三十六人集(西本願寺本)
 
小町集 雲母引唐紙『花唐草』(清書用臨書用紙) 戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ
おののこまち

小野小町の家集であるが、原本はおろか断簡さへも1枚も伝存しておらず、詳細は不明である。この三十六人集として有る物は寛文10年の江戸時代に書写された補写本である。唐紙は和製唐紙で表裏同柄、隈ぼかしを施したものも数枚ありこの場合表と裏でぼかしの様子が若干異なる。破り継・切継が有り、重ね継は使用されていない。全ての料紙に花鳥折枝は両面に描かれている。(全料紙組順へ)

小町集 第十五紙 具引唐紙 『加遣者那連』 拡大へ 小町集 第十一紙 破り継 『移呂毛可毛』 拡大へ 小町集 第十紙 破り継 『計左與利盤』 拡大へ 小町集 第四紙 上下隅切継 『和多徒有美農』 拡大へ 小町集 第三紙 上下隅切継 『於毛比徒々』 拡大へ 小町集 第二紙 左上隅切継 『也万佐止爾天』 拡大へ 小町集 第一紙 右上破り継 『小町集』 拡大へ 
第十五紙
花唐草
 
第十紙
破り継
 
第十紙
破り継
第四紙
切継
第三紙
切継
第二紙
切継
第一紙
破り継
 


具引唐紙 『花唐草』 白色(極薄茶色)

三十六人集 雲母引唐紙 『花唐草』 (小町集) 白色    小町集 具引唐紙 『花唐草』  書拡大へ
切継料紙の書手本
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解説・使用字母
こおほぎみしゅう                  
小町集・具引唐紙 『花唐草』(半懐紙)
料紙の花鳥折枝金銀袷型打は実物とは異なります。他の部分の物を応用した代用品です。
  
白色
(極薄茶色)
 

三十六人集 雲母引唐紙 『花唐草』 (小町集) 白色 中央部分拡大 
表面のみの加工てす。写真の物は花唐草の
雲母引唐紙です。
原本は具引唐紙
となります。
 
小町集・雲母引唐紙 『花唐草』
中央やや上側部分、弱い光を当ててのでの花鳥折枝部分の拡大です。
原本は銀泥描千鳥乱舞になります。
実物原本は裏面も具引唐紙です。花鳥折枝は同様に施されてます。
臨書用紙は
表面のみの加工てす。
 

三十六人集 雲母引唐紙 『花唐草』 (小町集) 白色 中央部分拡大 
 表面のみの加工てす。写真の物は花唐草の
雲母引唐紙です。
原本は具引唐紙
となります。
 
小町集・雲母引唐紙 『花唐草』
中央上側部分、弱い光を当ててのでの花鳥折枝部分の拡大です。
原本は銀泥描千鳥乱舞になります。
実物原本は裏面も具引唐紙です。花鳥折枝は同様に施されてます。
 
臨書用紙は
表面のみの加工てす。
  


三十六人集 具引唐紙 『花唐草』 (小町集) 書手本   解説・及び
使用字母
こまちしゅう
小町集・切継料紙『比東能毛止耳』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第十五紙
裏面も同様の花鳥折枝銀泥描きです。



歌番号は小大君集での通し番号           青色文字は使用字母


   ひとのもとに
22
 わだつうみの みるめはたれか か
               り

 はてし、世のひとことに なしと
             いはする


   つねにまたれとえあはぬ
              めの
   うらむるに
23
 みるめなき わがみをうらと し

 らねばや、かれなであまの あし

          たゆくくる

24
 ひとにあはむ つきのなきよ
             は

 思おきて、むねはしりひに 心やけ
               をり




   比東能毛止耳

22
 和多徒有美農 三留女盤多礼可 々
               里

 者天之、世乃日東己止仁 奈之止
             以者数留


   徒禰耳末多禮止衣安者怒
              女乃
   宇良武留爾
23
 美留免難支 和可美乎有羅止 之

 良禰者也、可禮奈天安満農 安之

           多由久々留

24
 悲止仁安者無 都支乃奈幾夜
             盤

 思於支天、武年者之里比爾 心也計
               遠里


「與」は「与」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「个」は「介」とすることも。
「禰」は「祢」とすることも。
「礼」は「禮」とすることも。


   人の許に
22
 海神の海松布(見る目)は誰か刈り果てし、世の一言に無しと云はする。
ここの海の海松藻は誰かがすっかり刈り取ってしまったのでしょうか、世間の一言によれば「有りませんよ」という事だそうですから。
(ここでは貴方にお目に掛れる機会は誰かがすっかり無くしてしまったのでしょうね、世間の噂によれば、ただ一言「もう無いですよ」と云われているようですから。)
 み る め  み る め
海松布;海松藻。海藻の海松の事。和歌では多く「見る目」に掛けて云う。お目に掛る機会。男女の逢う機会。


   常に待っていなさいよ、との持ちこたえられそうにない憂き目を恨みに思って、
23
 見る目(海松布)無き我が身を憂ら(浦)と知らねばや、離れなで海人の足たゆく来る。
逢う機会のない私の身は海松藻の無い浦の様なものだと知ることがないからなのか、途絶えることも無く海人の如くあの御方は足がだるくなる程に通ってこられる。(逢うことの出来ない私の身の上のことなど露知らず、海松藻を刈る海人の様に何度も何度も足の辛くなるまで通って来るのですが、それが却って私には辛いのですよ。)
 か
離れなで;離れてしまうことなく。遠のいてしまわないで。下二段活用の動詞「離る」の連用形「離れ」に、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」及び打消しの意の助詞「で」の付いたもの。
たゆ
弛く;「弛し」の連用形。だるい。疲れで元気がない。

24
 人に逢はむ月(付)の無き夜は思ひ置き(起き)て、胸走り火に心焼けをり。
人に逢う手立ても無く月の出ていない夜には、(愛しい人の事を)忘れずに心に留めて居ようと起きていて、胸騒ぎで胸中を走り回る火花がぱちぱち弾ける様な心地で胸が焼けておりますよ。

思ひ置く;忘れずに心にとどめる。




 
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小野小町;平安中期の歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。古今和歌集の代表的歌人で、恋愛歌に秀作が有り、柔軟で艶麗な歌が多く詠まれている。小野篁の子で出羽郡司となった小野良真の娘に生まれる。文屋康秀・凡河内躬恒・在原業平・安倍清行・小野貞樹・僧正遍照らとの贈答歌が有り、仁明・文徳天皇朝頃に活躍した人と知られる。後の世に歌の才能優れた絶世の美女として七小町などの伝説があり、小町塚や小町誕生の井戸など各地に逸話が残る。古今集には約60首が収録されているが、この小町集は後の人の撰によるものである。



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