清書用 古筆臨書用紙  関戸本古今集(昭和初期模写本)       戻る 清書用 臨書用紙へ 戻る はくび工房 臨書用紙へ
価格 46,860円(50枚入り)  

                          お問合わせは TEL(086‐943‐8727)、又はメール アイコンにて

名古屋に暮らす関戸家に伝えられていた古今和歌集の零本から、この名を関せられしものです。
元々古今和歌集は巻第一から巻第十の一帖(上冊)と、巻第十一から巻第二十の一帖(下冊)から成っていたので、関戸本もそうであったと思われるのですが、当時存在していたのは巻第一、巻第三、巻第四、巻第十一、巻第十二、巻第十四、巻第十五、そして巻第二十の八巻合せて四十八丁が残るのみでした。即ち項にして表裏合せて九十六項、歌二百八首の書写が残されておりました。
料紙は雁皮製の両面加工の物を使用し、同じ色の濃色2枚・淡色2枚を重ねて、4枚一組とし中央で縦向きに谷折として束を作り、その束を幾つか重ねて糸で綴った綴葉装の冊子です。
即ち、濃・濃・淡・淡・淡・淡・濃・濃と項を捲るごとに同系色のグラデーションが並びます。料紙は其々表裏を使用しますので、この一束で都合16項(ページ)分となります。

昭和初期の書写本です。現在は分断され所在不明の断簡部分を含む
他の項はこちら。

解説中の歌番号は元永古今集での通し番号です。

関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本   関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ
21項濃紫 20項濃紫 11項淡緑 10項淡緑  9項淡緑 8項淡緑  7項淡緑 6項濃緑  5項濃緑 4項濃緑   3項濃緑 2項薄茶
関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 濃茶・濃紫 書手本   関戸古今 染 茶紫 書手本 拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ
39項淡茶 38項濃茶 35項濃茶 34項濃紫 33項茶紫 32項茶紫 31項濃紫 30項淡紫  29項淡紫 28項淡紫 25項淡紫 24項淡紫
関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 淡緑 濃緑 書手本 拡大へ  関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 淡茶 書手本 拡大へ  関戸古今 染 書手本  拡大へ 関戸古今 染 書手本  拡大へ
81項黄土 80項黄土  55項淡緑 54項濃緑 49項濃茶 48項濃茶 45項淡茶 44項淡茶 43項淡茶 42項淡茶 41項淡茶 40項淡茶

 
昭和初期模写本 関戸本古今集 

        3項(濃緑)             2項(淡茶)

関戸古今 染 濃緑 書手本  拡大
清書用 
関戸古今 染 濃緑  拡大へ
濃緑


本文解説
使用字母へ



綴葉装  (濃緑色・黄土色) 『染紙』 拡大へ
手本用帖

           かな                            
使用字母        解釈(現代語訳)へ
31
 はるがすみ たつを見すてて 行

 かりは、はななきさとに すみやな

 らへる

   だいしらず    よみ人しらず
32
 をりつれば そでこそにほへ む

 めの花、ありとやここに うぐひす

 のなく
33
 いろよりも かこそあはれに おもほゆれ


 
31
 波留可須三 多川遠見春天々 行

 加利波、々奈々支左止爾 須美也奈

 良部流

   多以志良春   與三人之羅春
32
 遠利川礼盤 處天己曾爾本部 武

 女乃花、安利止也己々爾 有倶比寸

 乃奈九
33
 以呂與利裳 可己曾安者礼爾面吠礼


 

関戸古今 2項(薄茶;1項2項には書写されておりません。) 3項(濃緑;2枚目裏面)

                                                          ページのトップへ
あはれ;しみじみと趣のある様子。 

             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

                      伊勢
31
「春霞立つを見捨てて行く雁は、花無き里に住みや慣へる」
春霞が立つのを見捨てて帰って行く雁は、花の無い里に住み慣れているのでしょうか。


  お題不明              詠み人不明

32
「折りつれば袖こそ匂へ梅の花、有りとやここに鶯の鳴く」
手折ってしまえば袖までもが薫る梅の花よ、ここに在るよと鶯が鳴いているのだろうか。


33
「色よりも香こそあはれに思ほゆれ、誰が袖触れし宿の梅ぞも」
色よりも香にこそしみじみとした風情があるように思われてくる、いったい誰の袖が触れてしまった宿の梅なのだろうか。


 

31
(春霞が立つとやがて花も咲くと云うのにそれを待たずに見捨てて北へ帰って行く雁は、花の無い里に住み慣れているのでしょうか。)との意。


32
(手で折り取ってしまえば袖までもが良い香りに満ちる梅の花であるが、ここに梅の花が咲いているよとでも教えてくれるかのように鶯が鳴いているのかな。)との意で、手折れば香りで鶯は囀りで在処を伝えてくれるよと詠んだ歌。

とや;…というのだろうか。「…と云ふや」の略で、疑問の意を表す。

33
(見た目に現れている華やかな色よりもほのかに薫る香にこそしみじみとした風情があるように極自然に思われてくる、いったい誰の袖が触れてしまって薫る宿の梅の花の香りなのだろうか。)との意。

ぞも;いったい…なのだろうか。疑問の語とともに用い、それを強調する意を表す係助詞「ぞ」に終助詞「も」の付いた形。「そも」とも。

 

いせ
伊勢;平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。伊勢守藤原継蔭の女(娘)で宇多天皇の子供(行明親王)を産んで伊勢の御とも称されたが、皇子は早くに亡くなってしまう。同じく三十六歌仙の一人である中務の母でもある。元々は宇多天皇の中宮温子に仕えていたが、やがて天皇の寵愛を得る事となった。更に後には敦慶親王と親しくなり生れたのが中務となる。古今集時代の代表的な女流歌人で、上品で優美な歌を得意として古今和歌集以下の勅撰集に約180首もの歌が残る。生没年不詳、877年頃〜938年頃。

たがそで                 こしら
誰袖;匂袋の名。衣服の袖の形に拵えた香料を入れた袋で、紐で二つ繋いで袂落としの様にして持った。歌33を基に着想して名付けられたものとも云われている。仏教伝来とともに伝わり、平安時代の宮廷人の間で広まった。当時は香料の配合に個人差を設けて、深い間柄ではその袋の香りで誰がやって来たのかが判ってしまったとも云われている。


                                                        ページのトップへ
 

実際の帖ではこの並びが右からの捲りとなります。

ハクビ製臨書用紙は表面加工のみ(片面加工)で、
濃淡合わせて、五色八種類50枚入りが実際の清書用臨書用紙となります。


昭和初期模写本 関戸本古今集

        5項(濃緑)              4項(濃緑)

関戸古今 染 濃緑 書手本  拡大
 清書用
関戸古今 染 濃緑  拡大へ
濃緑


本文解説
使用字母へ




綴葉装  (中緑色・濃緑色) 『染紙』 拡大
手本用帖

          かな                             
使用字母        解釈(現代語訳)へ

 たがそでふれし やどのむめそも
34
 やどちかく むめの花うゑじ あぢ

 きなく、待人の香に あやまたれ

 けり
35                より
 梅の花 立よるばかり ありしまに、人

 のとがむる 香にぞしみぬる

   むめの花ををりてよめる

           東三条の右大臣
36
 うぐひすの かさにぬふてふ む

 めの花、をりてかざさむ 老がくるやと

   だいしらず   素性法師
37
 よそにのみ あはれとぞみし 

 むめの花、あかぬいろかは をりて

 なりけり

   むめの花ををりてひとにおくり

   ける
            とものり


 

 堂可處天婦連之 也止乃武女所无
34
 也止遅可久 牟女乃花宇衛之 安知

 幾奈九、待人乃香爾 安也万多礼

 遣梨
35                  與利
 梅乃花 立依者可利 安利之万仁、人

 乃止可無流 香爾曾志見奴流

   武女乃花遠々利天與女流

              東三条乃右大臣
36
 有九飛数農 可乍爾奴不天布 無

 面農花、遠利天可佐々武 老可久流也止

   堂以志良数    素性法師
37
 與處爾農微 悪波連止曾美之

 无女乃花、安加奴以呂可波 遠利天

 奈利个利

   武女乃花遠々利天比止爾於九利

   計留
              東毛乃梨


 
関戸古今 4項(濃緑;2枚目表面)、5項(濃緑;1枚目裏面)
光を反射してやや淡く映っております。                   
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誰袖;
この歌からの着想で匂袋のこと

そも;ぞも。あらまあ!
指定の助詞「そ」に詠嘆の「も」をそえたもの

在りし間に;そこに居る間に。

咎むる;気にかける。






挿頭さむ;「む』は今後の推量を表す助動詞。(梅の枝を)髪に挿しましょう。


色香;見た目と薫

折てなりけり;
折ってみて初めて分かることなのですよ
「なりけり』は回想と詠嘆の助動詞。
(ある主実に改めて気づく)




             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

 
34
「宿近く梅の花植えじ味気なく、待ち人の香に誤たれけり」
我が家の近くには梅の花は植えない心算だ。甲斐が無いので、待ち人の香に間違えてしまうこともあるからね。


35
「梅の花立ち寄るばかり在りしより、人の咎むる香にぞ染みぬる」
梅の花には立ち寄るばかりであるよ、以前から人が心に留める香にすっかり染まっておりますから。


  梅の花を手折って詠んだ歌
                    東三条の右大臣

36
「鶯の嵩に縫ふてふ梅の花、折りて挿頭さむ老いが来るやと」
鶯がより高い所へと縫う様にして飛び渡るという梅の花よ、折り取って頭に飾ろうか、もう老いが来ているのか。否そんな事は無いと。


  お題不明            素性法師

37
「他所にのみあはれとぞ見し梅の花、飽かぬ色かは折りてなりけり」
他所でだけ美しいと見える梅の花、満足しない見栄えかどうかは手折ってみてから分ったなあ。


  梅の花を折取って人に送り届けた時の歌

                    紀友則

 

34
(我が家の近くには梅の花は植えない心算だ。だって何の甲斐も無いのでね、愛おしい人の香と同じで待ち人がやって来たと勘違いしてしまうこともあるからね。)との意。

じ;…ないつもりだ。…すまい。意志・決意の意を表す助動詞「む」の打消しに当たり、打消しの意思を表す。

けり;…だったなあ。以前の経験を基に過去を回想する意を表す。

35
(梅の花には吸い寄せられるように立ち止まってしまうばかりですよ、ずっと前から人が心に留める香を、その身に備えていてすっかり染み付いてしまっておりますから。)との意で、梅の花は香りを愛でるべきと詠んだ歌。
とが
咎むる;心に留める。気に掛ける。「咎む」の連体形。

しみ;「染み」と「占み」との掛詞。

36
(鶯がより高い所へと枝から枝へ縫う様にして飛び渡るという梅の花よ、折り取って頭に飾ってみようか、年老いてしまいもうこの先短いかもしれないので。)との意。
鶯が高みへと枝渡りしてゆく様子を自身の重上げて来たものと重ねて、昔の遊びを懐かしんで読んだ歌。

37
(他の所でだけは花咲く様子に美しいと見える梅の花であるが、充分に満足しない風情かどうかは折取ってみて直にその香りを感じてから分っていたなあ。)との意で、見栄えばかりでなく香を含めての風情ですよと詠んだ歌。

なりけり;…であったなあ。断定の助動詞「なり」に回想・詠嘆を表す助動詞「けり」の付いたもの。以前そうであったと回想する意を表す。


 

ひがしさんじょうのみぎのおほいまうちぎみ
東三条右大臣;藤原兼家(摂政太政大臣・大入道前関白)のことか。

かざし
挿頭;頭髪や冠などに草木の花や枝を挿すこと。後に木製や金属製の造花を指すようになる。官位及び儀式によってその花が異なっていたという。藤・櫻・山吹・竜胆・菊・桃・笹・葵などがあり、元は皆自然の物を用いたが平安時代に盛んになると絹糸や金属で加工された物も流行した。大嘗祭や新嘗祭などの神事の際に小忌の人が冠の巾子の前に立てる梅の枝を特に心葉と云う。


そせいほうし   へんじょう        よしみねのはるとし                                 よしよりのあそん
素性法師;遍照の子、俗名は良峯玄利と云い、出家して雲林院に住み歌僧となる。またの名を良因朝臣とも云う。三十六歌仙の一人で、剃髪前は清和天皇に仕えていた。歌風は軽妙で力強いものがある。家集に素性集が有る。生没年不詳。


きのとものり
紀友則;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、従兄弟の紀貫之らと共に古今和歌集撰者の一人であるが、集の完成を見ずに亡くなる。格調高い流麗な歌風で、古今集をはじめ勅撰集に64首入集。家集に友則集が有る。生年845年頃〜没年905年。



                                                        ページのトップへ
 


昭和初期模写本 関戸本古今集

         7項(淡緑)             6項(濃緑)

清書用 関戸古今 染 濃・淡緑 書手本  拡大
清書用
関戸古今 染 『淡緑』  拡大へ

淡緑
関戸古今 染 濃緑  拡大へ
濃緑


本文解説
使用字母へ



綴葉装  (淡緑色・中緑色) 『染紙』 拡大
手本用帖

           かな                            
使用字母        解釈(現代語訳)へ
38
 きみならで たれにかみせむ むめの

 はな、いろをもかをも しる人ぞ

 しる

   暗ぶ山にてよめる

            貫之

39       におふはるべ
 むめの花 匂春邊は くらぶ山、やみ

 にこゆれど しるくぞありけ

 る

   月夜にむめの花ををりてと

   ひとのいひければ、をるとて

            みつね

40
 月夜には それともみえず む

 めの花、香をたづねてぞ し

 るべかりける

   はるの夜むめの花をよめる
41       やみ
 春の夜の 暗はあやなし むめの花、いろ

 こそみえね かやはかくるる


 
38
 支美奈良天 多礼爾可美世武 々女乃

 者那、移呂乎毛可遠毛 之留人所

 志流

   暗不山爾天與女留

              貫之

39
 無女乃花 匂春邊波 九良不山、也三

 爾己由礼止 之流久曾安利个

 流

   月夜爾元女乃花遠々利天止

   比止乃以比遣礼盤、遠留止天

              三川年

40
 月夜爾波 楚礼止无三要春、無

 免農花、香遠太川子天處 乎

 留部可利个累

   八留乃夜無女乃花乎與女類
41
 春夜農 暗者阿也奈志 武女乃花、以呂

 己曾三要禰 可也波閑九留々



関戸古今 6項(濃緑;1枚目表面)、7項(淡緑;2枚目裏面)
光を反射してやや淡く映っております。                  
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暗ぶ山;鞍馬山

匂春邊;美しく咲き誇る春のころ


訪ねて;所在の明らかでないものを探し求めて。
香を頼りに。

知る可かりける;
(枝を)知るのが宜しい。






文無し;理屈に合わない。

やは;次に来る語の反語
香は隠れるであろうか、否そんなことはない。



             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

 
38
「君ならで誰にか見せむ梅の花、色をも香をも知る人ぞ知る」
貴方ではなくて誰に見せましょうかこの梅の花を、色も香りも知る人だけが知っておりますよ。


  鞍馬山にて詠んだ歌
                    紀貫之
39
「梅の花匂ふ春辺は暗部山、闇に来ゆれど著くぞありける」
梅の花が美しく咲き誇る春の頃には鞍馬山ですよ、闇に訪れたとしても際だっておりますから。


  月夜に梅の花を折り取って下さいなと
  言う人が居られたので手折って詠んだ歌

                    凡河内躬恒

40
「月夜にはそれとも見えず梅の花、香を尋ねてぞ知るべかりける」
月夜には確かにそうだとは見えない梅の花、その香りを探し求めてこそ知る事が出来るに違いないのだ。


  春の夜に梅の花を詠んだ歌

41
「春の夜の闇は綾なし梅の花、色こそ見えね香やは隠るる」
春の夜の闇は道理をわきまえてはいない、梅の花はその色こそ見えないが、その香りは隠れていようか。


 

38
(貴方だから見せるのであって他に誰に見せましょうかこの梅の花を、見栄えも良く香りも膨よかで多くの人には知られていないですが、一部の方には情趣が理解されておりますよ。)との意。

ならで;…ではなくて。…以外に。断定の助動詞「なり」の未然形「なら」に打消の接続助詞「で」。

39
(梅の花が美しく咲き誇る春の頃には何といっても鞍馬山ですよ、花の見えない暗闇に訪れたとしてもちゃんと香って、ここに在りと主張しておりますから。)との意で、梅は花を見ずとも香りで観賞できると詠んだ歌。
しる
著く;際立っている。はっきりしている。「著し」の連用形。


40
(薄暗い月夜ではハッキリとそれだとは確認できない梅の花、その香りを探し求めてこそ枝の在処を知る事が出来るに違いないのだ。)との意。新月か三日月の頃の歌か、手探りではなく五感を使って手折りましたよと読んだ歌。


41
(春の夜の闇は道理というものを十分に理解してはいない、梅の花は花の姿こそ見えないが、その香りは隠し切れているだろうか。否隠し切れてはいないのだ。)との意で、闇夜は意地悪で隠して居るつもりでも、その香までは隠しきれていないのだからと詠んだ歌。

こそ…ね;こそ…だが。強調の係助詞「こそ」に打消しの助動詞「ず」の已然形。逆説強調となって後に続く意を表す。


 

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃。

くらぶやま
暗部山;京都市左京区にある鞍馬山の古称。山中に鞍馬寺が有り、鞍馬天狗の稽古場とも噂されていた処。又、東山区にある紅葉で有名な東福寺裏手の山一帯の古称とも云われている。密生した樹木が鬱蒼と茂っていて暗いのでその名が付いた。


おおしこうちのみつね                           うだ・だいごりょうてんのう              みぶのただみね
凡河内躬恒;平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、紀貫之・壬生忠岑・紀友則らと共に古今和歌集撰者の一人。卑官ながら歌歴は華々しく即興での叙景歌の吟詠に長けていたとされ、家集に躬恒集があり、古今集以下の勅撰集にも194首入集している。官位は従五位、淡路権掾。生没年未詳(860年前後〜920年代半頃)。




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臨書用紙には、艶のある濃緑の染紙が12枚、淡緑の染紙が9枚入れてあります。
通常一束分で両面加工の料紙、濃緑2枚・淡緑2枚です。片面加工の臨書用紙ですと都合8枚必要となります。(濃緑4枚・淡緑4枚)

昭和初期模写本 関戸本古今集

         9項(淡緑)             8項(淡緑)

関戸古今 染 淡緑 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 『淡緑』  拡大へ
淡緑


本文解説
使用字母へ



綴葉装  (淡緑色・淡緑色) 『染紙』 拡大
手本用帖

           かな                            
使用字母        解釈(現代語訳)へ

   はつせへまうでけるごとに、やど

   りけるひとのいへにひさしく

   やどらで、ほどへてのちにいたれり

   ければ、かのあるじかくさだか

   になむやどりはあるといひいだし

   たりければ、そこにたてり

   けるむめの花ををりてよみける

           つらゆき

42              ふ る さ と
 ひとはいさ 心もしらず むめの花は、はな

 ぞむかしの 香ににほひける

   水の邊にむめの花のさけりけ

   るをよめる

        い勢
43
 春ごとに ながるるかはを はなと

 みて、をられぬみづに そでや

 ぬれなむ

44
 としをへて 花のかがみと なる

 水は、ちりかかるをや くもるといふ

 
らむ

 

   波川世部末宇天个留己止爾、也止

   利个留比止乃伊部爾比左之九

   也止良天、保止部天乃知仁以多礼利

   遣礼盤、加乃安留之加久左堂可

   爾奈無也止利波阿留止以比以多之

   太利个礼者、處己爾太天利

   計留無女乃花遠々利天與美計留

              川良由幾

42               不留左止
 比止波以左 心毛不知 无女乃花波、々奈

 曾武加之 香爾々本比遣累

   水乃邊爾武女乃花能左个利希

   留乎與女流

         以勢
43
 春己止爾 奈可留々可盤乎 波奈止

 三天、遠良礼奴見川爾 曾天也

 奴連奈無

44
 東之遠邊天 花乃可々美止 奈留

 水盤、知利加々留遠也 久毛留止以不

 
良無


関戸古今 8項(淡緑;2枚目裏面)、9項(淡緑;1枚目表面)
申し訳御座いません、少し斜めに映ってしまいました。
                                     
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はつせ
 はせ
初瀬;初瀬の古称。
奈良県桜井市
長谷寺の門前町
女性の信仰を集めた。


いさ;さあ、如何でしょうか。




梅の花;書き間違い。正しくは「ふるさと』



にほひ
匂;そのものが醸し出す雰囲気。




花の鏡;水鏡
水面に花の影が映るのを鏡に見立て云う。


散り掛る;花や葉などが散って水面に落ちかかる。


らむ;・・・なので・・・なのでしょう。
動作の原因を推量する。

黄文字
は次項に在り


             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

  初瀬(長谷寺)へお参りする度にお世話になっていた人の家に
  随分と長い間宿泊してなくて、何日か経って後に訪問
  する事が出来たので、当の主がここに確りと昔の儘に宿が
  ありますよと言って来たので、そこに立っていた梅の花を
  折り取って詠んだ歌
                    紀貫之
42
「人はいさ心も知らず故郷は、花ぞ昔の香に匂ひける」
人はさあどうですかねえ、心までは分かりませんが故郷は、梅の花が昔のままの香りで咲いておりましたよ。


  水の畔に梅の花が咲いているのを詠んだ歌

                    伊勢

43
「春毎に流るる川を花と見て、折られぬ水に袖や濡れなむ」
毎年春になると流れる川を花に見立てて、手折ることも出来ない水にきっと袖が濡れてしまうのでしょうか。


44
「年を経て花の鏡となる水は、散り掛るをや雲と云ふらむ」
年月をかけて花の鏡となる水は、花の舞い落ちる様子を雲と云うのでありましょうか。


 

  何年かぶりに長谷寺へお参りした折に馴染みの宿へ
  立ち寄ると、随分久しぶりの訪問に宿の主人が、貴方の宿は
  ここにちゃんと昔の儘で存在しておりますよ(如何して来てくれなかった
  のですか未だ潰れずに在りますよ)と皮肉って来たので
  梅の枝を手折り歌を詠んで返した。

42
(人はさあどうですかねえ、心の中までは分かりませんが、昔馴染みのこの里では、梅の花が以前のままの香りで咲いておりましたよ。)との意で暫く振りの訪問で皮肉を言って来た宿の主に、里も梅も昔通りに歓迎してくれましたよ、貴方のことまでは分かりませんがと応酬した歌。


43
(毎年春になると流れる川の水面に映る梅の花を実物の様に感じて、手折ろうとするのですが折り取ることも出来ずにきっとまた袖が水に濡れてしまうのでしょうか。)との意。
手にすることの出来ない花に袖を濡らすという実らぬ思いが透けて見える。


44
(年月をかけて花の影が映るほど滑らかとなる水鏡は、水面に映る舞い落ちる花弁と相まって舞い落ちる深さの増した様子を花雲と云うのでありましょうか。)との意。

…をや…らむ;…を…なので…だろうか。格助詞「を」に疑問の係助詞「や」。更に推量の助動詞「らむ」で、動作の原因を推量する意を表す。


 

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃。

はつせ                       はつせのあさくらのみや はつせのなみきのみや
初瀬;奈良県桜井市初瀬の古称。歌枕。泊瀬朝倉宮・泊瀬列城宮の上代の都の地。桜の美しい初瀬川に臨み、桜や牡丹が美しく初瀬観音で有名な長谷寺の門前町。



いせ
伊勢;平安中期の歌人で三十六歌仙の一人。伊勢守藤原継蔭の女(娘)で宇多天皇の子供(行明親王)を産んで伊勢の御とも称されたが、皇子は早くに亡くなってしまう。同じく三十六歌仙の一人である中務の母でもある。元々は宇多天皇の中宮温子に仕えていたが、やがて天皇の寵愛を得る事となった。更に後には敦慶親王と親しくなり生れたのが中務となる。古今集時代の代表的な女流歌人で、上品で優美な歌を得意として古今和歌集以下の勅撰集に約180首もの歌が残る。生没年不詳、877年頃〜938年頃。




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臨書用紙には、艶のある淡緑の染紙が9枚入れてありますります。
一束分で両面加工の料紙、濃緑2枚・淡緑2枚です。片面加工の臨書用紙ですと都合8枚必要となります。(濃緑4枚・淡緑4枚)




昭和初期模写本 関戸本古今集

       11項(淡緑)             10項(淡緑)

関戸古今 染 淡緑 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 淡緑  拡大へ
淡緑


本文解説
使用字母へ




綴葉装  (淡緑色・淡緑色) 『染紙』 拡大
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ
 らむ

   いへにありけるむめの花のち

   りけるをよめる

            つらゆき

45
 くるとあく とめかれぬものを むめ

 の花、いつの人まに うつろひにけ

 む

   寛平の御時のきさいの宮のうた

   あはせのうた

           よみびとしらず
46              とど
 梅の香を 袖に移して 留めては、春は
 
すぐ
 過とも かたみならまし

            そせい

47
 散と見て あるべきものを むめの花

 うたてにほひの そでにとま

 れる

   だいしらず    よみ人しらず


 

 良無

   以部爾安利个留無免乃花乃遅

   利个留乎與女留

              川良由紀

45
 九流止安久 止女可連奴毛乃乎 无女

 乃花、以川乃人万爾 宇川呂比爾希

 武

   寛平乃御時乃幾左以乃宮乃宇多

   阿者世能宇堂

             夜微飛東不知
46
 梅乃香乎 袖爾移之手 留女手八、春八

 過止毛 可多三奈良末之

              所世以

47
 散止見天 安流部幾毛乃乎 武女乃花、

 有堂天爾保比乃 處天爾止々万

 連流

   太以志良須   與三人之良春



 

関戸古今 10項(淡緑;1枚目表面)、11項(淡緑;1枚目表面)見開き部分
一束分、両面加工料紙4枚重ねの一番上に為ります。綴葉装の見開き部分です。  
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飽く;充分に堪能する。

人ま;人のいない隙。人の見えない間。


寛平;(889年4.27〜898年4.26)
宇多・醍醐天皇朝

寛平御時后宮歌合;(元年〜5年頃)
春夏秋冬恋の5題各20番計200首。


亭子院は出家後の宇多法皇の離宮


うた
転て;物事が移り進んで甚だしくなること。
あいにく


             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

  家に有った梅の花が散っていたのを詠んだ歌

                    紀貫之
45                         
ひとま
「来ると飽く止めかれぬものを梅の花、何時の人間に移ろひにけむ」
時期になると飽きるまで留まって離れないでいたらなあ、梅の花は何時の間に散って終ったのだろうね。


  寛平御時后宮歌合せに詠んだ歌

                    詠み人不明

46
「梅の香を袖に移して留めては、春は過ぐとも形見ならまし」
梅の香を袖に移して留めたならば、春が過ぎ去ったとしても形見と成るであろうに。


                    素性法師

47
「散るとみて在るべき物を梅の花、うたて匂の袖に留まれる」
散るのが当たり前と思うべきであるのに梅の花は、嘆かわしくもその匂いばかりが袖に残っているよ。


  お題不明            詠み人不明

 

  我が家の庭に植えてあった梅の花が
  知らぬ間に散って終っていたのを詠んだ歌

45
(花の咲く時期になると充分に堪能するまで見ていたいので、枝に留まって枝から離れ落ちないでいたら良いのに、梅の花は私の見ていない処で何時の間に散って終ったのだろうね。)との意で、散り際の風情も見せてくれないのかなあと詠んだ歌。

離れぬ;はなれない。動詞「離る」の連用形「離れ」に打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」。

46
(梅の香を袖に染込ませてそこに留める事が出来たならば、たとえ春が過ぎ去ったとしても、その香りが春の思い出の種と成るのであろうに。)との意。

ては;…たらば。…たならば。仮定条件を表す接続助詞「て」に強意を示す係助詞「は」の付いたもの。完了の助動詞「つ」の未然形「て」に接続助詞「ば」の付いた強調の仮定条件とすることも。


47
(梅の花盛りの姿は散って無くなるのが当たり前と思うべきであるのに、名残惜しくて未練がましい程にその匂いばかりを袖に残して散って終いましたよ。)との意で、残り香に名残惜しい余韻を詠んだ歌。
うた
転て;ひどく。異様に。情けなく。など事態が進む様を表す副詞「うたた」の転。


 

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃。

かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ  
寛平御時后宮歌合;宇多天皇の母后班子女王が893年以前に催した歌会。収載歌は春・夏・秋・冬・恋の5題名各20番計200首が原型であったと云われるが、現存する伝本に完本は無い。通常の歌合せ等にある勝ち負けの判定が無いなど、歌合せとしての形式に不備な点も有ったが、大規模な歌合せであった。893年9月に万葉仮名で作られ後に和漢で記された新撰万葉集との関連が深く、この歌合せから計170首もの歌が入集している。紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・藤原興風らが詠歌している。


そせいほうし   へんじょう        よしみねのはるとし                                 よしよりのあそん
素性法師;遍照の子、俗名は良峯玄利と云い、出家して雲林院に住み歌僧となる。またの名を良因朝臣とも云う。三十六歌仙の一人で、剃髪前は清和天皇に仕えていた。歌風は軽妙で力強いものがある。家集に素性集が有る。生没年不詳。



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臨書用紙には、艶のある淡緑の染紙が9枚入れてあります。
端数になっているのは、現存する関戸本古今集が完本ではなく欠損部分が存在する為です。

昭和初期模写本 関戸本古今集

       21項(濃紫)             20項(濃紫)

関戸古今 染 濃紫 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 濃紫  拡大へ
濃紫


本文解説
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綴葉装  (淡紫色・中紫色) 『染紙』 拡大
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ
             つらゆき

158
 なつの夜の ふすかとすれば ほと

 とぎす、なくひとこゑに あくるし

 ののめ
             
みぶのただみね
             壬生忠岑
159
 くるるかと みればあけぬる な

 つの夜を、あかずとやなく 山ほと

 とぎす

             きのあきみね
160
 なつ山に こひしきひとや いりに

 けむ、こゑふりたてて なくほとと

 ぎす

             よみびとしらず
161
 こぞのなつ なきふるしてし 

 ほととぎす、それかあらぬか こゑ

 のかはらぬ

   ほととぎすのなくをききてよめる


 
             川良由支

158
 奈川乃夜能 不春可止須礼盤 本止

 々幾春、奈久比止己恵爾 安久流之

 乃々免

             壬生忠岑
159
 久流々加止 美礼盤安个奴留 奈

 徒乃夜遠、安可須止也奈久 山本止

 々幾春

             支乃安幾三禰
160
 奈徒山爾 己比志支比止也 以利仁

 遣無、己衛不利多天々 奈久本止々

 幾春

             與美飛止志良春
161
 己曾農那徒 奈支不留之天之

 本止々支春、所礼可安良奴可 己衛

 乃可者良奴

   本止々支春乃那九遠支々天與女留


 

関戸古今 20項(濃紫;2枚目表面)、21項(濃紫;1枚目裏面)
光を反射してやや淡く映っております。                   
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臥す;横になる。床に入る。


しののめ
東雲;東の空が僅かに明るくなる頃。
語源は明り取りの為の「篠の目」からとも。





暮るるかと;暮れたかと。

明けぬる;明けてしまう。「ぬ』は受動的完了、「る』は可能性を示す共に助動詞。




 こ ぞ
去年;昨年



鳴き旧して;時々聞いているうちに、鳴き声が耳について馴れてしまって。



黄文字
は次項に在り
(但し写真掲載無)



             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 



                    紀貫之
158
「夏の夜の臥すかとすれば時鳥、鳴く一声に明くる東雲」
夏の夜は横になったかと思へば、時鳥の鳴く一声で早、明けてしまうような夜明け方ですよ。


                    壬生忠岑

159
「暮るるかと見れば明けぬる夏の夜を、明かずとや鳴く山時鳥」
日が暮れて来たかと思うともう明けてしまう夏の夜を、明けないで欲しいとでも言っているのか、山時鳥が鳴いているよ。


                    紀秋峰

160
「夏山に恋しき人や入りにけむ、声振り立てて鳴く時鳥」
夏山に恋しい人でも入って行ったのだろうか、大きな声を張り上げて時鳥が鳴いているよ。


                    詠み人不明

161
「去年の夏鳴き旧るしてし郭公、其れか在らぬか声の変わらぬ」
去年の夏に聞き慣れてしまった時鳥よ、そうなのか、其れとも違うのか声の変わらないことよ


  時鳥の鳴いているのを聞いて詠んだ歌

 


158
(夏の夜は短くて床に入って横になったかと思へば、時鳥の鳴く一声でもう白々として明けてしまうような短夜ですよ。。)との意で、一寸うとうとしたと思ったらもう明け方な程、夜は短いですよと詠んだ歌。


159
(日が暮れて来たかと思うともう明けてしまう夏の夜を、山時鳥はまだまだ物足りなくて、明けないで欲しいとか言いたげに頻りに鳴いているのだろうか。)との意。

とや;…というのか。「…と云うや」の略で疑問の意を表す。
あかず;「飽かず」と「明かず」との掛詞。


160
(断定はできないが夏山に愛おしい人でも入って行ったのだろうか、大きな声を張り上げて頻りに時鳥が鳴いているよ。)との意で、時鳥の鳴声は恋心を募らせるよと詠んだ歌。

けむ;…だっただろう。…しただろう。確かにそうと断定できないと云う疑念を持って述べる意の語。


161
(去年の夏に聞き飽きる程の鳴声を聞かせていた時鳥よ、今鳴いているのはあの時と同じ鳥なのだろうか、それとも別の鳥なのだろうか、全く以て声の変わらない事だなあ。)との意。


 

きのつらゆき
紀貫之;平安時代前期の歌人で歌学者でもあり、三十六歌仙の一人でもある。歌風は理知的で修辞技巧を駆使した、繊細優美な古今調を代表している。醍醐・朱雀両天皇に仕え、御書所預から土佐守を経て従四位下木工権頭に至る。紀友則らと共に古今和歌集を撰進する。家集に「貫之集」の他、「古今和歌集仮名序」、「大堰川行幸和歌序」、「土佐日記」、「新撰和歌(撰)」などがある。生年868年〜没年945年頃。

しののめ
東雲;東の空が僅かに明るくなるころ。明け方。当時以前の家屋の明り取り用の窓を指す言葉で、網代に組んだ粗い編み目ののことで、篠竹を材料として作られていた為「篠の目」と呼ばれていたことが始まり。この篠の目が明り取りそのものの意となり、転じて夜明けの薄明かりとなり、更に夜明けそのものになったとされる。「東雲」は夜明け方、東の方の空の雲から先ず薄っすらと白くなってくることから。尚この時代には明け方の時間を細分化して用いており、「暁(あかつき)」⇒「東雲(しののめ)」⇒「朝朗け(あさぼらけ)」⇒「朝(あした)」と歌に詠んだ。
あかつき                                            あかとき
暁=暗闇が薄れ始める前後の丁度その頃。夜の終わり且つ昼の時間の明け方。明時の転。明け方のまだ薄暗いうち。夜明け前。
あさぼら
朝朗け=夜が明けて朝がほんのりと明るくなって来る頃。未だ辺りがしんと静まり返っている頃。寝起きの未だボーっとしている感覚でこれから辺りが活動し始める頃を言う。
あした                                                                         あさ
朝=夜が終わり辺りが見渡せる程度の明るくなって暫くの間。夜の時間の終わりから、辺りが活動を始める昼の時間の始まりである朝まで。


みぶのただみね
壬生忠岑;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏でありながらも和歌に優れ、師である紀貫之らと共に古今和歌集を撰した。温和で澄明な叙景歌が多い事で知られ、古今集以下の勅撰集に81首が入集する。歌論書に和歌体十種(忠岑十体)、家集に忠岑集が有る。生没年不詳。

きのあきみね
紀秋峰;平安時代前期の歌人で、参議であった貴族の紀広浜の孫にあたる。古今和歌集に2首が入集する。宇多天皇の母后である班子女王歌合せにも出詠している。生没年不詳。


                                                        ページのトップへ
 

臨書用紙には、艶のある濃紫の染紙が4枚入れてあります。

昭和初期模写本 関戸本古今集

       25項(淡紫)             24項(淡紫)

関戸古今 染 淡紫 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 淡紫  拡大へ
淡紫


本文解説
使用字母へ




綴葉装  (中紫色・淡紫色) 『染紙』 拡大
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ


   はやくすみけるところにて

   ほととぎすのなきけるをき

   きてよめる

     ただみね

165
 むかしべや いまもこひしき ほ

 ととぎす、ふるさとにしも な

 きてきつらむ

   ほととぎすのなきけるをき

   きてよめる

     躬恒
166
 ほととぎす 我とはなしに う

 の花の、うきよのなかに なきわ

 たるかな

   はちすのはなの露を見て

   よみける

             僧正遍昭
167
 はちすばの にごりにしまぬ

 こころもて、などかはつゆを たま

 
とあざむく



   者也九須三个留止己呂爾天

   本止々支春乃奈幾个留遠支

   々天與女流

      堂々美年

165
 武加之邊也 以末裳己比志紀 本

 止々支春、不留佐止爾之裳 那

 幾天支川良无

   保止々支春乃奈幾个留遠支

   々天與女留

      身恒
166
 本止々支春 我止盤奈之仁 宇

 乃花能、有紀與乃那可爾 那支和

 堂流可那
          

   者知春乃者那能露遠見弖

   與美个留

             僧正遍昭
167
 者知須盤乃 爾己利爾之末奴 

 己々呂毛天、奈止可波川由遠 堂万

 
止安左無九 



関戸古今 24項(淡紫;1枚目表面)、25項(淡紫;1枚目表面)見開き部分
一束分、両面加工料紙4枚重ねの一番上に為ります。綴葉装の見開き部分です。 
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昔邊;昔方
過去の方。いにしえ


しも;強調の助詞「し」に感動の助詞「も」のついたもの。
・・・にさへも。

つらむ;完了の助動詞「つ」に推量の助動詞「らむ」の付いたもの。・・・してしまっていたのだなあ。
「つ」は能動的完了をあらわす時に使う。






「〃」は見消
はちすのは;蓮の葉







黄文字は次項に在り
(但し写真掲載無)

             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

  以前住んでいた所で時鳥の鳴いていたのを聞いて詠んだ歌

        壬生忠岑
165
「昔方や今も恋しき時鳥、古里にしも鳴きて来つらむ」
ずっと以前から今でも恋しい時鳥よ、よりによって古里にさへも鳴きにやって来たのだろうか。


  郭公の鳴いているのを聞いて詠んだ歌

        凡河内躬恒

166
「郭公我とは無しに卯の花の、憂き世の中に鳴き渡るかな」
郭公は私と同じ身の上では無いのに、どうして辛い事の多い世の中を鳴きながら渡っているのだろうか。


  蓮の葉の露を見て詠んだ歌

                    僧正遍照

167
「蓮葉の濁りに染まぬ心持て、何かは露を玉と欺く」
蓮の葉の濁りに染まらない心を持っていながら、どうして露を玉の様にしてたぶらかすのだろうか。




 


165
(ずっと以前からそうなのだが今でも懐かしい時鳥よ、よりによって私の為に以前住んでいたこの地にまでもわざわざ鳴きにやって来たのだろうか。)との意で、変らぬ声を心地よしと詠んだ歌。

つらむ;…たのだろう。確述完了の助動詞「つ」の終止形「つ」に推量の助動詞「らむ」

166
(郭公は憂いで泣いている私と同じ身の上では無いのに、どうして辛い事の多い世の中を鳴きながら飛渡っているのだろうか。)との意。

我とは無しに;私と同じ身の上では無いのに。

卯の花の;枕詞。「憂き」に掛かる。


167
(蓮の葉は泥水の中に生育しながらも、その濁りに染まらない清らかな心を持っていながら、どうしてその葉の上の露を玉と見せかけて私をだますのだろうか。)との意で、純真な心を持ちながら人心を弄ぶのかと詠んだ歌。

かは;…のか。…だろうか。疑問を表す係助詞。結びは連体形。


 

みぶのただみね
壬生忠岑;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏でありながらも和歌に優れ、師である紀貫之らと共に古今和歌集を撰した。温和で澄明な叙景歌が多い事で知られ、古今集以下の勅撰集に81首が入集する。歌論書に和歌体十種(忠岑十体)、家集に忠岑集が有る。生没年不詳。

おおしこうちのみつね                           うだ・だいごりょうてんのう 
凡河内躬恒;平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、紀貫之・壬生忠岑・紀友則らと共に古今和歌集撰者の一人。卑官ながら歌歴は華々しく即興での叙景歌の吟詠に長けていたとさる。家集に躬恒集があり、古今集以下の勅撰集にも194首入集している。官位は従五位、淡路権掾。生没年未詳(860年前後〜920年代半頃)。

そうじょうへんじょう
僧正遍照;経なん時代初期の僧であり歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人で、桓武天皇の皇子大納言安世の子。俗名は良峯宗貞と云い、仁明天皇の寵を受けて蔵人頭となったが、天皇の崩御後に出家して、円仁・円珍に天台宗を学び京都に元慶寺を開いて僧正となる。流暢な歌を詠み、惟喬親王小野小町との贈答歌は有名。勅撰集に35首が入集する。生年816〜没年890。


はちすば
蓮葉;蓮の葉。水底の泥の中の地下茎の節から直接葉柄を出し、水面上に葉を広げる。葉はほぼ円い楯形で直径は約30cm〜50cm程、表面に微毛が有り水を弾き、露を集めて玉を作り易く、葉上でころころと走る。「はちす」の名は種の成る花托が蜂の巣に似ているから付けられた名。その種は硬く寿命が長い事でも知られ、約千年前の種が発芽した例もある。その花は大きく、観賞用の物では径30cmに達するものもある。蓮はインド原産で、仏教との関りが強く寺院の池や池沼・水田などでも栽培される。長い根茎は先端に成る程肥大し、中身は白色で数本の空洞が走り、蓮根と呼ばれる。肥大した根茎と種は食用になる。また、仏様の座している蓮華座は蓮の花になり、これを蓮台とも呼び、写経の際の罫内に一文字一文字を収める台(うてな)にもなっている。



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臨書用紙には、艶のある淡紫の染紙が4枚入れてあります。

昭和初期模写本 関戸本古今集

        43項(淡茶)           42項(淡茶)

関戸古今 染 淡茶 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 淡茶  拡大へ
淡茶


本文解説
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綴葉装  (淡茶色・淡茶色) 『染紙』 拡大へ
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ
             
   きりぎりすのなきけるをを

   ききてよめる


       ふぢはらのただふさ

198 
 きりぎりす いたくななきそ あき

 の夜の、ながきおもひは われぞ

 まされる

   これさだのみこのいへのうたあわせ

   のうた

       としゆきのあそむ

199
 秋の夜の あくるもしらず なく

 むしは、わがことものや わびしかるら

 む

   だいしらず     よみびとしらず

200
 あきはぎも いろつきぬれば きり

 ぎりす、わがねぬことや よるはかなしき

201
 秋の夜は 露こそことに わびし

 けれ、くさむらごとに 虫のわぶれば

202
 きみしのぶ くさにやつるる ふるさとは、

 まつむしのねぞ かなしかりける


                  
   支利々々春乃奈支个留乎遠

   幾々天與女留

       不知者良乃堂々不散

198 
 支利々々春 以堂九那々支所 安支

 乃夜能、奈可幾於无比盤 和連所

 末左礼留

   己礼散多乃美己能以部能宇多安八世

   乃宇堂


       止之由幾乃阿曾無
199
 秋乃夜乃 安久留毛之良春 奈九

 無志波、和可己止毛乃也 王飛之加留良

 无

   太以之良春   與三飛東之羅数

200
 安幾波支裳 以呂川支奴礼者 支利

 々々春、和可禰奴己止也 與留波可那之支

201
 秋乃夜盤 露己曾己止爾 和比之

 遣礼、久佐武良己止爾 虫乃王不礼八

202美志
 支乃不 久佐爾也徒留々 不留佐止盤、

 万川武之乃年所 加奈之可利个留



関戸古今 42項(淡茶;1枚目表面)、43項(淡茶;1枚目表面)見開き部分
一束分、両面加工料紙4枚重ねの一番上に為ります。綴葉装の見開き部分です。
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「〃」は見消


きりぎりす;蟋蟀の古称。


いたくななきそ;どうかそんなに泣かないでおくれ。「な・・・そ」の形で禁止を懇願する。


















虫の詫ぶれば;虫が悲観して嘆いているように聞こえることで。





草に窶るる;草が生い茂って見苦しくなる。

松虫;鈴虫の古称。
「り〜ん、り〜ん」と寂しげに鳴く



             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

  きりぎりす(蟋蟀)が鳴いていたのを聞いて詠んだ歌

          藤原忠房
198
「蟋蟀いたくな鳴きそ秋の夜の、長き思ひは我ぞ勝れる」
コオロギよ、そんなにも鳴いてくれるな、この秋の夜が長い様に、長い思いは私の方こそ勝っているのだからね。


  是貞親王のお屋敷の歌合せで詠んだ歌

          敏行朝臣(藤原敏行)

199
「秋の夜のあくるも知らず鳴く虫は、我が事ものや侘しかるらむ」
秋の夜が明けるのも知らないで鳴き続ける虫は、なぜ私事の様に物悲しいものであるのかな。


  お題不明           詠み人不明

200
「秋萩も色付きぬればきりぎりす、我が寝ぬ事や夜は悲しき」
秋萩も色付いてしまったようなので蟋蟀よ、私の寝ないことで夜は悲しいと鳴いているのか。


201
「秋の夜は露こそ殊に侘しけれ、草むら毎に虫の詫ぶれば」
秋の夜長は露が特に物悲しいことよ、草叢毎に虫が寂しそうに鳴いているので。


202
「君偲ぶ草に窶るる古里は、松虫の音ぞ悲しかりける」
貴方の事が思い出される草に埋もれてみすぼらしい故郷は、鈴虫の音色が更に悲しみを増すことだったのだ。


 

198
(コオロギよ、そんなにひどく鳴いてくれるなよ、この秋の夜が長い様に、長く尽きることの無い物思いは私の方こそ勝っているのだからね。)との意で、お前が鳴き過ぎると私の方が泣きたくなるよと詠んだ歌。

な…そ;…するな。…しないでおくれ。「な」は動詞の連用形の先にあってその動詞の示す動作の禁止を意味する副詞、「そ」はその連用形の後に付き、軽い詠嘆の気持ちを含んだ禁止の意を表す終助詞。

長き;「秋の夜長」と「長い物思い」の両方に掛る。

199
(秋の夜長が明けるのも知らないで飽きずに鳴き続ける虫の鳴声は、どうして自分の事の様に物悲しく思われて来るものなのかなあ。)との意。

あくる;「明くる」と「飽くる」との掛詞。

らむ;どうして…ているのだろう。現在の事柄について、その原因・理由を疑問を抱いて推量する意を表す。


200
(秋萩もすっかり色付いて終ったようなので、盛りの過ぎた蟋蟀よ、私が寝むれないことを憐れんで夜はかわいそうだと私の代わりに泣いているのか。)との意。


201
(秋の夜長は置いた露が涙を流しているようで特に物悲しいものですよ、夜はいつもあちこちの草叢で虫が寂しそうに鳴いているのでね。)との意。

202
(かつての貴方の事が思い出されて仕方ない程、草に埋もれてみすぼらしい故郷は、そこで聞く鈴虫の鳴く音色が更に悲しみを駆り立てるものだったのだなあ。)との意。

ける;…たことよ。…だったなあ。詠嘆の意を込めて、これまであったことに今気が付いた意を示す。ラ行変格型助動詞で、「来有り」の転「けり」の連体形。

 

ふじわらのただふさ
藤原忠房;平安時代前期の貴族で雅楽に通じ歌人でもあり、中古三十六歌仙の一人。右京大夫藤原興嗣の子で幾つかの地方官を歴任後山城守、官位は従四位上。古今集以下の勅撰集に17首が入集する。生年不詳〜没929年。

きりぎりす
蟋蟀;「こおろぎ」の古名。尚、現在のキリギリスはその鳴声が機織の音に似ている事から「はたおり」と呼ばれていた。


ふぢはらのとしゆき
藤原敏行;平安初期の歌人で、三十六歌仙の一人。三十人撰にも登場するが知られている歌は全て合わせても28首と少ない。詳細は不詳であるが、古今集中には敏行朝臣と出ていることから、おそらく四位であったろうと推察される。生没年不詳。





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臨書用紙には、艶のある淡茶の染紙が12枚入れてあります。

昭和初期模写本 関戸本古今集

       49項(濃茶)            48項(濃茶)

関戸古今 染 濃茶 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 濃茶  拡大へ
濃茶


本文解説
使用字母へ




綴葉装  (黄土色・中茶色) 『染紙』 拡大へ
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ

       このうたは或人の云う

           柿本の人丸が也

   寛平の御ときのきさいの宮のう

   たあはせのうた


       ふぢはらのすがねのあそむ

213     
 あきかぜをに こゑをほにあげて

 くる船は、あまのとわたる かりに

 ざりける

   かりのなきけるをよめる

             みつね
214
 うきことを おもひつらねて かり

 がねの、なきこそわたれ 秋の夜

 なよな

   これさだのみこのいへのうたあわ

   せのうた

             ただみね
215
 やまざとは あきこそことに わびし

 けれ、しかのなくねに めをさま

 
しつつ



       己乃宇堂波或人乃云

            柿本乃人丸可也

   寛平乃御止支乃幾佐以乃宮乃宇

   多安者世乃宇堂

       不知者良乃春可禰乃安曾武

213      
 安幾可世乎爾 己恵遠保爾安个天 

 久流船盤、安万乃止和多留 加利爾

 左利个類

   加利乃奈支遣流遠與女留

             美川禰
214
 有紀己止遠 於毛比徒良年天 加利

 閑子乃、奈幾己曾王太礼 秋乃夜

 奈々々

   己礼散多乃美己能以部乃宇堂安八

   世乃宇堂

             太々美禰
215
 也末佐止波 安幾己曾己止爾 和飛之

 遣礼、之加乃奈九年爾女遠佐万

 
之川々



関戸古今 49項(濃茶;2枚目表面)、48項(濃茶;1枚目裏面)       
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「〃」は見消





















殊に;とりわけて。


侘しけれ;物悲しいものである。
「こそ・・・けれ」の形で、・・・だけれども。



黄文字は次項に在り
(但し写真掲載無)

             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

  この歌はある人が言うには柿本人麻呂の歌であると
  
かんぺい     きさい
  寛平の御時の后の宮の歌合せの歌

                      藤原菅根朝臣
213
「秋風に声を帆に上げて来る船は、天の門渡る雁にざりける」
秋風に声を帆に上げて来る船は、大空を渡って行く雁であったよ。


  雁が鳴いていたのを詠んだ歌

                      凡河内躬恒

214
「憂きことを思い連ねて雁金の、鳴きこそ渡れ秋の夜な夜な」
辛い事を思い連ねて雁の群れよ、鳴きながら飛んで行け秋の夜毎に。


  是貞親王のお屋敷の歌合せで詠んだ歌

                      壬生忠岑

215
「山里は秋こそ殊に侘しけれ、鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」
山里は秋が特に物悲しい、鹿の鳴く声に目を覚まし覚ましして。


 

213
(秋風に乗って、鳴声を帆の様にしてやって来る船に見えた物は、大空を渡って行く雁の群であったのだなあ。)との意。
あま  
天の門;天を海に見立てて、天上にある月や太陽の渡る道。大空。

ざりける;…なのだなあ。…だったのだなあ。係助詞「ぞ」と補助動詞「あり」の連用形「ぞあり」の約音「ざり」に過去の助動詞「けり」の「ざり」に包含する「ぞ」を受けての連体形「ける」の付いた形。


214
(次から次へと辛い事を思い連ねる様にして連なって飛んでいる雁の群れよ、鳴きながら大空を飛んで行くがいい、秋の夜、毎晩のようにして。)との意で、鳴き渡る雁に押し寄せる苦悩を毎夜持ち去って欲しいと詠んだ歌。


215
(山里での暮らしは秋が特に物悲しいものですよ、毎晩のように鹿の鳴く声に、その都度目を覚ましてしまうものですからね。)との意で、目を覚ます度に一人寝の寂しさが込上げて来るものですからと詠んだ歌。

鹿の音;晩秋になると牡鹿は盛んに鳴いて雌鹿の気を惹こうとするが、その声を遠くで聞くと哀れを催す淋しい声に聞こえ、古来詩歌に詠まれる。

 

かきのもとのひとまる                                  てんむ  じとう  もんむ
柿本人丸;奈良時代に活躍した万葉歌人で、三十六歌仙の一人。天武・持統・文武天皇の三代に仕え、六位以下の舎人として石見の国の役人となり、讃岐の国などへも往復したが遂には石見の国で亡くなったと思われている。序詞・枕詞・押韻なっどを効果的に用いて想いを込めた詞豊かに、荘重で沈痛且つ格調高い作風の長歌が多く、抒情歌人として名高い。後の世に、山部赤人と共に歌聖と称された。柿本人麻呂とも書き、日並皇子・高市皇子の舎人ともいう。万葉集に長歌16首、短歌63首が見え、人丸集に302首が残されている。生没年不詳。


かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ  
寛平御時后宮歌合;宇多天皇の母后班子女王が893年以前(889〜893年の何れか)に催した歌会。収載歌は春・夏・秋・冬・恋の5題名各20番計200首が原型であったと云われるが、現存する伝本に完本は無い。通常の歌合せ等にある勝ち負けの判定が無いなど、歌合せとしての形式に不備な点も有ったが、大規模な歌合せであった。893年9月に万葉仮名で作られ後に和漢で記された新撰万葉集との関連が深く、この歌合せから計170首もの歌が入集している。紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・藤原興風らが詠歌している。


ふぢはらのすがねのあそん                               
あつぎみしんのう  じとう
藤原菅根朝臣;平安前期の貴族で学者、菅原道真の推挙により敦仁親王の持読となり、信任を得て親王が即位後の899年には文章博士となり、更には蔵人頭・左近衛少尉となる。官位は従四位上。歌人としては資料に乏しく、この1首が入集するのみで詳細は不詳である。寛明親王(後の朱雀天皇)の東宮学士も務めた中納言藤原元方は次男。生856年〜没908年。


おおしこうちのみつね                           うだ・だいごりょうてんのう 
凡河内躬恒;平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、紀貫之・壬生忠岑・紀友則らと共に古今和歌集撰者の一人。卑官ながら歌歴は華々しく即興での叙景歌の吟詠に長けていたとさる。家集に躬恒集があり、古今集以下の勅撰集にも194首入集している。官位は従五位、淡路権掾。生没年未詳(860年前後〜920年代半頃)。


みぶのただみね
壬生忠岑;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏でありながらも和歌に優れ、師である紀貫之らと共に古今和歌集を撰した。温和で澄明な叙景歌が多い事で知られ、古今集以下の勅撰集に81首が入集する。歌論書に和歌体十種(忠岑十体)、家集に忠岑集が有る。生没年不詳。



                                                        ページのトップへ
 

臨書用紙には、艶のある濃茶の染紙が4枚入れてあります。

昭和初期模写本 関戸本古今集

        81項(黄土)           80項(黄土)

関戸古今 染 黄土 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 黄土  拡大へ
黄土


本文解説
使用字母へ

 


綴葉装  (黄土色・中茶色) 『染紙』 拡大へ
手本用帖

          かな                            
使用字母         解釈(現代語訳)へ

 さすがにめには 見ゆるものから

   かへし

       なりひらのあそむ

791 
 ゆきかへり そらにのみして ふることは、

 わがゐる山の 風はやみなり

   だいしらず     かげのりのおほきみ

792
 からころも なれば身にこそ まづはれ

 め、かけてのみやは こひむとおもひ

 し

             とものり
793
 あきかぜは みをわけてしも ふかなく

 に、ひとのこころの そらにちるらん

      みなもとのむねゆきのあそむ

794
 つれもなく なりゆく人の ことのはぞ、

 あきよりさきの もみぢなりける

   ここちそこなへりけるとき、あひし

   りてはべりけるひとのとはで、ここちお

   こたりてのちに、とひてはべりければ

   よみてつかはしける

          
ふじはらのたかつね
      兵衛 
のあそんのむすめ



 左春可仁免爾波 見由留毛乃可良

   加部之

       奈利比良乃安所無

791
 由幾可部利 曾良仁乃美志天 不留己止八、

 和可為留山能 風盤也見奈梨

  太以志良春   加个乃利能於本幾三

792
 加良己呂毛 奈礼者身爾己曾 万川波連

 女、閑个天乃三也者 己比武止於毛比

 志

             止裳乃利
793  
 安幾可世八 美乎王个天之毛 不可奈久 

 爾、比止乃己々呂乃 處良仁知留良无

      美奈毛止乃武禰由幾乃安曾无

794
 川礼裳奈九 那利由九人乃 己止能者所、

 安幾與利左支乃 毛美知奈利个留

  己々知曾己那部利遣累止支、安比之

  利天者部利个留悲止乃止波天,己々知於

  己太利天乃知仁、止比天者部利个礼八、

  與三天川可波之遣累

            
不知者良乃多可川禰
        兵衛 
乃安曾无乃武春女




関戸古今 80項(黄土;2枚目表面)、81項(黄土;1枚目裏面)
                                     
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のみ
祈;祈り。

ふること
古事;故事。
昔より伝来している由緒ある事柄。風習。

振る事;神霊の活力を呼び覚まし降下させること。

降る事;降って湧く事。思いがけず生ずること。


晴れめ;晴れ着姿になるのがよい。
「め」は勧誘的な推量の助動詞「む」の已然形

掛けて;心のかけて。いつでも。


秋風;厭きの風にかけているもの。





つれもなく;何の関わりもなく。

成り行く;行き交う。移り行く。








 

             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

790
「天雲の他所にも人のなり行くか、さすがに目には見ゆるものから」
こんなにも余所余所しく人は為ってしまうものでしょうか、そうは言っても目には見えているのですから。

  返しの歌
                      業平朝臣
791
「行き返りそらにのみしてふる事は、我が居る山の風は止みなり」
行き帰りに瓜二つの顔立ちに見えるばかりで昔の事などは…、私の立っている山の風はもう止んでしまいましたよ。


  お題不明              景式大君

792
「唐衣慣れば身にこそ先づ晴れめ、掛けての宮は恋むと思ひし」
唐衣がその体に馴染めば何はともあれ栄えるだろう、気に掛けての宮様はきっと心惹かれると思いますよ。


                      紀友則

793
「秋風は身を分けてしも吹かなくに、人の心の空に散るらん」
秋の風は二人を離れさせた処で吹かないのに、どうして人の心は空に散って終うのでしょう。


                      源宗干朝臣

794
「連れも無くなり行く人の言の葉ぞ、秋より先の紅葉なりける」
徐々に無関心になって行く人の言葉ほど、秋になるよりも早い紅葉であったという事だ。


  体調が優れなかった時、互いに知って親しくしていた人も
  訪ねて来ないで、病気がよくなった後で、お伺いして傍に
  お仕えできたので詠んで贈った歌

              兵衛 藤原高経朝臣の女


 

790
(こんなにも他人行儀に男の人は為ってしまうものなのでしょうか、そうは言っても、貴方は目の前に見えているのですから。気にしない訳にはいきませんよねえ。)との意。内心では(オイ此れ!ちゃんと挨拶せんかいぼけっ!)とでも思っていたのでしょうか。

あまぐも
天雲の;枕詞。「よそ」に掛る。

791
(ここへの行き帰りに他人の空似でよく似た人に見間違えるだけの事ですよ、昔の事は、もう忘れて下さい。私の栄華の頂点は過ぎ去り、繁栄の風はもう止んで今では落ちぶれてしまいましたよ。)との意で、どうぞ私にお構いなくと返して詠んだ歌。

のみ;…しているばかりである。ひたすら…でいる。「のみ」を含む文節が修飾している用言を強める意の副助詞。

792
(唐風の珍しい衣服がその体に馴染めば何はともあれ貴方の姿が美しく栄えるだろう、その姿を気に掛けて宮様はきっと心惹かれると思いますよ。)との意。

晴れめ;見栄えするだろう。動詞「晴る」の未然形「晴れ」に推量の意を表す助動詞「む」が強調の係助詞「こそ」を受けての已然形「め」で、まだ起こらないことを強調して述べる。

793
(私があの人のことに飽きてしまうような秋の風は二人を離れ離れにした処で吹かないと云うのに、どうしてあの人の心は花が散って終うように空の彼方に消えて無くなるのでしょう。)との意で、女心を秋の空と詠んだ歌。

あき;「秋」と「飽き」との掛詞。


794
(段々と余所余所しくなって行く人の発する言葉ほど、飽きが来るよりも先に散り終わってしまう様な色気のない青いままの紅葉=言の葉であったという事ですよ。)との意。

なりける;…であったということだ。断定の助動詞「なり」の連用形に過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で伝聞の意を表す。

 

ありはらのなりひらのあそん                                 あぼしんのう
在原業平朝臣;平安初期の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。阿保親王の第五皇子で、在五中将とも呼ばれた。兄の行平と共に826年に在原性を賜った。故事に精通した学者の大江音人も兄弟である。伊勢物語の主人公と混同され、伝説化されて容姿端麗、情熱的な和歌の名手で、二条后との密通や伊勢斎宮との密通などより、色好みの典型的な美男子とされ、能楽や歌舞伎或は浄瑠璃などの題材ともなった。紀有常の娘を妻とし、官位は蔵人頭、従四位に至る。紀貫之も古今和歌集序の中に「その心余りて言葉足らず」と評するなど情熱的歌人で有ったことを物語る。生年825年〜没年880年。


かげのりのおほきみ
                           これえだしんのう     もんとくてんのう
景式大君;平安時代前期の貴族で歌人、上総太守の惟条親王の子で文徳天皇の孫にあたり、官位は従四位下。歌人としての資料に乏しく、歌は古今和歌集に2首が認められるのみ。生没年不詳。

 たいしゅ                               かずさ  ひたち  こうずけ       かみ
太守;親王の任国として定められていた地の監督官吏で、上総・常陸・上野の三ヶ国の守の称。が、実際には親王は遥任でその地には赴任せず、代わりに介が守の仕事を行っていた。



きのとものり
紀友則;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、従兄弟の紀貫之らと共に古今和歌集撰者の一人であるが、集の完成を見ずに亡くなる。格調高い流麗な歌風で、古今集をはじめ勅撰集に64首入集。家集に友則集が有る。生年845年頃〜没年905年。



みなもとのむねゆきのあそん
源宗干朝臣;平安前期の貴族で歌人、三十六歌仙の一人でもある。式部卿・是忠親王の子で、光孝天皇の孫にあたる。官位は正四位下の右京大夫。寛平の御時后宮歌合や是忠親王家歌合などにも参加しており、紀貫之や伊勢らとの贈答歌もある。家集に40首を収めた宗干集がある。生?年〜没939年。


ふじわらのたかつねのあそんのむすめ                            みぎのひょうえのかみ
藤原高経朝臣女;平安時代前期の貴族で歌人。父は正四位下の右兵衛督、藤原高経。兵衛が名前なのか役職なのかは不明。或は父親が兵衛督だったことによる通り名か。生没年不詳。

ひょうえ                                 ぐ ぶ
兵衛;兵衛府に属し、内裏の内郭の諸門を守衛し、行幸に供奉した兵士。兵衛督は兵衛府の長官。


                                                        ページのトップへ
 

臨書用紙には、艶のある黄土の染紙が4枚入れてあります

昭和初期模写本 関戸本古今集

        33項(茶紫)           32項(茶紫)

関戸古今 染 茶紫 書手本 拡大
清書用
関戸古今 染 茶紫  拡大へ
茶紫


本文解説
使用字母へ

 


綴葉装  (淡紫色・中紫色) 『染紙』 拡大
手本用帖

         かな                             
使用字母         解釈(現代語訳)へ
177
 あまのがは もみぢをはしに わたせば

 や、たなばたつめの あきをしもまつ

178 
 こひこひて あふよはこよひ あまのがは、

 きりたちこめて あけずもあらなむ

   寛平の御ときに七日の夜うへ

   にさぶらふをのこどもに、うた

   たてまつれとおほせられける

   とき、ひとにかはりてよめる

             きのとものり

179
 あまのがは あさせしらなみ たど

 りつつ、わたりはてねば あけぞし

 にける

   おなし御ときのきさいの宮

   のうたあはせのうた

     ふじはらのおきかぜ

180
 ちぎりけむ こころぞつらき た

 なばたの、としにひとたび あ


 
ふはあふかは


177
 安末乃可者 毛美知遠者之爾 和多世八

 也、堂奈者多川女乃 安支遠之毛万徒

178
 己比々々天 安不與者己與比 安末乃可八、

 支利多知己女天 安个春毛阿良奈无

   寛平乃御止幾仁七日乃夜宇部

   爾左不良布遠乃己止毛仁、宇太

   々天万川礼止於本世良礼个留

   止幾、悲止爾可波利天與女留

              幾乃止毛能里

179
 阿末乃可波 安左世志良奈見 多止

 利川々、和多利者天禰盤 安个所之

 爾遣類

   於奈之御止幾乃支佐以乃宮

   乃宇堂阿者世能宇堂

      不知者良乃於幾可世

180  
 知幾利个武 己々呂所川良支 多

 奈者多乃、止之爾比止堂比 安

 
不波安不可者



関戸古今 32項(茶紫;紫系3枚目裏面)、33項(茶紫;紫系4枚目表面)
茶紫は濃淡紫の変色です。                         
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たなばた
 
棚機つ女;機を織る女。織姫。機織女。



恋乞ひて;


明けずもあらなむ;
夜が明けないでいてほしい。

うへ さぶら をのこども
上に候ふ男共;
主に仕える男たち。










明けぞ死にける;
夜明け時には死んでしまうらしい。









会ふは逢ふかは;
面会する日に巡り合うかどうかは。


黄文字は次項に在り
(但し写真掲載は
こちら)


 

             現代語訳
 

        解釈           使用字母へ
 

177
「天の川紅葉を橋に渡せばや、棚機つ女の秋をしも待つ」
天の川で紅葉を橋として渡したならば、織女星は例え秋であろうとも待っているだろうか。


178
「恋乞ひて逢う夜は今宵天の川、霧立ち込めて明けずも有らなむ」
恋慕の気持ちを切に願ってお会いする夜は今夜の天の川、出来れば霧が立ち込めて明けないで欲しいものですね。


  醍醐天皇の寛平の御代に七日の夜宮中にお仕えする
  男達に和歌を読まれよと仰られた時、
  人に代わって詠んだ歌

                      紀友則

179
「天の川浅瀬白波たどりつつ、渡り果てねば明けぞしにける」
天の川の浅瀬や白波の立つ辺りを辿りながら渡っていると、未だ渡り切っていないのにもう白けてしまったことよ。


  寛平御時后宮歌合せで詠んだ歌

                藤原興風

180
「契りけむ心ぞ辛き七夕の、年に一度逢ふは合ふかは」
以前約束していただろう心がとても辛いことよ、七夕の夜に年に一度会える日が合うかどうかは。






 

177
(天の川で紅葉を橋の様にして向こうの端からこちらの端まで渡したならば、織姫様は例え秋であったとしても紅葉に惹かれて橋を渡って来るために、こちらの事を待ってくれているだろうか。)との意で、織姫と彦星を恋人と自分に重ねて詠んだ歌。

しも;…であっても。副助詞「し」に係助詞「も」の付いた形で、ある事項を取り立てて強調する意を表す。


178
(恋しいとお慕いする気持ちを切に願ってお会いする夜ですので、今夜は天の川に霧が立ち込め天の川を隠すかの様に、恥ずかしい私の心を包み隠して霧が晴れないで欲しいものですね。)との意。

有らなむ;…あってほしい。動詞「有り」に願望の意の終助詞「なむ」。

  七夕の夜に宮中で天皇の提案により急遽歌会が催されて。

179
(天の川で足のつく浅瀬や白波の立つ浅そうな辺りを探りながら渡っていると、未だ向こう岸まで渡り切っていないと云うのに、もう夜が明けてしまったことよ。)との意で、待ちに待った限られた時間はあっという間に過ぎて終うものだなあと詠んだ歌。


180
(以前から一緒になると約束していたはずの気持ちが心配に揺れてとても辛いことですよ、年に一度だけの七夕の夜に貴方に逢うために会えるその日に都合付くかどうかは。)との意で、裏切れない気持ちと仕事との狭間で揺れる心を詠んだ歌。

は…かは;…が…かどうか。対象物と対比して区別する意識を強調する係助詞「は」に疑問の意を表す係助詞「か」更に強調の意の係助詞「は」で強調された疑問の意を表す。

他の何物でも無くそのものの強調を表す係助詞「ぞ」が「心」を強調しているので、ここでは心の動きを詠んだ歌とみて「かは」を反語と取らない。

 

たなばた          たなばたつめ
棚機つ女;機を織る女。織女とも書く。又、織女星を人に見立てたもの。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。陰暦7月7日に川辺に棚を設け機で織った布を身に着けて川に入り、身を清める禊を女性が行っていたことによるもの。元は七夕の為と云うよりも旧盆を迎える為の礼儀として執り行っていたとも。

かんぴょう
寛平;宇多天皇の終盤から醍醐天皇の御代。(889年4月27日〜898年4月26日)

きのとものり
紀友則;平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐両天皇に仕え、従兄弟の紀貫之らと共に古今和歌集撰者の一人であるが、集の完成を見ずに亡くなる。格調高い流麗な歌風で、古今集をはじめ勅撰集に64首入集。家集に友則集が有る。生年845年頃〜没年905年。



かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ  
寛平御時后宮歌合;宇多天皇の母后班子女王が893年以前(889〜893年の何れか)に催した歌会。収載歌は春・夏・秋・冬・恋の5題名各20番計200首が原型であったと云われるが、現存する伝本に完本は無い。通常の歌合せ等にある勝ち負けの判定が無いなど、歌合せとしての形式に不備な点も有ったが、大規模な歌合せであった。893年9月に万葉仮名で作られ後に和漢で記された新撰万葉集との関連が深く、この歌合せから計170首もの歌が入集している。紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・藤原興風らが詠歌している。


ふじわらのおきかぜ                                   さがみのじょう
藤原興風;平安時代前期の下級官吏で歌人、三十六歌仙の一人。相模掾の藤原道成の子で、我が国最初歌論書で浜成式とも呼ばれる「歌経標式」を著した浜成(藤原不比等の孫)の曾孫に当たる。官位は正六位上の下総大掾。古今和歌集に17首をはじめ勅撰集に38首が入集する。寛平御時后宮歌合や亭子院歌合などに詠歌し、家集に57首を集めた興風集がある。生没年不詳。

じょう                  すけ     さかん
掾;律令制の四等官の第3位。次官の下で主典の上に位する国の官吏。

かきょうひょうしき
歌経標式;最古の歌学書;772年に完成された藤原浜成撰の和歌四式の一つ。和歌の意義・起源を論じ、中国の詩論を模倣した歌病7種・歌体3種を挙げて、其々を例示して論じた書。

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臨書用紙には、艶のある茶紫の染紙が1枚入れてあります。


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