るぎ無く
赤人は人丸の下に据える事、やはり確実なこと
なのであろう。□*7 この人々以外に又優れて
いる人も(呉竹の)代々に知られており(方
糸の)折々に絶えず現れてくる。
是より以前の歌を集て万葉集と
名付られたのである。此処に昔の
こころ
事をも、歌の心をも自然と理解する人は僅かに
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妙;素晴らしく上手なこと。
呉竹の;「世々」に掛る枕詞。訳さない。世々=それぞれの世。
片糸の;「よりより」に掛る枕詞。訳さない。
事;思考・意識の対象の内、空間的・具体的な物ではなく、抽象的に考えられるもの。実在的な「物」に対し、現れる現象や動き・思いなどの「事柄」を表す。
心;人間の精神作用の基となるもの、意志・感情・知識の総体。志や情趣を解する感性をも含み、比喩的に風情や趣向なども示す。
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□は文章欠落部分(或は削除か)
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□*7「奈良の帝の御歌、
[12]龍田川紅葉乱れて流るめり
渡らば錦中や絶えなむ
人麿
[13]梅の花それとも見えず久方の
天霧る雪の並べて降れれば
[14]ほのぼのと明石(明し)の浦の朝霧に
島隠れ行船をしぞ思
赤人
[15]春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ
野をなつかしみ一夜寝にける
[16]若の浦に潮満ち来れば潟を無み
蘆辺をさして田鶴鳴き渡る。」
元へ |
〔12〕
竜田川には紅葉が(水面全体に)散り乱れて流れておるようだ、もしこの川を渡ったなら、紅葉の織りなした美しい模様が途中で途切れて終うのだろうか。
めり;婉曲を表す助動詞。
なむ;完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助詞「む」のついたもの。ここでは確述の意を表す。
〔13〕
(まるで舞い散る)梅の花、(そう見えなくもないのだが)そうとも見えない、
空が一面に曇るほどの雪が見渡す限りに降っているので。
とも;既に現実となっている事を強調する為に仮定条件として表現する。
久方の;「あま」に掛る枕詞で訳さない。
〔14〕
ほんのりと明けて行く明石の浦の朝霧の中に、島陰に(ゆっくりと)消えて行く舟を(感慨深くに)思うことですよ。
〔15〕
春の野に菫を摘みにとやってきた私は、(昔を思い出し)野を去り難いので一晩泊まってしまいましたよ。
〔16〕
若の浦に潮が満ちて来ると干潟が無くなってしまうので、葦の生えている岸辺を目指して鶴が鳴きながら飛んで行っているよ。
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現代語訳には解釈を込めた意訳部分も有ります。
理解し易い様に難しい単語や意味合いの幾通りもある単語などには右側に注釈を設けております。
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