三十六人集(西本願寺本)
兼盛集 染紙(濃縹色)『金銀砂子振』(清書用臨書用紙)
たいらのかねもり
平兼盛の家集であり完存してはいるが、歌数は110首である。現存の伝本はすべて同一原本より派生したと思われるが、この三十六人集として有る物は原本の上巻を欠落し、下巻のみ書写された写本であると思われる(但し3首脱落、12首追補)。兼盛集には二類四種の伝本が存在し、全集系統と下巻系統とに分かれる。原集本に在ったと思われる204首の内1首を脱落して巻末に6首を加えた209首の歌仙本と類従本。15首を脱落して末尾に8首を加えた書陵部本や陽明文庫本などがある。下巻系統本には前半の103首を脱落し110首となった本集の他、下巻部分から1首を脱し前半部分には無い7首を加えた107首の彰考館文庫本が存在している。
兼盛集としての歌数は都合231首となる。全てに詞書が存在し、歌詠事情も明白でほぼ詠作年代順となっている。大嘗会屏風歌・内裏屏風歌・大入道殿御賀屏風歌・三条殿前栽合・天徳内裏歌合などの他、題詠歌も少なくなく贈答歌が多い。
料紙は十七枚で唐紙は雲母引唐紙が多く使用され、表裏別柄も多く、隈ぼかしを施したものも数枚ありこの場合表と裏でぼかしの様子が若干異なる。破り継・切継が有り、最後二枚の破り継料紙には墨入れが無く、重ね継は使用されていない。全ての料紙に花鳥折枝は両面に描かれている。(全料紙組順へ)
こちらの料紙は染紙元は濃色縹色が経年変化で深緑色に見えているものです。全面に金銀の荒い砂子(金銀小石)を散らし、花鳥折枝が描かれており、千鳥がやや多めに飛んでおります。裏面も表面と同様の加工で表裏の区別の殆んどない準表面となっております。(尚、臨書用紙は表面のみの加工で裏面は加工しておりません。)
第六紙 雲母引唐紙(獅子唐草) |
第五紙 黄土地・内曇り |
第四紙 染紙(淡) |
第三紙 染紙(濃) |
第二紙 雲母引唐紙(七宝紋) |
第一紙 雲母引唐紙(丸唐草) |
第十四紙 雲母引唐紙(丸唐草) |
第十三紙 装飾料紙(飛雲) |
第十二紙 破り継唐紙(天の川) |
第十一紙 雲母引唐紙(菱唐草) |
第十紙 装飾料紙(飛雲) |
第七紙 雲母引唐紙(花唐草) |
切継料紙の書手本 拡大へ 解説・使用字母へ |
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兼盛集・染紙料紙(縹色)『金銀砂子振』 第三紙用料紙 実寸大(縦7寸4分、横1尺6分 ) 此方は兼盛集実物とほぼ同じ大きさになっております(其のまま清書用となります。) (流通用の物は半懐紙の大きさとなります) |
ばら売り用ページです
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右上側部分書拡大へ 表面のみの加工てす。 唐紙料紙右上側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(縹色)『金銀砂子振』 第三紙用料紙実寸大 縦7寸4分、横1尺6分 右上側部分、 |
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右下側部分書拡大へ 表面のみの加工てす。 唐紙料紙右下側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(縹色)『金銀砂子振』 第三紙用料紙実寸大 縦7寸4分、横1尺6分 右下側部分、 |
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左上側部分書拡大へ 表面のみの加工てす。 唐紙料紙左上側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(縹色)『金銀砂子振』 第三紙用料紙 実寸大 縦7寸4分、横1尺6分 左上側部分、 |
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左下側部分書拡大へ 表面のみの加工てす。 唐紙料紙左下側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(縹色)『金銀砂子振』 第三紙用料紙 実寸大 縦7寸4分、横1尺6分 左下側部分、 |
右上側部分 切継料紙の書手本 拡大へ 解説・使用字母へ |
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かねもりしゅう . 兼盛集・染紙料紙(濃縹色)『金銀砂子振』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三紙 右上側部分。この部分には墨入れが有りません。 |
濃縹色 (渋青緑色) |
書手本 右下側部分 |
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兼盛集・標紙料紙(濃縹色)『金銀砂子振』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三紙 右下側部分、 |
臨書用紙は 表面のみの加工てす。 |
書手本 左上側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(濃縹色)『金銀砂子振』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三紙 左上側部分 |
臨書用紙は 表面のみの加工てす。 |
書手本 左下側部分 |
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兼盛集・染紙料紙(濃縹色)『金銀砂子振』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三紙 左下側部分、 |
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かねもりしゅう 兼盛集・染紙料紙(濃縹色)『金銀砂子振』 書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘 第三紙 裏面は具引唐紙『丸獅子唐草』でほぼ同様の花鳥折枝金銀泥描きです。 歌番号は兼盛集での通し番号 青色文字は使用字母 現代語訳へ
「爾」は「尓」とすることも。 「礼」は「禮」とすることも。 現代語訳 解釈 かな・使用字母へ
こまひ 駒牽き;平安時代に宮中で行われていた御料馬展覧の儀式。毎年8月15日に諸国の牧場から貢進する為に、牽いてきた馬を紫宸殿または仁寿殿で叡覧の上、大臣や馬寮に分配した。当初各地からの物であったが、鎌倉時代末からは信濃の望月牧の馬だけとなった。(秋の駒牽) めりょう みまき こうしん うまかいべ さまりょう 馬寮;律令制で御牧及び諸国の牧場から貢進する官馬の調教・飼養、穀物や牧草の配給、飼部の戸口・名籍などを司った役所。左馬寮と右馬寮とに分かれており、各長官は頭(かみ)と称されていた。 いち 市;律令制の平城京・平安京に於いて、東西に官設の市を置いて品物の交換や売買を行う所とした。中世以降になると自給経済が余剰生産物を持て余すにつれ、交通の便利な場所で定期的に開かれ、やがては常設の市と成るに至った。市が広く人々に定着するにつれ、後には人々の多く集まる所までをも市と呼ばれるようになった。 びわほうし 琵琶法師;琵琶を引く法師平安時代から巷間の盲目の僧で琵琶を弾ずる者がいた。当初は豊作祈願や寺院の法会の際に琵琶の伴奏で経文を読誦していたが、鎌倉時代に平家物語を琵琶に合わせて語り始め、大成して平曲(当初は平家)となった。九州の盲僧琵琶である荒神琵琶は古い盲僧の流れで、琵琶を弾いて地神経を読誦し、余興に物語を歌って歩いた。ここから薩摩琵琶や筑紫琵琶が生まれた。 めりょう 馬料;奈良・平安時代に馬の飼育料という名目で高官に支給された手当。 ものく 物食ふ;食事をする。ここでは馬なので草を食む。 |
たいらのかねもり
平兼盛;平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人。光孝天皇の流れを汲む臣籍で、968年の大嘗会屏風歌をはじめとする多くの屏風歌を詠進し、村上天皇の御代の天徳四年内裏歌合(960年3月30日)にも参加している。拾遺和歌集以下の勅撰集に約90首が収録されており、この兼盛集には110首が収録されている。従五位上駿河守。(生年不詳〜990年没)